雨の狭間を見計らって走りに出るとき、毎度のように思い浮かべる言葉は「つゆのひぬま」ということば。
ご存知の方には言うまでもないが、これは「山本周五郎」の小説
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「山本周五郎」といえば数々の小説が映画やドラマになっていて、「黒澤明」作品では「椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」など、あと印象に残っているのは「川島雄三」監督「新藤兼人」脚本の「青べか物語」。
「青べか」っていうのは、貝とか海苔を採るひとり乗りの平底舟のことで、浦安の海が舞台だった。
その印象が強くて、浦安の海を埋め立てて作られたどこかの夢の国になんて、ぜんぜん感情移入できない。
だいたいどのツラ下げて「東京」なんて言えるのかね。
まあいいや、浦安のネズミの国なんて。
そうそう、束の間の雨の切れ間を走っているときに思う「つゆのひぬま」。
この言葉の意味をずっと間違っていたのだ。
「つゆのひぬま」って「梅雨の干ぬ間」って書くと勝手に思い込んでいて、梅雨の時期のほんのわずかな晴れ間のことだと勘違いしていたのだった。
正しくは「露の干ぬ間」で、「朝露も乾かないほど短い間」=「ほんのひととき」という意味だったのだ。
小説「つゆのひぬま」は、深川の女郎屋の娼婦のハナシで、年かさの娼婦が若い娼婦に、客との間に本当の愛なんて成り立たない、もしそう感じてもそれは一時のことで、まさに露の干ぬ間だと諭す。
その後いろいろあって、大洪水で屋根の上に取り残されたふたりの元へ、若い娼婦に惚れた客が舟で助けに来る。
年かさの娼婦はふたりの結びつきに感動して自分の稼いだ金を渡し、ふたりは舟で去ってゆく・・・。
てな内容だと記憶しているが、高校生のガキにはおハナシだけ追うのが精一杯で、男女の機微とか情感なんてものはまだまだ・・・。
で、「つゆのひぬま」も勝手に勘違いして記憶されちゃったってワケさ。
ということで、ほんのひととき汗を流して走ってきた。
こんなジジイになった今だからこそ、もう一度「山本周五郎」を読み直そうかね。