明らかに戦前、ひょっとして大正、いや明治とおぼしきサイズの小さい古写真がたくさん貼られていて、当時貴重だった写真に赤の他人だけが写っているということはほぼないと思われ、爺さんと婆さんとその関係筋の人と親戚の誰かであると思われたので、念入りに、ルーペなども使い観察した。
薄っすらと読める文字は「浅草 十二階」とあるではないか‼️
ということはですよこの写真は、1890(明治23)年11月に浅草の地に建てられた「凌雲閣(りょううんかく、通称:十二階)」ということになる。(高さは約52メートル・172尺4寸)
しかし、神の怒りに触れて崩れてしまったバベルの塔のように、本来あるはずの先端の屋根がないので、これは1923(大正12)年の関東大震災で崩れた後の写真だっ!(◎_◎;)
ためしにスキャナーでMacに取り込んで拡大してみると、
辺りにガレキが散らばっていることが見てとれる。
つまり、大正12年に高価な写真機を持って、震災後の浅草に出向いたご先祖様かその関係者がいたということなのかもしれない。
「凌雲閣」が倒壊の危険があるとして爆破解体されたのは震災後約20日後だということなので、まだまだ混乱が治らぬ危険な時期に撮影したのだから普通じゃない。
貴重ではあるが、謎の写真だ・・・。
多くのアルバムの中には写真ではなく、家族で行った施設のチケットがたくさん貼ってある一冊があった。
昭和の良い子の今持っていれば高値がつくオモチャや漫画は全部捨てちまったのに、こんなものまで母親は取っておいていたのかよ😤
かつてアキバ・万世橋のところにあった「交通博物館」のチケット(なんと大人70円、小人30円だ(゚ω゚))。
このチケットは昭和42年のもので、「交通博物館」は好きだったから何度も行ったので他のページにも何枚か貼ってあるが、となりに貼ってある「東京スペースタワー」って⁉️ぜんぜん覚えていない・・・。
パンフレットも取ってあったので確認すると、「東京スペースタワー」とは浅草・花やしきのところに立っていた高さ110mの展望塔とのこと。
奇しくも「凌雲閣」の2倍の高さで、搭乗料金は大人130円、高校生100円、子供70円とあり、60人乗りのキャビンがゆっくり回転しながら昇っていく「宇宙時代のスカイエレベーター」とある。
懐かしい喜劇王「エノケン」とフジテレビとニッポン放送の社長「鹿内信隆」の写真とコメントがある。
タワーの1、2階には観光土産物売場とレストランが「皆さまをお待ちしております」のだが、ここで何かご馳走を食べさせてもらった記憶もないし、110mからの展望に感動した覚えもない。
こんなに昭和の良い子の記憶に残らない「東京スペースタワー」ってなによ❓と調べてみると、この展望塔は1967年(昭和42年)から1973年(昭和48年)までわずか6年しか存在していなかったとあり、1970年(昭和45年)には出資していた株式会社ポニー(フジサンケイグループ 現 ポニーキャニオン)の名を冠し「ポニータワー」に改名されたそうな。
1968年(昭和43年)には霞が関ビルの展望台「パノラマ36」(147m)がオープンして客足を食われたり、当時の浅草にコンクリートむき出しのタワーは景観にそぐわないと不評だったそうで、決定打は浅草寺を参拝したフジテレビの社長がタワーのみすぼらしさに驚愕して、1973年に営業を廃止・解体されたそうな。
現在跡地は観光バスの駐車場になっているんだって、なるほどあそこね🙄
たぶん、昭和の良い子の記憶に残らない残念な建築物は「東京スペースタワー」以外にもあるだろうね。
そこへいくと「東京タワー」は不滅ですな。(このチケットは昭和45年のもの)
何度も怪獣に壊されても、スカイツリーに高さを抜かれても、しっかり足を踏ん張って立っているのだからd( ̄  ̄)