思えばコロナ禍の2021年4月27日までは店を営業していたが、28日に左腕のシャント(人工透析のための動脈と静脈をつなぎ合わせた回路)閉鎖手術をしたのち安静にして休み、くしくも5月10日のモグランポ開店24年目の朝突然腹の痛みに襲われ七転八倒。
5月24日に女子医大へ緊急入院したのち何度も入退院を繰り返し、なんとまあ3年と7ヶ月ほど休業してしまった・・・。
24年間お好みや焼そばを焼いてきたけれど、この3年7ヶ月のブランクをものともせずすぐに変わらずに営業できるほど心身ともに屈強ではないポンコツオヤジ。
自宅で試作を兼ねてリハビリキッチンしてきたがそれだけでやっていけるほど商売は甘くないし、長い年月で慣れて忘れてしまっているマインドと知識を取り戻そうと、営業しはじめた頃に読んだ本や資料を読み返すことにした。
そうして本屋で見つけたのが「ソース焼きそばの謎」という本。
手に取ってみるとカバーが2重になっていて、目を引く表のカバーを取ったら
とってもおとなしい真面目な表紙になった。
だが読んでみたら目からウロコの、まさに「森永卓郎」や「入山章栄」が書いているように「食文化研究の金字塔」や「一つの産業史」というにふさわしい、綿密な調査でソース焼きそばの誕生のみならず日本における小麦粉や製麺の歴史を掘り起こす名著だった。
焼いた麺にソースをかけるという今では当たり前の調理、しかも焼いてない乾麺をお湯で戻してソースをかけるカッブの代物も「焼そば」とうたえるほど日本人に浸透しているこの料理の不思議を、これほどミステリーに分かりやすく書かれた本があったろうか❓
いや、あった。
「お好み焼きの物語」だ。
そう、この「ソース焼きそばの謎」は「お好み焼きの物語」と密接にリンクしている。
帯にあるように「ソース焼きそばはお好み焼きの一種 / 間違いだらけの日本ウスターソース史」のとおり、お好み焼きとソース焼きそばは切っても切れない間柄なのだ。
「お好み焼きの物語」を読んだときにう〜んと唸って知り得たことを誰かに話したくなったが、この「ソース焼きそばの謎」も同じように唸ってかあちゃん相手にまくしたて、我が家にある材料でソースを仕込んで二日に渡ってソース焼きそばを作って嬉々として食した。
また『「粉もん」庶民の食文化」(熊谷真菜 著)で語られるたこ焼のウンチク、この3冊を読めば粉もんについての知識・雑学はほぼ完璧に近い。
15年ぶりに明石焼を再開しようとして、明石焼やお好み焼の夢を見てうなされ朝4時に目覚めてしまっていたオヤジも、いろいろ腑に落ちソース焼きそばをすすって少し落ちついた。
庶民の食文化はほぼ同時発生的に各地で起こったりするけれど、ことすべてのお好み焼の原型とソース焼きそばの発祥は明治期、東京・浅草にあったと、大阪や広島の方には申し訳ないが結論だけを申し上げておこう。
それにたこ焼のルーツは明石焼にあることは間違いなく、大正8年(1919年)に「向井清太郎」という人が屋台でタコを入れた明石焼を売り歩いていたということが記録にある。
そして2011年頃までの定説であった、「千利休」の「麩の焼」がお好み焼のルーツという、オタフクソースの65周年を記念して発行された「OCOLOGY」などの書籍やテレビなどで軽く語られた俗説ははっきり否定された。
この平成12年(2000年)に発行された本も隅から隅まで読ませてもらったが、歴史というものは学校の教科書のように研究者の努力の結果で覆されるもので、まして「料理」とも見なされていないお好み焼などの「駄菓子文化」はなかなか今まで研究もされてこなかったというのが実情だ。
これだけ長く休んでいる間にともすれば気持ちが萎えそうになったことも多々あったが、初心に戻って学びなおしてフツフツとヤル気が湧いてきた。
ただし頭で学んだことは実践しなければ空しいので、あと2ヶ月くらいで様々に試作をしようと思う。
でもさあ、昔みたいにそんなに食べられない体になっちまったので、どなたかに試食してもらうように声をかけるかもしれませんぜ(^_-)