物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

国大トマヤ 国ルヅイ、日  ③南側の人々

2019-10-15 14:24:40 | 物語
 北側の人々がだいぶ南下し拡大していた頃、南側にも人が住みつき始めていました。
南側には、既に大なり小なり文明を持った人々が辿り付きました。
南はフィリピンの方角から、西は朝鮮半島からです。
南の民(海の民)は背が低く入れ墨をいれていました。そして大きな船を作る技術に長けていました。気候の温暖化によるスコールや大洪水のため逃げて来た時に、主食であった赤米の稲の種を船に積んできたので、九州あたりですぐに稲作を始めました。そして漁業もしていました。
しばらくすると、海の民が船で朝鮮半島にも行き、交流がはじまりました。そうしているうちに、朝鮮半島から引っ越してくる者も出てきました。彼らは鉄器と絹の衣をもたらしました。そして別の種類の米を持ってきました。
とにもかくにも、彼らの主食は既に米と決まっていました。
大量生産した簡易な土器に、採れた米を貯蔵・料理しました。海の民と半島の民は、米と魚を交換したり、葦(よし)製の漁船と鉄器を交換したりして交流しました。海の民の着物は主に麻でできていたので、着心地の良い絹の衣を手に入れるために、大型船で半島の民族の引っ越しを手伝いました。また、鉄器も半島から伝わっており、農耕や漁業にとても重要な道具だったのでそれを手に入れるためにも必要な交流でした。
ある日、朝鮮半島からシャーマン姫がやって来ました。半島から来た人々は彼女を崇め、いつも集会を開いていました。彼女の占いで水田の地を決めたり、リーダーを決めたり、雨ごいをしたりしていました。半島の民はなぜだか幽霊や祟りたるものを信じているようで、見えない何かにおびえたり、占いで物事を決めたりするのが好きなようでした。
どちらかというと陽気な海の民には、よく分からない習慣でした。

ある日、海の民はこの国の概要を把握しようとして船を出しました。ずっと陸に沿って北上してゆくと、幾重にも重なった垣根をみつけました。人が住んでいるかもしれないので上陸することにしました。
上陸してみると、人の心が自然と静まるような不思議な感覚になりました。しばらく歩くと、幾重にも重なった垣根の中に、派手ではないけれど荘厳な神殿が見えました。よく耳を澄ますと、奥から琴の音が聞こえてきます。
彼らは、大きな声で「誰かいますかー?」と問いかけてみました。すると、一人の背の高い男が出てきました。その男は、見たこともない民族に最初こそ警戒したものの、「こんにちはー!」と手を振る男たちに対して手を振り返しました。そして「どうぞ」というジェスチャーをしました。
それからというもの、交流がはじまりました。言葉は通じませんでしたが、身振り手振りで意思疎通をしているうちに、親密になりました。そして、海の民が入ってきた根の国に海の民の神殿を作りました。それは、彼らが来た記念であり”いつでも遊びに来てください。”という意味が込められていたのでした。

ある日、南側の大王(オオキミ)は、北側にどのような国々があるのか調査することにしました。調査員を選びだし彼らを陸路から北へ向かわせました。彼らは素直に北へ行ったため、根の国の少し南にたどり着きました。戻ってくると、すぐにオオキミに報告しました。
調査員が根の国の少し南にある国の荘厳さと素晴らしさを目を輝かせて報告したところ、オオキミは「その国を我がモノにする!」と言い出しました。
再び調査へ行き、現地人と話をしました。
「ここはなんていう国ですか?」と聞きましたら、「イヅモ!(最高の地!)」と返答されたので『イヅモの国』だということがわかりました。
早速、イヅモに荒くれもののスサを送り込みました。しかしスサは占領するというより仲良くなってしまい、おまけにイヅモの国の姫と結婚してしまいました。荒くれものだったスサにとって、荘厳で落ち着いた神殿と美しい琴の音は、生まれて初めてのやすらぎの地になったのです。
その後に送った使いも、また次に送った使いも、イヅモの国の姫と結婚してしまいました。
スサにとってイヅモの国はなぜか懐かしく感じ、荒んでいた心を洗ってくれたのです。
スサは、イヅモの国を時々荒らしに来る8人組と戦いました。その時彼らの一人が持っていた刀を取り上げました。
破天荒なスサは本当のことをいうと、あまり自由にやれない南側の国に嫌気がさしていました。少しでも自由にやろうとするとガミガミ怒られ、良かれと思ってやったことも余計なことをするなと怒られていたので、優しくて自由なイヅモの国を大好きになってしまいました。スサは、上の兄姉への鬱憤が溜まっていたので、イヅモを末っ子男子が王になる国にしました。
スサは決断力や力もあるし8人組を倒したこともあり、イヅモでは英雄のような扱いを受けました。そして琴を弾いていた姫と結婚して娘が生まれました。スサの娘は、東北のある民族の男と結婚しました。最初はその男がイヅモの国の長になりました。そして次からは、姫との末男子が”大国主(おおくにぬし)”となりました。(イヅモでは女系つまり母親側の血筋が正式な血筋でした。)
【※とにもかくにも、北側の8民族は、一つの国家を形成したわけではなく、バラバラの小国家がいくつもあったのです。はるか遠くの大陸で追いやられ傷ついて、この最東にたどり付いた民族が多かったせいでしょうか?そして、何よりも原住民の日本人が十何で好奇心が強かったせいでしょうか?彼らは殆ど争いをせずお互いを尊重し合い、それぞれの文化を成長させてゆきました。よって、太陽神もひとつの大国の神だったのです。】
イヅモに王を残すと、すぐに根の国へ旅立ちました。(スサはいつも忙しく飛び回っていたのです。)根の国では、とても固くて透き通った翡翠が採掘されることが分かっていたので、その固い翡翠を加工するのに苦労していた職人を見て、翡翠を削る道具を鉄で作るようにしました。そこで、たたらの技術が発展していたスワに作らせました。翡翠を加工する工場は根の国に作りました。

そのころの南側の大王『オオキミ』は、太陽神2世であり、イセ住んで南側の民に米を貢がせていました。その太陽神が実はスサの上の姉であり南側を統治している大王『オオキミ』となっていました。
太陽神2世は、新しい哲学を生み出していました。それは、勾玉(まがたま)です。
まず〇を書いて真ん中に波型で切ります。すると互い違いのペーズリー型ができます。片方は見えるもの、片方は見えないものとし、世の中には見えるものの片割れまたは反対側に必ず見えないモノがある、という哲学を生み出したのです。そしてペーズリー型の丸みを帯びた方に穴をあけ、ペンダントにしていつも身に着けていました。そうやって彼女は、見えるものだけを見るのではなく、見えないものも見るようにする政治を心掛けたのでした。



月日が経ったある日、南側の民族の調査員は、南側の大王(オオキミ)に、北の方は何があるのかを見てくるよう命令を受けました。海の民は以前に日本の外側の調査をしていましたので、案内役兼操縦役として船を出して協力ました。(ただし陸路は行きませんでした。)
調査をしてみると、北関東あたりには米に似ているが違う穀物を栽培している民がいました。もっと北へ行くと、沢山の人々が知らない言語で話をしてとても芸術的な土器を担いで畑仕事をしていました。
特に、富士の麓では不思議な民族を発見しました。黒い着物を着たグループがいて、山の木から木へ素早くまるでカラスのように飛び移って移動する術を持っていました。彼らの中心には鼻が高くて真っ赤な顔をした背の高い男がおりました。彼は、小さすぎる黒い帽子をかぶって大きな楓を片手に持って団扇のごとく仰いでいました。
それらの一部始終を木の陰からこっそり観察していると、一人の調査員が物音をたててしまいました。すると、どこからともなく鉄の黒い星が降ってきました。それにあたった調査員の一人が怪我をしました。調査員は一斉に逃げました。


つづく

想像です。

国大トマヤ 国ルヅイ、日  ②国のはじまり

2019-10-12 19:27:17 | 物語
 まだ氷河の時代。星の地図を見ながらまっすぐ東へ向かう人たちがいました。
彼らは、誰かと戦争をしたわけでも、誰かに追いやられたわけでもなく、ただ大地がどこまであるのか、そして太陽がなぜ毎日生まれるのかを知るために、ひたすら東へ東へ進みました。
少しは以前より温暖化したものの、氷河はまだ溶けきっておらず、時には吹雪に見舞われることもありました。まわりにはまだ氷河があったので、昼間には動物の皮で作ったゴーグルをつけて行動し、夜になると移動しました。
高い高い氷の山を越えました。ラクダを見ました。マンモスを見ました。馬を見ました。牛を見ました。熊を見ました。パンダを見ました。色々な鳥や虫や小動物を見ました。そして肉を焼いて食べ、毛皮や骨をもらいました。その時の長は頑丈で長持ちをする靴を発明した者で、いちばん前を歩き、副長がいちばん後ろを歩きました。

旅の途中、他の色々なグループに合いました。そこで結婚をして旅から抜ける者もおりました。大きな怪我や病気で亡くなってしまった仲間もいました。仲間割れもありましたし、途中で脱落する者もありました。
旅をしているうちに、他の民族の穴の掘り方を真似して、穴を掘って家を作るのが早く上手くなりました。いろんな木の実を食べました。毒があるものとないものを選別しました。それを”記録係”が動物の骨や皮に刻んで記録しました。彼らは、沢山の経験をし沢山の知識を得ながら、どんどん東へ東へ進みました。
彼らにとって、自然は知恵の宝庫です。動物や物をよく観察して、なにをどうすればそうなるのかを自然と身に着けてゆきました。グループの殆ど全ての人が研究者であり発見者で、人それぞれの目の付け所が違うところがまた、他者への救いにもなりました。
遠くを見やったときには、地平線がまるみを帯びていたので、この大地がおそらく真っ平ではないことは、わざわざ口にするまでもない”自然の当たり前”でした。やがて、グループの中でも力があって仲間思いの者が自動的に”長”になりました。

ある夜、彼らが向かっている方向に小さな赤い光が見えました。それは次の夜も、次の夜も、ずっと見えました。彼らにはそれが希望の光に見えました。
長が言いました。「みんな、あの光は何だと思う?」
民あ「今まさに、太陽が生まれようとしているのかもしれない!」
民い「でも、まだ朝になるには早いよ?」
民う「いや、もしかしたら、太陽の欠片かもしれない。すごく暖かそうだぞ。」
民え「本当は夜になっても、太陽は全部かくれていなかったのかも。」
長「よし、あそこへ行ってみよう!いいな?」
民たち「おう、行ってみよう行ってみよう♪」
少し近づくと、それはとても大きな山が吹きだす火であることが分かりました。ようやく山の麓に着くと、とても暖かく温水が湧く湖もありました。日が昇り明るい時に回りの風景を見てみると、透き通った湖の中には魚が、その周りには草や花や小さな木の実や自生する稲や虫や小さな動物など、沢山の生まれたばかりの生命がありました。それは今までに見たことのない素晴らしい景色でした。暖かい湖に浸かってくつろぎました。東側には、もう大海原しかありませんでした。彼らは、こ最東の地に住みつくことにしました。
土で作った器を焚火でゆっくりゆっくり焼き固めると、土器ができることを発見した人が、集落のいちばん最初の偉い人(長)になりました。

