「変わってるね」
この言葉は私にとって褒め言葉です。
しかしあまり言われることはありません。
「大丈夫、普通だよ」
この言葉は私にとってはあまり好ましくない言葉です。
けれどよく言われます。
個性を伸ばして、個性を活かして、オンリーワンになる。
ファッションにしてもアートにしても、社会で生きる上でも。
あなたの個性はなんですか?
誰にも負けないものはなんですか?
特技は?
長所は?
自分は何ができるのだろう。
自分にしかできないものってなんだろう。
〝個性〟
誰しもが何かの瞬間に一度は意識するのではないでしょうか。
いや、させられるのではないでしょうか。
私はこの言葉に悩まされてきた内のひとりです。
漆芸だけではなく、それ以前の学校で洋服をつくっていたときも、予備校の立体の授業でも、何かオリジナルのものをつくるなら今までに見たこともないような他とは違う何かが必要なんだ、とそう思ってきました。
でなければこの世界で生き残っていくことはできないのだと。
けれどそれは意識すればするほどどこかで見たことのあるようなものにしかならず、自分には個性と呼べるものはないのだと打ち拉がれました。
特別な何かを持っていない自分に幻滅し、自身もなくなり、堂々と作品を表に出すことが恥ずかしくなりました。
何をやっても人並み。
私じゃなくてもつくれるものばかり。
そんなマイナス思考が強まっている最中のことです。
「もっと好きなもの前面に出していったらいいのに」と言われたことがありました。
声活動が好きなのもアニメやマンガが好きなのもそれらも全部が私であり、それが個性なんだというのです。
その時までSNSでの私は、自分や漆の作品のイメージをよく見せようと必死でした。
オシャレに見せたい、品良く見せたい、だから本音は隠したい。
声活動をしている自分は漆とは関係ないから余計な部分は見せないようにしよう。
B.L好きとか性に興味があるとか一般的にドン引きされるようなことは黙っていよう。
自分を曝け出すことで、自分のつくったものの価値が下がるのではないか。
それは避けたい。
そう思っていました。
けれどそれだと自分らしさを出すのは難しい。
だってどこまで見せたって結局は表面を繕っているものでしかないのですから。
なるほどと思いました。
個性を求めていたくせに、自ら平板であろうとしていたのです。
そしてそれは内面だけに留まらず、作品にも現れる。
極端かもしれませんが、表現の幅を狭めることに繋がっていたのです。
大量につくって売り捌かなくてはならないなら、あえてそうすることも必要なことだとは思います。
一部にしかウケない個性よりも万人ウケするものをつくる必要があるからです。
誰もが抵抗を感じない優しいもの。
それはそれで素敵だと思います。
でもそれって印象に残りますか?
愛着がわきますか?
わかないとは言いません。
けれどその多くは替えがきくものだったりもするわけです。
私はいたって〝普通の人〟です。
だからこそ自分を出していくことで少しでも印象に残るものづくりをしたいと考えています。
思考的なことだけではありません。
興味のあるものを積極的に取り入れていきたい。
例えばミュシャの世界を絵画で表現したらそれはミュシャだけれど、漆で表現すれば別物に見えるかもしれない。
さらにそれをガラスと掛け合わせたらどうだろう。
既存のものでも掛け合わせることで新しいものが生まれる。
これは〝描きたい!!を信じる 少年ジャンプがどうしても伝えたい マンガの描き方〟という本に書かれていた内容ですが、設定を真似ること自体は悪いことではないのです。
いいとこ取りをすることで誰もが知っているようなヒット作品が生まれていたりもするわけです。
そしてそれは新しい作者の〝個性〟として認知されていく。
〝好き〟を前面に出していくことで個性は生まれるのかもしれないと思わせてくれました。
作品を手に取ってくれた方に少しでも愛着をもって接してもらえるように。
好きを好きで終わらせずに活かしたい。
これからは好きを隠すのではなく、もっともっと磨いていこう。
そんな風に思っています。
今ぼんやり思い描いているのは〝漆×音声〟作品です。
どんな表現ができるのか、どんなものになるのか、自分でもワクワクしています。