お好み夜話-Ver2

黄門様のウォシュレット(第29夜 2005-10-26 11:16)

  
徳川光圀(1628~1700)。
言わずと知れた水戸黄門様である。
儒学を奨励し、「大日本史」を撰した。
権中納言という官位を賜り、黄門と呼ばれる。

テレビの歴代黄門役で一番印象に残るのが、初代黄門「東野英治郎」だろう。
その痛快な“カッ、カッ、カッ~”という笑いもいいが、杖の使い方も様になっていた。
黄門=東野英治郎というぐらい擦り込まれていたから、亡くなられたのは残念だ。
その後いろいろな役者が演じたが、どうも今ひとつのような気がする。
実は密かに黄門役にいいと思っていた役者がいた。
ウルトラマンで科学特捜隊のムラマツ・キャップを演じた「小林昭二」だ。
どこか東野英治郎と表情が似ていて、正義感な雰囲気をもっていたからだ。
しかし、「仮面ライダー」のおやっさんを演じた後、悪代官みたいな役や、日光江戸村で活躍していたようだが、しばらく前に亡くなってしまった。
これまた残念だ。

先日茨城を旅したときに、偶然黄門様のエピソードに触れる機会
があったので、こんなことを思い出した。


【水戸光圀の尻濯ぎの湯】
 

水戸光圀がテレビドラマのように、お忍びで日本全国を旅したということは史実ではない。
肉体派ではなく、学究肌だったようで、旅と呼ぶようなものは、
せいぜい江戸との往復や、領地を見回るくらいだったようだ。
しかし好奇心おう盛な黄門様は、日本で始めて中華そばを食べたとか、けっこうお話が多い人だったのは事実のようだ。

北茨城に、五浦と書いて“イズラ”と呼ぶ土地がある。
岡倉天心の六角堂のある海辺の町といえば、ははあと思い出す人もいるだろう。
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元禄時代のある夏の日、黄門様はお供の者とともに、領地の視察に出かけ、この地に立ち寄った。
のどの渇きを癒すため井戸を求めて探すが、その年は日照り続きで、どの井戸も水が少なく、底のほうにわずかに溜まっているだけだった。
はて、どうしたものかと思案していると、長い竿を担いだ一人の村人がやってきた。
訳を話すとその男、竿の先に柄杓を括り付けてそろそろと井戸の中へ下ろし、一杯の水を汲み出した。
上出来と、黄門様へ差し出すその時、うっかりくしゃみをしてしまい、中の水が黄門様の着物へ飛び散った。

「ぶ、無礼者 ! 殿の召し物になにをする ! そこへ直れ」

共の侍が刀の柄に手を掛けて血相を変える。
半泣きでひれ伏す村人。
と、黄門様そこへ割って入り、

「よいよい、この者もわざとやったわけではない。着物は乾けば元通りだが、首を刎ねても元には戻らぬぞ」

そういって村人の前に屈み、

「そう這いつくばらずともよい。中々よい知恵じゃった。だが、慌てず最後まで油断するでないぞ」
「は、はーっ・・・」

そのことがあってから、男は村一番のしっかりものと言われるようになったとさ。
男の名前は八兵衛。
この男がTVドラマ水戸黄門の「うっかり八兵衛」のモデルだということは意外に知られていない。

またあるとき、気さくな黄門様は農家の庭先に腰を下ろし、田畑の様子などを農民と話していた。
黄門様の顔の前を一匹のしつこいハエが飛び回り、それには黄門様も少々手を焼いていた。
すると突然一陣の突風が吹き、脇で遊んでいた子供の手から風車が飛ばされ、うるさいハエを直撃した。
この偶然に黄門様も喜び、子供の名前を尋ねた。
子供の名前は「弥七」といった。
そしてそれがTVドラマ水戸黄門の「風車の弥七」というキャラクターに転じたことも意外と知られていない。

閑話休題。

黄門様のエピソードが多い五浦は、温泉が湧出する土地でもあり、風光明媚な海沿いに、現在でもいくつかの温泉がある。
そんな中、現在では温泉は出ていないものの、北茨城では有名な温泉が存在した。
正確には温泉が湧き出していた“岩”といったほうがいいだろう。

正座や乗馬など、尻に負担のかかる生活様式だった黄門様の時代、名のある武将にも“痔”持ちが多く、有名な加藤清正の「雪隠詰め」の話を例にとってもそれはわかる。
黄門様もシャレではなく、“痔”持ちだったのである。
故に乗馬や駕篭は辛く、出歩くときは度々休息を取る必要があった。

五浦の地を視察したおり、海を見渡せる丘の中程に、ちょうど腰を下ろすのに具合がいい岩を見つけた。
しばしそこで休憩を取ることにした黄門様は、なんだかほのかに尻のあたりが暖かいのに気づき、その気持ちよさにウトウトしてしまった。
ハッとして目を覚ました拍子に、持っていた杖がピシャリと岩を打った。
その途端、岩に裂け目が出来、黄門様の尻の下から程よい暖かさの湯が湧き出したのである。
吃驚したものの、その、えも言われぬ心地よさに着物が濡れるにまかせ、ふたたびうっとりと目を閉じた。

この出来事は瞬く間に周囲の村に伝わり、「黄門様の尻濯ぎの湯」として一躍有名になったのである。
しかしさすがの黄門様も、尻を丸出しにして湯に当たっている姿は見られたくなかったので、厳重な警護のもと、ゆっくり海を眺めながら尻を濯いだということだ。

そして現代。
我が国の衛生陶器最大手企業「INATO」の商品開発部のリーダー、吉田敏人(仮名・38歳)は新製品の企画に頭を悩ましていたときに、偶然このエピソードを耳にし、五浦の地をね、今はもう湯が枯れてしまった岩に座り、一人黙考した。
そして、ついにトイレ史上に燦然と輝く画期的な製品、「ウォシュレット」が誕生したのである。

黄門様の死後300年余の時を超え、ついに人類は身分や人種の壁をも取り払い、尻に湯を当てるという快適を手に入れたのである。
黄門様も草葉の陰でお喜びでしょう。


 が、

  
   しかし、
  

  
   ごめんなさい・・・
  


 ・・・・・・・・これまで書いたことは全部ウソです。


「黄門の井戸」
                
 実際はこうでございます。



茨城県の皆様、TBS・水戸黄門の関係者の方、並びにINAXさん、TOTOさん、大変失礼しました。

まったく悪意はございませんが、少々調子コキました。
あの、・・・・ちょっと便意を催してきましたので、このへんで失礼致します。

みなさま御機嫌よう・・・・。
“カッ、カッ、カッ~ !! ”



バカですねぇ。
ほんと調子コイてますねぇ。
文中に仮名で登場する人物は最初「木村芳宏」という人物だったのですが、今回ちょっと変えてみました。
「吉田敏人」って誰ですかねぇ ?
同姓同名の方がいらしたら、ほんとすいませんねぇ。
悪意はないんですよ。
いや、ほんと・・・。

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