やがて時は経ち、賢くて、力があって、物事をより良くするにはどうしたらいいかをいつも考えている人が長になっていました。彼は、いつも皆がよりいい暮らしができるよう人々を集めて話し合ったり、皆の考えをまとめて最終的な判断を下したり、物作りの考案をしていました。
ある日長は、9人の息子を呼んでこう言いました。
「いいか?明日朝、お前たちは旅に出よ。そしていつか帰って来れたなら、世界がどんな風になったか報告してくれ。」
1人の王子をこの地に残し、あとの8人の王子が父の命を受けて世界へ旅立ちました。
次の2代目の長となったとき、日本の東北あたりに大きな集落ができていました。人々は土器に木の実を入れて貯蔵したり料理したりしました。弓矢や罠で捕ったイノシシやシカの肉を燻して干し、貯蔵したりもしました。だいぶこの地の生活が板についてきました。
後に、土器は非常に重要な日用品となり、女性の嫁入り道具になりました。美しい土器で料理したい女性たちは、どんどん土器を美しくしてゆきました。そして子を亡くした母親は、大切な土器にその屍を入れて埋葬しました。
原生の稲や麦もありましたが加工に時間がかかるので、さほど食べられてはいませんでした。何度か調査役が、稲というやらをなんとか栽培できないものか、試作してみましたがうまくいきませんでした。麦は乾燥に強く勝手にできるので、石で轢いて粉々にし、土器で水と一緒に温めることで食べられました。
そういうしているうちに、大陸から他の民族がやって来ました。彼らは毛皮ではなく動物の毛を紡いだ毛糸の衣を着ていました。また、彼らは平たくペッタンコに焼かれた”パン”という食べ物を食べていました。
彼らと打ち解け合って、パンの作り方を学びました。好奇心が強い日本人は、一所懸命覚えて、その民族が持ってきた道具を改良して新しい道具をつくりました。その日から手先が器用でよく思いつく者が、”道具屋”になりました。
二つの民族は、もっと分かり合うために文字を作りました。
圧倒的に人数が多かった日本人の「あいうえお」という母なる5つの音を元に、子音を決めて作ってゆきました。絵みたいに時間がかかるものではなく、かつ人々が覚えやすく書きやすいように、簡単でかつ意味のある形にすることにしました。1文字1文字を全く全然違う形で考案するのはとても大変だったため、5つの母音を横軸に並べ、意味のある記号を縦軸に並べて、組み合わせるという合理的な方法で48の文字が生まれたのでした。

3代目、4代目と時が経つと、また大陸から黒い衣装を身にまとった背の高い民族がやって来ました。彼らは絹の衣を着ていました。集落の調査役は早速、焼き栗をあげて彼らと仲良くなり、絹の作り方を聞きました。虫の卵からなる繭をお湯で解いて細い糸を見出し、それを縦と横に組み合わせてゆくことで一枚の布ができました。
「凄い発明だ!」調査員の頭の中には、ビッグバンのような衝撃が走り、すぐに長に言いに行きました。
こうして、彼らは新しい文化を融合しあい、よりよい生活ができるようお互いに日々努力しました。それは、誰かに意味のないことを押し付けられて仕方なしにやる努力ではなく、ひとりひとりがより良くなるための、そして全体がより良くなるための新しくて楽しい試行錯誤でした。
集落の長は”ミコト”と呼ばれるようになりました。あとからやってきたグループの人々がそう呼んでいたからでした。
やがてミコトが結婚の儀式をするようになると、夫婦でミカド・ミコトをやることになりました。民の女の子は、いつか長のような素敵な男性をみつけて結婚の儀式をすることが目標となりました。

そして5代目になったとき、稲作が定着していました。自然の大地に自生している稲は、とても少ない水でも育ちました。しかし、この稲作が人々の生活と心を変えてしまいました。
それまで思い思いにいろんな種類の穀物を栽培してきた民にとって、強制的に稲だけを作ることは、好きな物が食べられないばかりか、不作だった年には全く主食がありません。そこで物々交換で交渉がうまくいかず民同士の喧嘩がおこったり、稲作文化に変えた長に対して不満を持つ者が現れはじめました。
6代目の長になった時、酷くなった民の暴動を治めることができず、とうとう”もののへの大臣”(当時の警察)たちが数十人の民を斧で切ってしまいました。
民を殺めてしまった長は誰からも尊敬されなくなり、ミカド・ミコトではいられなくなってしまったのでした。
かわりに、その親戚の者が長をすることになりました。それが7代目です。
7代目は、なにがあっても”民を切るべからず”の政治をすることにしました。新しいミカド・ミコトとその家族たちは、その為にはどうしたらいいかを、全国を旅をしながら一生懸命考えました。考えているうちに、長男が生まれました。
長男は成長すると、民の不満と動乱を納めるべく哲学を編み出しました。それは”カガミ”という哲学です。
実際に道具屋に頼んで大きな鏡を青銅でつくりました。彼はそのカガミで、稲作に欠かせない”もう一つの太陽”を作り出しました。それと同時に、動乱を起こしている真っ最中の民を映し出し、自制心を養いました。
彼は彼なりの哲学により、”人々の心に働きかける道具”を初めて作ったのです。人々は、彼を”太陽神”と呼ぶようになりました。彼と結婚したがる女性があっと言う間に全国からわんさと押し寄せてきたので、13人の妻を持ちました。
一方そのころ、南にも民族が住みはじめていました。


つづく

想像・フィクションです。

国大トマヤ 国ルヅイ、日  ①Y民族と日本人

2019-10-07 19:14:25 | 物語
 紀元前1万数千年頃、ようやく氷河期が終わり数千年かけて地球は暖かくなってゆきました。それまで暖かい地だけに集まって地中に家を作って住んでいた人間たちは、徐々に地上に出て旅に出ました。思い思いに自分たちの気に入った場所を見つけ、家族や気の合う人たちで定住しました。
中でも、探求心と好奇心の強い民族は、この世界がどこまで続くのか知りたくて地球の果てを目指し、”星の地図”を見てでどんどん前へ前へ進みました。

紀元前5000年ごろ、地球は非常に温暖化し海の水面が今よりもずっと(100mくらい)高い位置にありました。日本は亜熱帯のような気候で、南は熱帯雨林になっていたため大陸から流れて来た人間は北半分に住みました。
そのころには、エジプトにはエジプト人、アメリカにはアメリカ人、オーストラリアにはオーストラリア人、日本には日本人が住んでいました。

やがて、争いの絶えない大陸の方から、徐々に人が集まってきました。歩いてやって来た民族や、馬にまたがってやってきた民族、船に乗って来た民族が、どんどん日本に入ってきました。
その地域の気候のせいか、ずっと日本に住んでいた人間とは肌の色や髪の色が少し違っていました。おまけに言葉も違ったため、最初は中々分かり合えず、近づかないようにして暮らしていましたが、やがて悪い民族ではないと分かると、鹿肉を分けあったり、栗を分け合ったり、煮た豆を分け合ったりして仲良くなってゆきました。そうやって身振り手振りで会話するうちに、言葉がなんとなく通じあってきました。
後から来た民族の頭と日本の頭を”長”『ミカド・ミコト』とする大きな集落ができました。民族たちはお互いの違いを生かし、ひとつの民族として文化を発展させてゆきました。
新しい道具や、新しい食品を加工しました。後から来た民族がお酒なるものを作ってくれましたが、日本人の体には全く合いませんでした。
言葉が通じ合うようになってくると、その話から彼らがとても遠い所からやって来たということが分かってきました。遠い地で起こっている大陸沈殿や、戦争というやらに、氷河期から日本に居た日本人は驚き、恐怖感を覚えました。

少し暑さが和らいできた紀元前3000年頃、5つめの民族(A民族)が大陸からやって来ました。彼らは、どうやら見た目からすると、2つ目と4つ目の民族と同じ民族のように思われました。ただしゃべる言葉が少々違いました。
彼ら5つの民族と日本人は、木造の家を作り、人と馬が通る道を平たくし、土器を作るための土を採取する場を作り、自分たちの作った土器で収穫した木の実を入れたり、豆を煮たり、栗を焼いたりしていました。もちろん、木の実から種が出ますから、わざわざ遠くへ出かけて採集しに行かなくてもいいように、種を蒔いて栽培もしました。水は、天から降り注ぐキレイな雨水を土器に集めて飲みました。貝は潜って素手で採り、貝殻はその日の食器として使って食事が終わると貝塚へ捨てました。
罠を仕掛けて動物を捕りました。それまで服は毛皮と編み込んだものを着ていましたが、木で機織り機を作り出しました。そうして、モノを作ることの素晴らしさを分かち合いました。ゴミ集積場もつくり、生活圏はいつも清潔さを保ちました。日本人は太古の昔から、汚れたものから病気がやってくることをよく知っていたので、汚いものとキレイなものをきちんと分けていました。
大きな栗の木を使って高い所に大きな集合所を建て、火山噴火や地震や洪水の時の避難場所にしました。又、人が亡くなると墓に埋めました。ある母親が子の墓に花を飾りました。その心は全ての民族に伝わり、皆がそうするようになりました。
紀元前1000年頃、また大陸から民族が大きな箱舟に動物たちを携えてやって来ました。彼らは、黄金でできた大切な箱を山の頂に運び隠すと、動物たちと共に山に住みつきました。

やがて人が増えてきたので、人の集まりを『村』と呼び、村のあつまりを『県(あがた)』と呼び、県の集まりを『国』と呼ぶことにしました。なぜそうしなければならなかったかというと、全部をひとつの村としてしまうと、統治する人が大変になってしまうからでした。
各国ごとに偉い人を選び、県ごとに偉い人を選び、村ごとに偉い人を選びました。偉い人は知恵と力と思いやりのある人が自然となったりみんなで選挙して決めたりしました。そして、全ての情報は、村→県→国→ミカド・ミコトという風にすぐに伝わるようにしました。
人が増えてくると、不届き者も出現したので、不届き者をこらしめる警察『もののへ』もつくりました。

