お好み夜話-Ver2

正太郎くんのどんどん焼

昭和八、九年の頃だろう。

二銭の小遣いを握りしめた正太郎少年は、今日も鳥越神社の近くに出ている「どんどん焼」の屋台へ通う。
その屋台のおやじは、ご近所のおかみさんたちがウワサするほどの男前で、正太郎くんは密かにおやじを「役者」と名付けていた。

小遣いを五銭、十銭ともっていれば、
【メリケン粉を鉄板へ小判形に置き、その上へ薄切りの牛肉を敷き、メリケン粉をかけまわしてパン粉をふりかけ、両面を焼きあげた】「カツレツ」

にするのだが、今日は一銭の


【食パンを三角に切ったものへ、メリケン粉(卵入り)を溶いたものをぬって焼き、ウスター・ソースをかけた】「パンカツ」にした。


わずか十二歳にして「役者」の屋台の常連になった正太郎くんは、新メニューの提案とネーミングにも口を出すほどだった。

「じゃがいもの茹でたのを賽の目に切ってさ、キャベツといっしょに炒めたらうめえだろうな」

とか、

「じゃがいもをよくつぶして焼いて、まん中へ穴をあけて卵をポンと一つ落とし、半熟になったのを食べたらうめえだろうな」

などと提案すると、「役者」のおやじはすぐに「やろう、やろう」といい、ところでこの新メニューを「何と名付けようか? 」と、すべて十二歳の正太郎くんにおまかせなのだ。

だが正太郎くんは即座に、前者を「ポテト・ボール」とつけ、後者は、おやじが「鳥の巣焼」とつけた。


このふたつは「役者」の屋台で評判になり、大人どもが、よく総菜に買って行くようになった。

やがておやじは正太郎くんの力量をあてにして店番をたのみ、毎日どこかのお妾さんのところへしけ込んでしまうようになった。

そしてある日、三、四人のやくざどもに取りかこまれた「役者」のおやじは、泣きべそをかきながら何処かへ連れ去られてしまう。
それっきり「役者」のおやじも屋台も姿を見なくなったそうな。
風の噂によれば、二度と「どんどん焼」ができないように指をつめられたとか・・・・・


苦い大人の世界を垣間見ながらも、正太郎くんの「どんどん焼」通いはつづく。

「役者」の他に正太郎くんが魅せられた屋台は、大人も納得の「味」で評判の、「町田」という五十がらみの渋いおやじの屋台であった。
そのおやじ、元は洋食屋を営んでいたが、商売が左前になってしまって「どんどん焼」に転向したという経歴の持ち主。
だがさすがに基本ができているせいか、味とコテ(注:正太郎くんの時代は、厚手のハガシと呼んだ)
さばきがすばらしく、小学校を卒業したら奉公へ行くことになっていた正太郎くんは、おやじのその技に魅了され、「町田」に弟子入りしようと考えた。

そのことを母に言うと、「ばか! 」と怒鳴りつけられてしまう。
「町田」のおやじにもその話をすると、渋い顔にふっとさびしげな微笑をうかべ、

「とんでもない。いまのうちから、こんな商売をやるなんて考えてはいけない。こんなものは、ジンセイのハイザンシャがやるものだ」

と、たしなめられる。

そのときは「ジンセイのハイザンシャ」ということがわからなかった正太郎くんだが、やがてわかるようになるのであった。



そりゃ、そうだ。
なんたって、正太郎くんは、後の「池波正太郎」センセイなんだから。


大作家になってからも、少年の頃に食べた「どんどん焼」が大好きで、自分で作ってビールのあてにしたりしたようだ。

そのことを書いてある本をしばらく前に買って、正太郎くんのレシピを参考にして再現したものが上の写真である。
なかなか素朴で、懐かしい、屋台の味だ。
ただそのままでは、それこそ五銭、十銭の世界で、現代の「お好み焼」屋では売り物にならないから、若干のアレンジを加えてみたりした。
たぶん、「鳥の巣焼」はそのうちメニューにするかもしれない。


また、参考にした著書は、新潮文庫 「むかしの味」P.59の「どんどん焼」と、同じく新潮文庫の「食卓の情景」P.39の「どんどん焼」である。
これらの著作以外でも、「池波正太郎」センセイは「どんどん焼」について熱く語っておられる。

しかし、その頃の「どんどん焼」というものは、

「いまのお好み焼のごとく、何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげる、というような雑駁(注:雑然として統一がないこと)なものではない」

と述べておられるのが、この「ジンセイのハイザンシャ」
のような「お好み焼」屋をやっているオヤジには、ちょっと心外なのである。




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