いつの間にか、南側にも人が住みつくようになっていました。米作りと船を作るのが上手な東南アジアからやってきた民族です。彼らは肌が浅黒く入れ墨をしていて、背は低いけれど体格がよく濃い顔をしていました。後で聞いたことによると、東南の国がひどい洪水で国が沈没し、大事な武器と主食の米だけ持って逃げて来たということでした。
やがて南側には、大陸の半島からも狐顔の民族が入ってきて、B、C、Dの3民族が住みつきました。D民族は、C民族の作った船を利用して半島と日本を行ったり来たりできたので、半島の最南端とこちら両方に住みつきました。
南側の民族は、北の民族が真四角に土を盛った墓を作り自分たちのミカド・ミコトの亡骸を葬っているのを見て、それを真似しました。北側では水田を作った時の土を利用して土を盛りました。周りに稲作のための大きな水路を作って盗賊を防ぎました。北では橋を渡って花や土器・土偶をお供えする仕組みになっていましたが、南側では丸く土を盛り、水路を渡る為の橋だった部分がどんどん大きくなって鍵穴の様な形になりました。それは波及して、大陸の半島の最南端の国にも作られました。



熱帯期~温帯期に北側に住みついた民族の内、4つの民族をまとめてY民族とします。Y民族の一部は、山を偉大なる神(ヤッホー)として崇めました。そして大事なことが書かれた黒くて小さな箱を頭の上にくくりつけ、これまた大事なことが書かれた紙を筒状に巻き『トーラーの巻』と言って大事に持ち山中を歩いていました。

時が過ぎ、Y民族の中のA民族がイヅモの国まで南下したとき、南側の頭の弟の『スサ』がやって来てこう言いました。
スサ「ちょっとおまいら、広がりすぎだぞ!イヅモは俺らの地とする。」
A民族の家来が言いました。
「それは困ります。もう国ができていて、ヤマトも定住しております。」
D家来「ダメだ。俺らの地域を広げたいのだ。それに稲作を全国に広めて、大王に貢がなければならないのだ!」
A家来「実は、私たちには既にとても賢いミカドが居て、私達の中心を担っています。そのミカドを中心に政治を行い、村、県、国があり、それは私達にとっては、何よりも変え互い”宝”であり、”神”なのです。」
スサ「なんだと!?神のような宝のお人は俺らの女王のことじゃ!」と言って、剣を振りかざしました。
A家来「ちょっとまってください!『わ』は、戦いは懲り懲りです。ちゃんと話し合いませんか?」
スサ「いいだろう。話は聞いてやろう。」
スサが靴を脱いで、イヅモの国の『シャムショ』に入ると、それはそれはとても美しい弦楽器の音色が聞こえてきました。スサは、一瞬にしてその音色の虜になってしまいました。
スサ「これは、どこから聞こえているんだ?」
A「姫がハープを弾いておられるのです。」
スサ「ハープ?なんだそれは?この音色は琴に似ているが?」
A「ええ。そうです。琴でございます。」
スサ「弾いてるおなごを見たい。」
A「では、こちらからこっそりどうぞ。」というと、ふすまを少し開けました。
スサが覗くと、それはそれは美しい女性が琴を弾いておりました。

この日より、スサはイヅモから帰ってこず、業を煮やした南側の頭がイヅモにやってくることになったのです。何度もイヅモに来てスサを説得しましたが、荒くれもので独立心の強いスサは、南にはもう帰るつもりがないと言いました。

やがて、スサが寿命を終えてその6代目の息子になったとき、南側は一層強く出ました。
とうとう南側の頭の強引な押しに負けて、A民族は「それでは相撲で勝った方がこの国を支配するものとしましょう。」と提案し、南の頭はそれに応じました。
後日、相撲大会が始まりました。
A民族は土俵を聖なる場所の意味でロープを張り巡らせ塩で清めると、国の”神宝”をかけた聖なる戦いです。
「ハッケ・ヨイ」「ノコッタ・ノコッタ!」
結果は、南側が勝ちました。
しかしA民族は、どうしても自分たちの”神宝”を無くすことはできないと懇願しました。
南側は、それでは仕方がないと、今存在している”神宝”(人)は ”神”として残すことを許しました。そして北側にも米を作るように命令し、南側のミコトを崇めるよう命令しました。実質上、支配は南側がすることになったのです。

そのころ南側は、イセを中心とし南側の国々を稲作によって統治しました。鉄器や土器は仕事をするための道具でしかなかったため、北側が作ってきたような芸術的な土器や土偶は誰もつくりませんでした。
北側では民が喜んで神宝の墓を作って花や土器・土偶をお供えしましたが、南側では半強制的に大きな大きな墓をつくらされ、稲作をやらされ、飾りっ気のない土器を大量に作らざるを得ませんでした。王の墓には生きたままの馬や人間が一緒に埋められました。

一方北側では、年に一度、祭りをしていました。
スワでは、神が宿るとされる大きな柱に乗り、山を滑り落ちるお祭りです。(この民族の中では、神は木に宿るとされていました。)
そしてもう一つは、神の山「モリヤ山」に鹿を生贄にする儀式です。
また別の地域では、「エッサ、エッサ」と言って神輿を担ぎ、楽しく且つ面白く、好奇心旺盛で新しい物好きな日本人を巻き込み、また他民族もそれを進んでやりました。神輿は祭りの最期に神殿に持って行かれ納められました。Y民族にとって、神輿の箱が毎年別の神殿に移動することが重要だったのです。
作詞作曲に長けたY民族は、ヤマト言葉とそれぞれのY民族の言葉を主に囃子詞として歌詞の中に入れて、いくつもの歌を作り皆で歌いました。
意味が分からない民族にとっては掛け声の入った元気の出る歌として、また、意味が分かるY民族にとっては隠れた合言葉のように、誰もが喜び唄える(ヤーレンな)歌として、歌い継がれたのです。
イヅモの国は実質上奪われましたが、儀式や言葉はこうして残っていったのでした。




つづく

もちろんフィクション(空想)です。

国大トマヤ 国ルヅイ、日

2019-09-30 20:06:30 | 物語
 はるか遠くの大陸での戦いに敗れて、A民族は遠い東の最果ての地にたどり着きました。
そこには既に定住民がいて、彼らを不審そうに見ました。最初こそ警戒した面持ちでしたが、A民族が両腕を上げて無抵抗を示すと、すぐによく分からない言葉で挨拶をしてきました。A民族も自分たちの言葉で挨拶をしました。
A民族の民衆は皆、疲れ果てていました。頭(かしら)が振り返って「ここが最果ての地だ。もう、これ以上大陸はない。」と言うと、皆はうなだれて座り込みました。

A民族は原住民と言葉が通じなかったため、最初はお互いあまりコミュニケーションをとらず暮らしていました。この東の最果てに来てまで争いたくはなかったし、なるべくなら上手くやりたいと考えていたので、下手に話しかけて誤解が生じるのを恐れていたのでした。
しかし、原住民の生活ぶりや謙虚さ、清潔感を見ているうちに、とても親切で真面目な民族だと分かってきたので、ある日A民族の方から声を掛けました。
話しかけられた原住民は、最初は戸惑ってあたりをキョロキョロしましたが、すぐに少しだけA民族の言葉を分かってくれる者が現れました。その人の見た目は、一見原住民と同じですが、A民族と似た言葉をいくつか持っていました。よくよく聞くと、祖先がはるか遠い大陸だということでした。
年月が経ってとても暑くなったころ、他の民族が船でやって来ました。そしてもっと年月が経って、丁度よく暖かくなってきたころ、また、他の民族がやってきました。
A民族は、南側がどうなっているか調査することにしました。すると、南側にも人が住んでいる事が分かりました。自分たちがはるか通り大陸から来た千年前の言い伝えには、南側は気が生い茂り誰も住んでいないことになっていたので、葦原になってヒトが住みついているのには、驚きました。
A民族の調査隊が細かく調べてゆくと、北側には8つの民族が、南側には3つの民族がいることが分かりました。
そこで、A民族は思いました。
また、いつか大陸で起きたように、民族同士の争いが起きないようにしたい。そのためにはどうしたらいいか?と。A民族はせっかく作った国を奪われたり自分たちの言葉を使わないようにされたり、それはそれは大変な目にあってきたからこそそう思ったのです。

早速、それぞれの民族に思い切って声をかけることにしました。そして、11民族の頭を集めることに成功させるのに実に12年かかりました。
12年かかった理由は、まず言葉が通じないことでした。次に村民から民族の頭にたどり着くことと、合わせてもらうのが大変でした。そこで自分たちの宝物である弓矢をプレゼントとして持って行ったら、相手もお返しをくれました。やりとりする中で、ジェスチャーや大地に絵を描いて交流しているうちにようやく簡単な言葉が通じるようになりました。

集めた理由はもちろん、「民族同士が戦いをしない為にはどうしたらいいか」という会議をするためでした。

彼らはまず、”言葉の会議”を開くための統一した言葉を作ることにしました。
最初に、物を目の前に持ってきて、その物の名前を石板にチョーク石で書き合いました。次に挨拶や感情をジェスチャーを交えて書き合いました。蛇がのったくったような文字を書く民族もあれば、記号のような文字、絵のような文字や、粘土に木の棒で溝を作る文字もありました。
そして石板がチョーク石で真っ白になってくると、今度は音を聞き取りました。ある者が、全ての民族に共通する音が「AIUEO」であることを言いました。AとEの中間などもありましたが、紛らわしいから、皆が分かりやすい5つの音に絞るのが良いとのことでした。それを母音とし、皆で子音を考えました。「AIUEO」を横軸にして、縦に子音を書いてゆくといいよ、とある民族が言いました。皆その提案に納得し、どの民族にもとても分かりやすくハッキリ発音できる言葉48文字が出来上がりました。

次に、石板にチョーク石で円を書き、12分割して1つ1つのマスに民族の頭が、”自分の印”を書き記しました。最後の1マスは”今決める”でした。今決めるの時には、A民族の考え付いた”ジャンケンポン”をすることになりました。
そして、言葉を絵にかいたりジェスチャーしたり物を持ってきて、一つずつこの12分割したルーレットでどの民族の言葉で呼ぶかを決めてゆきました。
そして決まったのは、私達=『わ』(のちに個人を指すのを『ワレ、ワイ』などになった)、民=『ヤマト』、尊敬できる人=『ミコト』、水=『みず』、匂い=『ニホヒ』、書く=『カク』、住む=『スム』、空=『アマ』、太陽=『ヒ』などなどです。

そしてやっと、それぞれの民族が争わないようにするにはどうすればいいか、という会議の本題に入った時には、実に16の季節が過ぎていました。

11民族の頭たちは、よくよく話し合ってあるひとつの結論が出ました。それは、「全民族の全民族による全民族のための、とても大切な宝物のようなモノをたった1つだけつくり、それをみんなでずっとお守りする。」というものでした。
早速、行けんを交わしました。

「やはり水だろう。水がいちばん大事だと思う。」
「いや、船だな。船こそいいちばん大事だ。」
「米だろ。米がなくては生きてゆけない。」
「いや、山や川、風と木といった自然ですよ。自然は人間を生かしてくれています。」
「太陽です!絶対に太陽です!」
「いや、星空ですよ。」
「マンモスの骨だと思う。もう絶滅してしまった。だけどあれがなければ我々は存在していなかった。」
「金銀銅だろ。」
「いやいや、だとしたら鉄だろう。鉄を飛び越えて金銀銅はないだろう。」
「しかし、物はいつかなくなってしまうのではないだろうか?」
「うむ。それに水や自然や星空というのは、全世界にあるから『ワ』だけの永遠なる宝物にはなりえない。それにそれらのモノは『ワ』が守るものなんて言ったらおこがましすぎる。『ワ』は自然に守られているのだ。」
「私は、神様だと思うんだけどなぁ。」
「神様とはなんですか?」
「そうだそうだ、神様ってなんなんだ?」
「神様とは、尊いお人のことです。賢くて、いつも『ヤマト』のことを考えてくれている人です。」
「それは、すごい人だ!その人はどこにいるんだ?」
「そうですね・・・・”全民族の”となりますと。」
「そっか、今はいないよな。」
「そうだよ。物じゃなくて動物でもなくて、人がいいんじゃないだろうか?」
「え?なんで?人はいつか死ぬじゃないか。」
「いや、そうとも言えないぞ。人は子を産むからな。」
皆「あっそうか、なるほど」と思いました。
「だけど、誰がなるんだ?この中から選ぶのか?」
「この中ねぇ・・・・」皆お互いを見回し合いましたが、パッとしません。
「男じゃなくて女の方がいいのではないだろうか?」
「確かに女は子を産むから、神々しい。俺たちには絶対にできないからな。」
「だけど、大陸では女は戦わなかった。それどころか、勝った民族の奴隷か妻となってしまったぞ。もしも大陸から追いかけてきた民族が、『ワ』宝みたいな神様みたいな人を妻にとられてしたらどうなる!?」
「ぞっとするなぁ。そのお子を大事にする気にはとてもなれんのう。」
皆は黙ってしまいました。
「じゃあ、こうしよう。最初は女、そして全ヤマトのなかで、いちばん賢い男がその女性と結ばれる。その子を『ワ』の神のような宝としようじゃないか?」
「なるほど!そうしようそうしよう♪」
そして11民族の調査員たちが、その神の産みの親となる優れた女性を探す旅に出ました。その何年か後、11民族の頭か民族一賢くて力があってヤマトのことを考えている人間を候補に出して、その中からその女性に決めてもらいました。

ある民族が『ミコト』のエンブレムをデザインしてくれました。たった今決めたかのように出されましたが、本当はその民族が遠い大陸の国家で使っていたエンブレムで、太陽のような花のようなマークでした。それは、上でも下でもなく中心に、神のようなヤマトの宝があり、民族が結集したという意味も込められていたので、皆とても喜びました。



 月日が経ち、西暦574年、あの女性から生まれた息子の息子の息子のそのまた息子の・・・・・息子が馬小屋で生まれました。その王子は11種族の家庭教師から数学、歴史、社会、理科そして、世が平和であることの尊さ等を学び育ちましたました。よって11の言語を自然に身に着けました。
王子が成長すると政治を任されるようになりました。大陸の国へ大使を派遣し、新しい文字を取り入れました。そして良い所だけを真似し、自国の良いところは残し悪いところを直したりしました。
仏教を取り入れることにより、百済と仲良くなりました。百済からやって来た宮大工に法隆寺を建てさせました。百済の宮大工たちの仕事はそれはそれは素晴らしく、大きな仏像や、今で言うスカイツリーと同じような耐震能力のある5重の塔などを作りました。それまでは大きな柱を土に埋める手法でしたが、固い土台を作ってその上に建物をたてる方法に変わったのです。
外交するにあたり必然的に、国名が必要であること、部下に位が必要であること、どこからどこまでが統一された我が国と言えるのか、などを決めなければならなくなりました。まだそれぞれの民族の細々(こまごま)した国しかなかったので、全民(この最東の地にいる全民族ヤマトたち)の国という意味で『ヤマトの大国』又は『ヤマト大国』と表現してみました。
しかし、勝手に向こう側の文字を当てて、”邪馬台国”(邪悪などに使われる邪が使われた)などと言われてしまったため、今度は私達の国という意味の『わの国』と表現したら、『倭の国』(小さい人の国)と言われてしまいました。
大陸の王はわざと良くない意味をもつ文字をつけてマウンティングしてきたので、対等であることを分かってもらわなくてはならないと思い、大陸の王に宛てた手紙に、自国を「日、イズル国」と表現し、相手国を「日没する国」と表現して、”どちらも対等な立場ですキャッチボールしましょう。”という意味を込めて贈りました。
自国の中では、全民族が和をもって尊ぶ私達の大国という意味で『大和』と書き(やまと)と呼ばせました。そして、外交では「日イズル国」を強調すべく、『日本』と書き(ヤマト)と読ませようとしましたが、大陸からは”ニップン”と呼ばれました。向こうの国の文字で表現したものなので、読みが向こうの読み方になってしまうのは仕方がないと諦めました。
また、向こうの王が『王』ならば、こちらの王のような存在を天から生まれた王なので『天皇』としました。そうすることで、大陸の意味する『王』とは別ものと位置づけ、争いを避けたのでした。


つづく
もちろん、フィクション(想像)です。百田さんの本から学んだことを少々引用させていただきました。



『大切なモノ』編集終わりました。

2019-09-03 17:34:18 | 物語
いつもながら、アップしてからの編集大変すみません。
どういうわけか、アップしてから読むと修正箇所が続々と見えてしまうのです。
と、いうことでこの時間をもってようやく編集終了しました。
m(_ _)m
タイトルをどうにかしたかったのですが、よいタイトルが思い浮かばず「大切なモノ」となりました。どなたか、この拙い物語にもならない物語に、よいタイトルが思いつきましたら教えてくださいませ。

大切なモノ

2019-09-03 08:56:39 | 物語
 少女は、大事にしていたうさぎのぬいぐるみを壁に叩きつけた。その夜、自分のした行動を深く後悔したせいで、いつものようにうさぎのぬいぐるみと一緒にベッドで寝ることはできなかった。
翌朝目を覚ますと、少女はうさぎのぬいぐるみを眺めた。いつもならうさぎの方から朝の挨拶をしてきてくれるのに、その日はなかった。
うさぎのぬいぐるみに吹き込まれ始めていた魂は、昨夜の”投げる”という残酷な行為によってどこかへ去っていってしまたのだ。そのことを察した少女はとても後悔し、悲しみと寂しさでいっぱいになった。
そして、すっかり冷たくなったうさぎのぬいぐるみを抱き上げると、よしよしと手で撫でた。そうすることで、少しでも魂が戻ってきてくれるかもしれないと考えたからだ。
少女の部屋にあるおもちゃには多かれ少なかれ全てに魂が宿り始めていた。これはこの少女の部屋だからというわけではなく、全てのモノが可愛がれば可愛がるほど、また、使えば使うほど魂を宿すのは太古の昔からの事実である。かろうじて江戸時代のあたりまでの日本人は誰に教わるともなくその事をよく知っていたので、とてもモノを大事にしたものだ。(ただし、電子機器には魂が宿らない。)今では「モノに魂が宿る」と言っただけで頭がおかしいのではないかと思われるだろうが。

顔を洗うため部屋から出て廊下へ出た。リビングへ向かう途中の和室の一角を見て、少女は驚いた。
お雛様が飾ってあったのだ。少女はすっかりうさぎのことが記憶から飛んでしまうほど驚き、喜んだ。昨日の夜、母親が少女のために出しておいてくれたのだろう。あれだけ喧嘩したのに翌日にはこれだから親ってわからない。
少女はこの美しいひな人形が大好きで、去年は「だるまさんがころんだ」をして遊んだ。ひな人形たちは、少女が見ていない瞬間は普通に動いていて、見ている時はじっとしているのだ。
少女はそのことをよく知っていて、「だるまさんが・・・」まではゆっくり言っておいて「ころんだ!」のところを速く言って振り向くということを試みた。そうやって、どうしても人形たちが動いている瞬間をこの目で見てやろうと試みたのだが、うまくいかなかった。
今年こそ人形たちが、宴会か楽器の演奏している場面を目にしてやろうと決心した。

外へ出ると、空は青く木々は内に秘めた自らの魂を天へと伸ばし輝いていた。木々は後から魂が宿るのではなく、微量な光を放ちながら自らの魂を成長させている。だから木が動かなくても生物であることがよく分かった。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
朝から同じ場所に集まりキャーキャー叫びながら遊び回る同い年の人間たちは、木々とは比べものにならない程輝いていた。が、それと同時に昨日よりも汚れ初めていた。汚れの進みが早い子もいたが、少女と同じようにまだまだキレイなままの子もいた。それは、最初からある程度決められた定めのように一人一人色と明るさが違う。大人を見ると、いつかみんな同じ明るさになるんだということだけは分かっていた。

キレイとはどういうことか?例えば、少女にはまだ使える傘を捨ててしまうとか、まだ食べることのできる食べ物を捨ててしまうような気持ちは全く分からない。食卓のテーブルの上にこぼれたら拾って食べたし、自分の傘には必ず名前を書いて傘立てに置いた。魂の吹き込まれたものをそう簡単に捨てるなんてことはできるわけがなかったからだ。
しかし、そんなある日、帰りにふと傘立てを見ると、誰かに間違われて持って行かれたようでなくなっていた。その時は本当に悲しかった。その後、雨の日になると傘立てを確認したが、何日待っても帰ってはこなかった。持って行った子は、書いてある少女の名前を読めないのだろうか?と考えた。
”キレイ”とはこういう感覚である。
勿論、その時の自分にはキレイかどうかは分からない、分かるのは汚れた後だからだ。
なんでもそうだ。
恋人に別れを告げてからどんなに大事だったか分かったり、人に言えないほど不幸な目にあってから「あの時は幸せだったんだ」と分かる。
赤ちゃんを見て穢れがないと感じるのは、今の自分が穢れてしまったからだし、動物を見て美しいと思ってしまうのは、人間として生きている今の自分がどこか醜いと感じているからだ。
要するに、人は自分のいる場所を本当の意味では、分かっていない。その場から離れて初めて、そのような場所にいたのだと分かるのだ。

ある日、ある男の子が下敷きを見せてと言って、目の前で少女の下敷きをふみつけた。なんの意味があるのかは、分からないが男の子はそうした。
別のある日は、ある女の子が水入れを貸してと言ってきたので貸した。返ってきたとき、どういう使い方をしたのか分からないが、絵具がべっとりついていた。
その都度、嫌な思いになったが、そういう子もいるのだなと思って黙って自分で洗ったりして自己処理をしてきた。
(大昔、海外から客人が来日したとき、日本人が黙って外の所々にころがった客人の糞尿を掃除したのとよく似ている。昔日本には水道や排泄物の処理がしっかりなされていたが、外国では外のどこでもしていたのである。しかも日本人はその客人が帰った後も、そのことには触れず「良い時間を過ごしました。」という感想を残しているのだ。実にそれとよく似たエピソードである。)

少し成長した少女は日記を書いた。
日記に自分の気持ちを書くとどういうわけか日記が汚れた。書いている時は良かれと思って書いたのだが、後から読み返すとただただ汚いと思うだけだった。
その理由を考えたがなんとなくわかった。言葉は人間の思いを単純化してしまうからだった。本当の人の思いは、グラデーションのように、または、バイオリンのようにアナログに移り変わってゆくものだ。言葉にしたその瞬間には、その思いは嘘になっているということに気づいてしまった。雲が地上に落とした影を地面に描いた時には、もう形が変わっている。それが人の心なのだった。

思春期になって母親が他界すると、少女の環境はガラッと変わってしまった。あの時(子供の時分)は幸せだったのだと実感することが増えた。
そして、泣くことと溜息をつくことを自分に禁じた。
大切な人がいなくなっても、季節は秋、冬、春、夏、そしてまた秋と変化していった。秋は少女の母親がいちばん好きな季節だった。
母親は日曜日になるとコーヒーとレコードを嗜んだ。とくに秋にはその頻度が増したものだ。
母親が少女に読んでくれた絵本やレコードを父が捨ててしまった。少女に伝えられなかったがいつの間にかなくなっていたので、捨てられたのだと察したのだ。
少女は、大切な思い出を捨ててしまった父親を恨み、一言も口をきかなくなった。たったひとりの身内を恨みたくはなかったが、その時の少女にはどうしても父親を恨むという大罪を犯さざるを得なかったのだ。
そして、せめて母親の教えてくれたピアノだけは捨てられないようにと、ピアノの勉強をしはじめた。いくつか作曲もしたが、思いついた曲を録音する機器がなかったのと、音符に書き換える作業が遅く、なかなか捗らなかった。

そんなある日、ピアノは少女に語り掛けてきた。
それはハッキリとした言葉ではないが、どう弾かれたいかを教えてくれたのだ。それまで迷いのあった少女の音色には、徐々に迷いがなくなっていった。
少女は友達に、母親を亡くしたことを言わなかった。正確には、半分は言わなかったがもう半分は言えなかったのだ。
本当に嫌なこと・本当に悲しいことを人は簡単に口にできないものなのだとその時初めて知った。そして言わない(言えない)ことは、無駄なことではない。それは、言わないことで傷が癒されるという自分の中の自然治癒力を信じた証でもあったのだ。むろん、その時の少女にはそのようなハッキリした意思の下で”言わない”をしたわけではないのだが。

少女は全てを待った。ただ待つことで時間を味方にした。
今の悲しみをいくら説明したところで、誰が本当の意味で分かってくれるというのだろうか?分かるはずもないし、分かってくれというのはただの無駄な我欲であることをよく分かっていた。どんなことでもそうだが自分以外の者に対して「分かってくれ」と思えば思うほど、人との隔たりは酷くなる。それはまるで、オアシスを探してさ迷う人間が塩水を飲むようなものであるのだ。

激変してしまった少女を友達は理解できず、徐々に離れて行った。
少女はピアノを弾いた。受験の時は、ひたすら勉強した。勉強しすぎて、二次関数もlogの式も途中の式を書かずに(要は暗算)でできるようになっていた。
話してはならないことが増えると、人はおのずと無口になる。そうしているうちに友はいなくなり、その代わりモノと語り合った(本当にしゃべったわけでなない)。特にピアノとはよく語り合い、自分の思いを大いに表現した。

少女が進学すると、父親は再婚を決めた。
別にいつ再婚しても良かったのにと思ったが、一応、少女のことを思い長い間遠慮してくれていたようだ。そのころになると父を恨む気持ちもなくなっていた。
相手の女性は母親とは似ても似つかない人だったが、父親の恋人だから自分の好みは関係ない。ちゃんと紹介してくれただけでもよしとした。

「〇〇ちゃんは、将来なにがしたいの?」
気を使って父の再婚相手が質問してきた。
「まだ、わかりません。」と、少女は緊張のため、ある意味そっけなく言った。
「ピアノが好きだろ?それに関する仕事はしないのか?」と、父親が助け舟を出した。
「好きなことを仕事にできるのは、ごく一部の人だけだから。」

3人の食事が終わってレストランを出た時にはすっかり暗くなっていた。駐車場で女性をタクシーに乗せたあと、父親にとても大切なことを聞いてみた。
「お父さん」
「ん?なんだい?」
「あのひな人形、どこいった?まさか、”あんな高価なもの”捨ててないよね?」
「捨ててないよ。」
「嘘、でも今、家にないじゃない?」
「貸しトランクルームにあるよ。」
「え?そうなの?じゃあ、お母さんが好きだったレコードや、コーヒーメーカーは?」
「貸しトランクルームにあるよ。」
「そうだったの?!」
「あぁ。そうだよ。今度、鍵、お前にも渡そうか。」
「う、うん、ありがとう。」
じゃあ、あのうさぎのぬいぐるみもそこにあるのだろうか?ふと少女は思ったが、そこまで細かいことを父親が分かるはずはないと思い、言葉を飲んだ。
少女はわざと”高価なもの”がどうなったか聞いたが、それより気になっていたのは、あのうさぎのぬいぐるみと、母の魂の灯を分けてもらったモノたちだった。とにもかくにも、少女の魂の欠片も、母の魂の欠片も捨てられてはいなかった。ただ少しの間、別の場所にあっただけだったのだ。
少女は夜空を仰ぎ見た。そこには、太古の昔より随分数を減らしてしまった星たちが輝いていた。

      おわり




連載 『クレーマー』 一般の方々へ

2019-01-16 09:20:17 | 物語
・A型の方へ
大抵、血液型の話をしたがるのはA型の方です。
「私B型とは合わない。嫌い。O型っておおざっぱだよね~~(笑)」と、大勢集まってる中で堂々と言える図太い精神はどこから来るのですか?
「私A型だからいろんなことに気づいちゃって大変なんだよ。普段からB型やO型の尻ぬぐいしてるんだよ。」とB型O型の方がおそらく居るであろう場所でなぜ堂々と言えるんですか?本当、信じられない性格してますよね。”自分が一番大変だ”なんて空気の読めないアピールができる精神が凄いと思います。その図太さがあれば、どこへ行っても生きて行けるでしょう。

・公共の場で赤ちゃんを泣かせっぱなしのお父さまお母さまへ
「赤ちゃんは泣くのが仕事だから」とおっしゃります。はい、その通りです。赤ちゃんはどこでもいつでも泣くものです。
そのような時に、赤ん坊を産んだことのない人・ある人・子供嫌いな人・好きな人・耳の鼓膜が弱い人・体調の優れない人・イライラしている人・考え事のある人ない人・老若男女色んな人々がいる公共の場にて、どう他人に迷惑かけないか?どうしたら赤ちゃんが泣かないか・そして泣いてしまった時に泣きっぱなしにしないか、赤ちゃんに体力を消耗させないようにするにはどうするか、その対策を考えるのが、親の仕事です。
ちなみに、赤ちゃんは泣きたくて泣いてるんじゃないです。そのことをご存知ですか?何か不愉快なことがあるから泣いているんです。だからこそ、”泣くのは赤ちゃんのお仕事”なのですよ。
それに、赤ちゃんが泣くことは、出かける前から分かっているわけですよね?
そういうのを、何の対策もせずに威張って「赤ちゃんは泣くのが仕事だから!」と開き直る人がいるから、赤ちゃんを電車や飛行機に乗せる人全体が肩身の狭い思いをすることになるんですよ。

・自分の子供が言う「成人式はしなくてもいいよ。」という言葉をそのまま受け取ってしまう子供みたいな親へ
貴方が普段から「お金がない お金がない」とおっしゃっているか、クラスでいじめられていたかのどちらかですよ。
一生に一度のお祝い事を「しなくてもいいよ」と言う言葉の裏を考えもせずに、「あ、そう。じゃあいいわね♪」とホッとしているとしたら、相当親として・・・いや、人間としてどうかと思うのです。
また、それが女の子だった場合なおさらのこと。普通、女の子というのは、一生に一度は振袖を着たいしウェディングドレスを着てみたいし、おしゃれしたいものなのです。
ウェディングドレスなら何度か着られるかもしれないし一度も着られないかもしれませんが、振袖を着られるのはこの日しかないかもしれないのに、本人の「しなくてもいいよ」という言葉ひとつで、じゃあしないでいいんだな。と思うだけだとしたら、相当親としてどうかと思います。
しなくて後悔するのは、貴方ではなくお子さんの方だからどうでもいいのでしょうけどね。

・配偶者の悪口を平気で子供の前で言う貴方へ
配偶者は貴方にとって元は他人ですが、お子さんにとっては半分血を分けてもらった人です。貴方のしていることは、お子さんの人格の半分を否定しているのと一緒ですよ。
ちょっとお聞きしますが、貴方のご両親の悪口を毎日のように聴かされたら、貴方はご自分に自信もって生きられますか?

・仕事の愚痴を毎日子供に言う貴方へ
貴方が選んだ仕事で、貴方がうまく行っていないことをペラペラしゃべって恥ずかしくないですか?
貴方のお子さんは将来、「どうせ好きな仕事には就けないんだ。それが当たり前なんだ。」「仕事ってただ辛いだけなんだな。大人になりたくないな。」「人間関係って大変だな。社会とは世知辛いものなのだな。」と思う大人になるかもしれません。
ご自分のお子さんをそういう人にしたいのならどうぞ続けてください。


 byクレーマー冴

つづく

連載 『クレーマー』 ~公共のお仕事に励む方々へ~

2019-01-07 12:15:01 | 物語
市役所の電話対応:
 市役所に用があって電話しましたところ、部署につなぎますので少々お待ちくださいと言われたまま10分くらい待たされたことがあります。
まずはみんなの税金で創られた公共のサービスなのに電話料金を取るのもどうかと思うのですが、それはまだよしとしまして、保留の音楽を聴かせたまま10分間も待たすというのいかがなものでしょうか?その間も通話料金かかっているんですよ?それも携帯電話の通話料が。
こういうとき、一般の企業ではどうしているか教えてあげましょう。
待たせる時間が長くかかりそうな時やどのくらいかかるか分からないときは、とりあえず要件を聞き出してから「こちらから折り返しお電話しますのでお客様のお電話番号を教えてくださいますか?」と言って、電話番号を聞き出し一度切るのです。そして要件に合った調査などして準備が整いましたら相手に折り返し電話しなおします。
これが、一般社会の常識です。
それから、マイナンバーは何のために導入なさったのでしょうか?戸籍関係は未だにその時本籍があった役所へ行かなければもらえません。いい加減、このIT化社会にあったシステムを導入しようとお考えになられないのですか?そのためにまずは、セキュリティーからですがそこもまだ手付かずですかね?日本は不便な上に、自国の国民の情報すら守れない国なのでしょうか?日本には、真のIT技術者が公共の場にいらっしゃらないんですか?

私の通っていた小学校の女の先生:
私の通っていたあるG県T市立K小学校4年生の時の担任の話です。年配の女性のみのわっか先生(仮名)が担任でした。テストの答案用紙を返されたある授業中、いきなり、私の70点とった算数のテストの答案用紙をみんなの前に晒して、「みなさん、こういう間違いしたら恥ずかしいですよ!」と間違った箇所だけをおもしろおかしく恥ずかしく紹介されていましたよね。
そのようなことが多々あったため、私は嫌になって学校を1週間ほど休んでおりましたが、やはり学校へは行かなくてはならないと思って行きましたところ、その行った日にいきなり算数のテストがありました。私が通っていなかった間に授業をやった箇所でしたので、私には全くわかりませんでした。
そしてそのみのわっか先生(仮名)によるいじめが嫌で、また2日ほど休んでおりましたが、なんとか自分を奮い立たせ学校へ行きましたところ、朝まだ先生が来ていない時間に私の机に0点の答案用紙が置いてありました。いつからおいてあったかは分かりません。勿論、男の子だちにはからかわれるし、とても恥ずかしい思いをしました。というより、なぜこのような個人情報を私がいない日に配るのでしょうか?普通、休んでいる生徒の答案用紙は返しませんよ?
今でも分かりませんのでお聞きしますが、貴方は何が目的だったんですか?なんで先生になられたのでしょうか?教えてください。5年生に上がる時、私には3人の仲の良いお友達がおりましたが、なぜか、学年に4組までしかないクラスに、4人全員が見事にバラバラにされたのです。

ゴミ収集のお仕事に励んでいらっしゃる方へ:
ある自治体でのゴミ対策をTVで見て「なんじゃそりゃ?」と思ったことがあります。
ゴミ袋に少しでも異物(例えば燃えるゴミの中に空き缶が1つ混ざっている等)が入っている場合、(ゴミの中の郵便物等により)その持ち主が分かった場合は、収集所から再び車でガソリンを使って戻ってきて、その家まで届けるそうですね?
人間、1000個のゴミがあったら1つくらい間違えることもあるとはお考えにならないのでしょうか?
貴方たちの仕事は、人の個人情報を探ることですか?受け取ったゴミをただそのまま集めるだけですか?
今時、小売店のパートのおばちゃんだってレジしかしない人はいません。掃除もするし、お客様のクレームも聴きますし、従業員で共有している水場や休憩所の掃除くらいします。その他諸々店長を助けるために書類整理だってすることがあります。
こういっちゃなんですが、私たちは別に仕事を持っていまして、ゴミの分別はボランティアでやっているんですよ?
それを、一般の方の税金からお給料をもらって仕事としてやっているはずなのに、少しでも一般人の尻拭いをしたくないのですかね?
その上貴方たちは、一般人は意地悪でわざとゴミを混ぜているとお考えなのですね。貴方たちのその考えに私たちはとても悲しく思います。貴方たちの考える一般人の社会って世知辛くてとても嫌な社会なのですね。
それから、ゴミ袋の代金を払って久しいのですが、いったいいつになったらプラスチックと一緒に燃やせる高機能な焼却炉を作ってくださるのでしょうか?ゴミ袋を有料にしてから現在まで、いくらくらいそのお金は溜まりましたか?分別させる・払わせるだけじゃなく、きちんと予算を教えてください。

電車内のアナウンスをしてくださっている方へ:
中川家の弟さんとかななめ45°の方が真似されているようなしゃべり方をされると、とても聞き取りづらく困っています。
特に初めて乗った電車の時、全然わかりません。やっている側は楽しいのかもしれませんが、聞き取りづらいアナウンスはやめていただきたいのです。仕事を楽しくすることは素晴らしいこととは存じますが、もう少し聞いている私達の身になってしゃべっていただけないでしょうか?


 byクレーマー冴

つづく

連載 『クレーマー』 ~技術職編~

2019-01-05 09:47:41 | 物語
歯科医院にて:
 「あのぉ歯科助手さん、手袋、破れてますよ。それも誰が見てもすぐ分かる程度の破れ方。破れたままで良いのなら何のために手袋してるんですか?というか、誰の為にしてらっしゃるのですか?ご自分がいいからいいと思うんですか?貴方は手だからいいけど、粘膜のお口を開いている私は嫌なんですけど?」
でも破れているだけならまだましです。私が1回だけ行ったもっとひどい歯科助手さんがいました。
私の前の患者さんが年配女性だったのですが、その患者さんが帰り私に代わっても、前の方の入れ歯のにおいが助手さんの手袋からぷんぷん臭ってきたという悲劇がありました。
これはどういうことでしょう?そうです、患者ごとに手袋を変えていないのです。
手袋を変える手間とコストを省くということは、その他の患者さんから見えない所はきっとコストを省いていることでしょうとも。
もしもここで何か感染症をうつされたとしても何の証拠もありません。この歯科医院は責任をとってはくれません。皆さま、こういう歯医者さんにご注意を。
どちらの歯医者さんにしても、院長の日頃の教育が目に見えるようですね。何をいちばん大事にしているか、よく分かります。

美容師さん:
濡れた髪の毛を豚の毛のブラシでブラッシングしたら、痛むってことくらい素人だって知ってますよ?なのになぜ、豚の毛のブラシを使ってドライヤーを髪の毛にくっつけて乾かすのですか?お客様の髪の毛を痛ませるのがあなたのお仕事なんですかね?楽しそうなお仕事ですね。
それから、東京世田谷区と杉並区の境目あたりにある1000カットのあなたのお店の女性美容師さんですが、とんでもない嘘をつく人ですね。
私がこう聞いたんです。「どうしたら、TVに出ている女性たちみたいな艶々な髪の毛になれるんでしょうかね?」
女性美容師さんはこう言いました。「ブラッシングするときに、思いっきり髪の毛をピーンと引っ張るんですよ。」
あのぉ・・・そんなことしたら、髪の毛伸びて痛んじゃいますよ。
このように美容師のみなさんはとても性格がいい人が多いようですね。
どうしたら素早く髪が痛むかをよくご存知でいらっしゃる。さすがはプロです。これからも堂々とそういうアドバイスをくれると助かります。あなたたちの言うこと・やることの逆をすればいいのですから。

耳鼻咽喉科さまへ:
あのぉ・・・私は花粉症を治したくて病院へ行ってるんですけど?

精神科医様へ:
話せば話すほど嫌なことを思い出すし、スッキリするどころかモヤモヤします。言いたくないことは言わなくてもいいよって言うくせに、言ってくれないと治療できないって言いますよね?その前に治療する気あります??精神科へ通って数年間薬を飲んでいるって人の話、結構耳にしますよ。

内科様へ:
体調が悪過ぎて行けません。運転したら事故る可能性がありますし、自転車を漕ぐ体力はありません。

企業様へ(医療系のことなのでついでに):
ある日、体調が悪くて会社を休んだら医者へ行けって言われたので、仕方なく休日診療へ行ったのですが、待合室で殆どの人が咳していたためインフルエンザを移されました。その上遠くまで電車で行ったので体調が悪化しました。
なんでもかんでも医者へ行けって言う会社も会社です。一日黙って寝てれば治る病気も世の中にはあるんですよ。国も医療費削減したい昨今なのですからもう少し考えて命令しましょう。

外科様へ:
「あなたあと1年で死ぬ可能性が90%ありますよ。と言われて本気にした男性が仕事をやめ、全財産を使ってしまってその後10年も20年も生きている」という話を聞きました。
きっと「医者は万全じゃない!」と言い訳なさるのでしょうね。分かります。

医学大学様へ:
なるほど。女医さんの優秀さが分かりました。逆にありがとうございます。どんな医者へ行けばいいのか、分からず迷っていたもので。

大学病院様へ:
待っている間に悪化しました。イライラと不安感はどんな病気も悪くします。じっと座っているって結構疲れるんですよ。忙しい先生方には分からないのかもしれませんが。

消費者センター電話相談:
消費者センターに電話すると、20秒につき10円かかります。

命の電話:
通話料普通にかかります。お金がなくて餓死寸前の人は控えめに。

  byクレーマー冴

つづく


連載 『クレーマー』  ~スーパーマーケット編~

2019-01-02 09:01:51 | 物語
 『わざわざ客である私の手を握っておつりを出す事をサービスだと思っている店員さんは、アイドル気取りですか?
なぜ見ず知らずのあなたに手を握られて喜ばなければならないの?馴れ馴れしすぎるし気持ちが悪い。すぐにやめてほしい。そういうサービスは水商売でやればいいのです。』

この日本はサービス大国になりすぎて狂ってきた。ただただ声の大きい人や我儘な人や、いやらしいおじさんの言うことを聞くようになりつつあると思う。
もしも日本の半分の人数が(若くてキレイな女の子に)おつりを出す時手を握られたいって思っている人(おじさん)だとしても、「沢山の人の出したお金を触った汚い手で馴れ馴れしく触られたくない」と思っている人(女性たち)がいるとする。
このサービスの場合、店員は良かれと思ってやっている。やめてほしいと思ったとしても、気を遣うお客さんほど本人にやめてくださいとは言えないシステムだ。
しない方がよくないですか?
その上このサービスは人を選ぶ。おじさんが女性にしたらセクハラになるし、キレイじゃない女性にやられても男性は喜ばないだろう。こんな差別を生む可能性のあるサービスを続ける店のやりかたを疑う。

こんなスーパーがあった。
レジ袋が有料のスーパーでのことだ。
きつそうで強く言う(老人の)お客さんには、例えお弁当を買っていなくても(無料の)お弁当用のビニール袋を何枚も上げるが、何も言わない普通のお客さんには何もあげないのだ。
これでは、ルールを守って普通にしているお客様に損をさせていることになる。

こんなレジ係さんがいた。
くしゃみをした。人間だからくしゃみをするのは仕方がない。
彼女のくしゃみは彼女の右手で押さえられたので、こちらに唾が飛んでくることはなかった。そこまではまだよしとしよう。だけど、そのままの手でレジを続けるのはやめてくれ。
せめて洗ってくるか、最初から二の腕でくしゃみを抑えるよう心遣いしてほしい。
自分がやられても平気だからやるのかな?それとも他人の買うものだからどうでもいいって思ってる?

どちらがいいか考えてみよう。
「レシートいりますか?」っていちいち聞くのも大変でしょうし聴かれる方も面倒です。最初からくれればいいじゃないですか。いらない人は勝手に家に帰って自分のゴミ箱に入れればいい話。というか、なんでくれないの?レシートくれない権利がレジの人にあるのでしょうか?とそこまで言わないにしても、折角出てきてるんだから、くれれば良くない?
第一、一回一回聞く方が仕事増えますよ。

この世にはいろんな人がいる。サービス業をしている人に対してはせめてこう思う。
みんなに公平にできるサービスじゃないならしない方がよい。
(勿論、ルールにのっとってそれなりの金額を払った人や、障害を持っていらっしゃるお客様に対して手を貸すのは別の話だが。)
本日は以上です!  

  byクレーマー冴

 つづく

空の人(karanohito) ③新しい世界

2018-11-17 18:22:00 | 物語
 神は人間を救わない。というより救えないのだ。
それは人間の親が我が子を本当の意味で救えないのと同じである。
あの世に地獄はない。
よって、神が人間を罰することもなければ、救うことがないのは当たり前である。
「では神様って何の為にいるんだ?」と思うだろうか?実はそんな疑問が浮かんでくること自体が間違っている。
真実は、神様は人間の為に存在しているのではなく、人間が神様のために存在しているのだ。あらぬ方向へ進化して行く今では過去形で「いたのだ。」と言うのが正しいだろうか?
人間が神様のために生まれたのは、丁度人間が自らの子供を欲っして産むのと同じようなことである。
どんな子供も生まれたくて生まれたのではなく、親が産みたいから産んだのであって、言い換えれば子供は親の欲のために無理やり生存させられたのである。よってその最大の我儘を成した親は、子供の犠牲にならなくてはならない。親が子供の犠牲になることは至極当たり前のことなのだ。そして、最大の我儘を聞いてくれた子供を真に幸せにすることが親の役目なのだ。

では、親は犠牲になってまで何のために子供を欲するのか?

真っ新な心を持った人間ならすぐこう答えられるであろう。
「半人前が一人前の真人間になるためである」と。「そしてその喜びを、やがて親になる子供へプレゼントする為でもある」とも。
それは丁度、神がより格式高い神になるために人間を産んだのと同じことで、神もまた自然界の上を目指すことが心からの喜びなのである。
それがどうであろう?今の人間ときたら・・・・・
子供に虐待する親、子供に自分の我儘や理想を押し付ける親、子供に孤独という最大の悲しみを我慢させてまで働きに出る親、過保護に育てあげたあげく最期には放置する親。最初から全く育てる気もないのに出来たから産むだけという親。

神様は考えた。そして空想した。
もしも、空の人を地球に沢山送ったなら、人間たちのヘドロを沢山吸い取って人間の心がキレイになるのだろうかと。しかしそれには、空の人の原料である雲を大量に使ってしまうし、地上に降ろされた空の人があまりにも可愛そう過ぎる。とすぐにその考えをとりやめる。
それどころか、空の人の実直でけなげな生活ぶりを毎日見ていると、むしろ空の人をあの汚れた人間界から救ってやりたくなってきてさえいるのだ。
神はふとこんなことを思った。
「空の人だけの惑星を作ったらどんな世界になるのだろう?
もしかしたら、素晴らしい世界が出来上がるのではないだろうか?」
神様はその世界を見たいと心から思った。

早速、遣いの者を集めて会議を開き新しいプロジェクトについて話あった。

神様「ワシは新しい惑星に新しい世界を創ろうと考えている。」
遣いA「どのような世界でしょう?」
神様「今人間の住んでいる地球という惑星にモニターの空の人を送っておるが、様子を見れば見るほど人間はあらぬ方向へ進化しつづけている。これは親であるワシの責任だから、もちろん地球にいる人間の方はワシが最後まで責任をもって観察しつづけよう。しかしだ、別に新しい世界を作ろうと考えたのだ。それは、空の人だけの世界だ。」
遣いB「はぁ?空の人は神にはならない人ですぞ?それの世界を作ってどうなさるのでしょう?」
遣いC「そうですよ。おかしなことを言いますね。私は反対です。それこそ、終わりのない課題を背負ってしまうことになってしまいますぞ。」
神様「ワシに終わりなど最初からない。」
遣いC「そうは言いましても、神様、あなただっていつ引退したくなるか分からない。課題を放棄した神様がどれだけいらっしゃったことか。」
神様「それは否めない。しかし、ワシの課題は人間の成長を見届けることだったが、もうそれは望めない。これからも見届けるが、ワシがどうこうできるものでもない。このまま永遠に過ごせと言われてもワシにも酷なのじゃ。」
遣いD「分かりますとも。新しい課題を作ることは良い事です。それに、空の人たちがどのような世界を作るかは、私にも興味があります。賛成します。」

1000人の遣いとの話し合いと多数決の結果、賛成が多かったため空の人だけを集めた世界を作ることにした。
その内容はと言えばこうだ。
まずは生まれたての真っ新な空の人だけを集めて生物として生活することができるかどうか様子を見る。次にもし必要があれば地球に住んでいる空の人を呼び寄せて一緒に住まわせてみる。
何のノウハウも与えない。神様は今まで通り手をださない。
以上だ。

早速神様一同は、住み心地のよさそうな(H2Oの水と窒素空気でなくてもよい)惑星を探し出すと、雲の粘土を製造し1000体の空の人を創った。地球に送った空の人同様、一応は男女半数づつ創ったが性格の違いは個人のものだけで、男女の考え方の違いは全くなしにした。全ての能力においては、これまで通り人間の平均値をとった。

時は経ち、新しい世界を創って100年ったっても空の人たちの世界は、平和で楽しそうにつつましく暮らしていた。土をかまくらのような形にして家を建て、ドアや窓枠には寿命直前の年取った木を乾燥させて使った。
花を飾りたいときは庭や家の中に種を植えた。
言語はずっとひとつの言語を使われた。空の人は最初から超能力を持っていない。人間のように最初一体だったわけではないので、心は通じ合わない。だからこそ言葉はとても重要なものとなった。話すときは誤解のないように説明するし、無駄なことは言わない。もちろん、嘘や”からかい”も全くなかった。
心が真っ新な為か、誰も変なプライドを持っていないため、本当のことを指摘しても怒るものはいない。それどころか、言葉で本当のこと以外なにを言うのか?というのが彼らの気質だった。
ひとりひとりが自分の性格に合ったことを仕事にし、ものの価値は通貨で測った。
仕事の大変さは、かかる時間と、体力と、必要とされる知識数、そして就業できる人数とその時代の社会に必要とされる指数で測った。よって社長より技術者の方が沢山給料をもらっているということも稀ではなかった。

通貨はモノの価値を測るためのものであり、足るを知る空の人は誰も独り占めしようとは考えなかった。それより、誰もが困らない社会を彼らは目指した。誰かが困ってしまう社会は社会ではないという考えを彼らは自然と持っていた。
しかし、動物たちの”(地球の言葉で言う)弱肉強食・食物連鎖”は自然の道理であるのでそれはそれで自然であったし、自分たちの価値観を動物に押し付けるなんておこがましいことをする者は居なかった。
ソラが来たのは世界ができて30年後のことだ。
地球にいたソラは色々な経験をしてひどく傷ついていた。ある日、人間界に疲れ果て自死しようとしたため、神様が呼び寄せた。
かつて地球でスターだったあのスポーツ選手も、体が不自由になったら誰も見向きもしなくなったばかりかバッシングを受けるようになり、心が荒んでいたため呼び寄せた。
二人の空の人は、地球との落差に戸惑いながらも穏やかな老後を過ごした。老人になって初めてきた惑星なのに懐かしささえ覚えたし、生物として共感できることが沢山あった。二人とも元々真っ新な人なので、言葉を覚えるのも早かった。
家を買う時にはお金はいらない。空の人の中でもリーダーにあたる人が大工を呼び寄せてみんなで暇な時に作る。
家が完成したとき、ソラも元スポーツ選手も、覚えたての言語で心から感謝を伝えた。それだけで、空の人たちは喜び、その喜びの心で音楽を奏で、誰かがおいしいものをおすそ分けしてくれ、自然と新築祝いのパーティーになった。
空の人たちは正直が故に誰も無理をしない。自分の能力を過度に出力したりしない。無理をしないから、無理やり「ありがとう」と言われたがったりもしない。全てをそのまま受け止め、他の者の幸せに共感し、悲しみにも共感し、それを自分の中で2倍にも3倍にも膨らませることができるのだ。よって、人間界にはないような、きめ細かな感情を表現する言葉も存在していた。
後に車もつくられるが、最初から洗練された車が作られた。生き物や物質に対してセンサーがついている上に、地面に接着せず走るので、小さなゴムボールが急に飛び出してきても飛び越える。絶対に生物を轢かない車が完成するまで製品化しなかったくらいだ。
パソコンも後にできるが、最初からほとんど故障しないパソコンが作られた。水に浸しても落としても壊れなかった。しかもOSを更新すれば永遠に使えたし、新しいOSが発明されると、元のOSと共有できるようにした。

もしもこの暮らしを人間が見たら、「平和過ぎてつまらない」とか、「そんなことはあり得ない」とか思うのだろう。しかし、彼らには多いにこれが普通のことであると同時に幸せだった。
ソラも自分ができることを考えた。この世界には年齢で定年になったりしない。能力がある限り使えばいい、使えば使うほど磨かれるのだから。そして疲れたら休めばいい。そういう考え方の世界なのだ。
だからソラは死ぬまで自分ができることを考え実行し、また沢山休養しゆっくり過ごした。地球で子供ができなかったソラは、空の人たちの子供たちの面倒を見ることにした。
空の人たちは子供を犠牲にしてまで無理して働く必要がなかった為、子供の面倒を家族以外の誰かに見てもらうという概念はなかったのだが、ソラが子供に関わりたがったので、その考えに共感しそれを実現させるにはどうしたらいいかを皆で考えた。そして、通貨を出してソラに見てもらうことにした。この狭い惑星だけの価値観で生きるよりは、子供たちにもよい経験になるだろうと一石二鳥と思うところもあったからだ。
ソラは地球の歌を教えたり、積み木やあやとりや洋服の作り方などを子供たちに教えた。
元スポーツ選手も、同じように自分のできることを子供たちに伝承した。空の人たちは運動をする必要はなかったが、地球のスポーツは真新しいゲームとしては楽しかった。しかし相手を打ち負かしてまで争って勝つという考え方を理解できなかったので、そのゲームはただただ楽しいものになった。
神様はその惑星を愛した。手を出すことはないし声をかけることもなかったが、いつも幸せな気持ちでその惑星を観察した。

一方地球では、人間社会の末期を迎えていた。
貧富のさが益々大きくなり、情報も健康も教育もお金を持っている者しか良いモノを得られない状態になっていて、教養はないが非常に頭の良い行動力のある若者が、”誰もが人間らしい生活ができる世界”を求めデモンストレーションをすると一気にその運動が広まった。
そこで、お金持ちから支援を貰っている地球統一大統領としては、彼らを一層せざるを得なくなってしまった。お金持ちはお金を出すから彼らを一層しろと要求した。
そしてとうとう地球大統領は、我が身の保身のために世界各地の核を爆発させたのだ。
お金持ちはみな、沢山の空気と水と食料が保存されている地下シェルターへ逃げ込んだ。地上には毎日のように死の雨が降り、大地は荒れ果て、シェルターのない貧困な者は数十年かけて全て亡くなった。
木は全て焼け果て、花は咲かず、動物たちもほぼ絶滅した。
その後、お金持ちたちは、何万年も地下で過ごしたが、そこでも新たな争いがあったかなかったかは、神様の目には届かなかった。

おわり


空の人(karanohito) ②神様の課題

2018-11-09 10:15:27 | 物語
 神様はやることがなくなってしまっていた。
帰ってきた空の人たちの心の中を見ることもなければ、アカシックレコードも見ることもなく数年が過ぎていた。
しかし遣いの者はどんどん冥土の土産であるアカシックレコードや空の人たちの心を神様宅に送り続けた。
とうとう8000もの心とアカシックレコードが溜まってしまったため、部屋がゴミ屋敷のようになり、きれい好きの神様にとってどうにも許しがたい状態になってしまった。
「観るしかないか。」
神様はしぶしぶ立ち上がって仕事を再開することにした。

神様は誰かから仕事を貰ってやっているわけではない。
自分で自分のやるべきことを決めてやり、それを一生しなければならない。神様に寿命はないから、一生とはつまり永遠にということである。自分で決めた課題から逃げた神様は、実は沢山いるが、そういった神様たちはどうなったかは定かではない。ただの人間として再び修業へ出たかもしれないし、二度と生まれない選択をしたかもしれないが、誰もどうなったかを知らない。なぜなら、結局のところその後の己の身をどうするかも、神様たちは自分で決めるからだ。
唯一、神様たちが太刀打ちできないのは時間の流れだけである。時間は前に進む。神もまた前に進むしかできない。過去に戻ったり今を止めたりする事はたとえ神でもできないのだ。
だから課題はどんどん山積みになるし、我が子である人間たちが暴走するのを止めることもできない。時間の流れは究極の自然であり、神様さえ逆らえない掟なのだ。

神様は最初に、以前の続きである3000番目に他界した2801番の心の中から見はじめた。
遣いの者が心にメスを入れる。
この空の人は、デンマーク人で寿命は87歳であった。心からは、汚いヘドロと臭いにおいが立ち込めた。やっぱりかと思った矢先に、ふと小さなダイヤモンドのような石が1つ出てきた。
その後も沢山の空の人の心にメスを入れたが、ほとんどはヘドロやゴミや凍てついたサボテンが出くるだけだったが、約100人に一人の割合で小さなダイヤモンドが出てきた。
そのダイヤモンドの意味を知るために、その人たちのアカシックレコードからまとめて見てみることにした。
中でも、2801番の人生の概要はこうだった。
彼は広い土地を所有する農家に生まれ善き両親に育てられた。豚や鶏や犬を飼って家族仲むつまじく日々を過ごした。
円満そうに見える家族であったが、実は母親は彼が純粋過ぎて戸惑うこともあり、時には専門家に相談したりもした。しかしどの専門家の言うことも平均的人間の心理に長けている人物の書いた教科書の通りに彼を見るだけであり、2801番の本当の人間像とは少しズレれいて何か大事なところが違っていると母親は感じた。
やがて、専門家に委ねることはやめ、母親は自分の感覚を信じることにし、なるべく彼を自由に自然に生きられるようにしてやった。
2801番が小学校に上がると友達ができるが、その純粋さゆえにいじめられたり仲間外れにされたりした。(神様は純粋だからいじめるという感覚が理解できなかったが、人間はなぜかそうだった。)
両親は、彼が不登校になっても頭ごなしに怒ったりせず、また理由を彼自身が自発的に話そうとしなければ根掘り葉掘り聞くようなこともしなかった。とにかく一緒に遊んだ。かまどでパンを焼いている時間でも、洗濯板で洗濯しなければならない時間でも、いつも見守っていたし合間合間に必ず戻って遊びの続きをした。
学校へ行かないなら家で勉強する時間を作り自分で計画的にやるよう伝え、土曜日と日曜日は勉強をしなくていい日にして、農家の仕事を手伝わせた。
2801番は、両親と自然か天気の変化やと土の色と成分、動物の体調や農作物の育ち方を学んだ。
両親は子供の為ならと、沢山の時間とその場その場の工夫と愛情を注ぎ、両親は自分たちで考えながら2801番を大事に育てた。
時には夫婦の意見不一致により不和があったとしても、絶対に子供の前で喧嘩をしないと二人で決めていた。晩年は本当の意味で夫婦ひとつになり仲良く暮らしたようである。

2081番にはたった一人幼馴染の親友が居た。その存在が心の支えとなり、人間の汚さと向き合うことができた上に、冷たい他人の心だけではなく、良き友の暖かい心に触れることもできた。そのため徐々に不登校をやめ、中学からは同じ過ちを繰り返さないようどんなに嫌なことがあろうとも、とにかく親友のいる学校へ行き続けた。学校の先生も配慮して、毎年親友と同じクラスになるようにしてくれた。
高校は農業学校へ行き、卒業して親の後を継ぐと、順調に人生が進んでいったようだ。順調に進んでいった理由はちゃんとある。彼の吸収力と学習能力で人の心を察知するようになり、磨かれた用意周到な危険察知能力で不幸を招かない努力をしたからにすぎない。
2801番は、善き妻に恵まれ、子供を授かり、やがて大勢の孫やひ孫に恵まれ囲まれて多くの冠婚葬祭を経験してきた。
そのうち両親は他界し、親友も亡くなり、愛する妻を亡くしたが、沢山の子供たちに囲まれた人生はけして悪いものではなかったようだ。

人生の後半は言わば人生の達人の如く人の気持ちを察したり未来にどんなことが起こるか経験から想像がつくようになっていたようだ。農家だったため、食料にも困ることはなく健康を維持できた。
これが何度も生まれ変わった自我の強い人間なら、たった1回生きただけではここまで学習できなかったであろう。
2801番の亡くなる間際はまるで仙人(神様候補)のようであったが、残念なことに人間ではない空の人は仙人にも神様にもなることはなかった。

空の人にとって、日々人間に交わってする一つ一つの体験は、最初から1つの体だった普通の人間たちとは比べものにならない程衝撃的であると同時に一つ一つを確実に感受する。言わば、全く知らない国の全く知らない家族の中で下宿人として生きるようなものなのだ。
そのため、学習の速さは人間より優れ、もしもの時の非常時の想像も人間より素早い。1度起こったことのある悲劇を覚えるだけでなく、もくもくと原因と結果を色眼鏡のかからない純粋な心で追求する。
よって、不幸に見舞われる前に直観の如く(本当は経験によるもので直観ではないが)察知する能力がどんどん身についていくのだ。
人間の嫉妬する原因がわかれば、その原因になる事象をひた隠したし、沢山のニュースを大いに感受するので、普段から自然災害のキケンに備えたりもできていた。
また、人の死という悲しみは悲しみである事実は変わらないが、人はいつか死ぬという至極自然な悲劇を受け入れる心が両親の他界の時に身に着いた。勿論、子供たちや孫が生まれる喜びもそれと同じくらい感じることができたわけだ。
汚い人間の憎悪やつまらない”からかい”や、いわれのない嫉妬にひどく傷ついても、それを糧にすることができたのは、それまで培われた両親の愛情と親友からもらった勇気がいつまでも心の中に生きていた。
そうやって、その場その場で自分で学習し、磨いてきた結果があのヘドロの中の小さなダイヤモンドになったようなのである。
神様は、自分がモニターとして作った”道具”である空の人の今現在をリアルタイムで知りたくなった。というよりそうするべきだと思った。
そこで思いついた。まだ地球に残っている空の人たちに通信機能を付けることにしようと。言わば、今でいうクラウドと同期してアップロードする機能と同じである。

 その夜、ソラは久しぶりに飛ぶ夢を見た。
身体が宙に浮くと、見る見るうちに昇天し雲にたどり着いた。雲はソラを優しく迎え入れ、一体感と不思議なほどの懐かしさを感じることができた。雲を通り抜けると、爽快な天空の世界へ入っていく--。
そのほか地上の116人の空の人たちもその夜、同じ夢を見ていた。
孤独な風の音を耳にしながら夜空を抜け、「ばふっ」と少し湿気のある少し暖かい雲を抜け一体感となつかしさを感じ、ひとつの空という空間へ突入すると自由な爽快感があった。空気のベールがない紺碧の夜空には、ハッキリと天の川銀河の帯が見られた。

 神様は今地上で生きている117人の空の人のモニターを本当の意味でのリアルタイムで同時に見ることは流石に無理だったが、200倍速で観ることはできるのでたった1日で全員の1日分を見ることができた。
大抵の空の人達の人生は、人間から厳しい嫉妬と汚い憎悪を浴びせられていたようだ。しかし中には、スポーツ界の大スターになっている者もいた。その素直さ故、コーチの言う事をきちんと守り、真っ新で自由な想像力を働かせて多いに努力を楽しみ、そのようになれたのであろう。しかしそれは、奇跡に近い出会いが重なったからこそであり、そのような空の人はほとんど居ない。中には悲しいかな、通信機を埋め込んだその日に自死した者もあった。
神様は、空の人達をなるべく苦労しないように善人の下で生まれるようにしたはずだったが、人間の心の変化は著しく、また想像以上に酷い方向へ向かっていた。
外面はよくてもいくら金を持っていても、子供を虐待する親はいたし、親である自分の我儘を子供に押し付ける者や全く子育てをしようとしない親もいた。外でも多くの危険があり、事件に巻き込まれて殺された空の人も中にはいた。

紀元前0年までは人間の人数も少なくて観察できていたが、紀元1年からは人間が成長したこともあり見ていなかった。その間にずいぶん人間の心は濁ってしまった。いろんな色が混ざればヘドロ色や真っ黒になるのと同じように。
神から見た人間は、人数が増えれば増えるほど、退化していると言った方が早いようだった。確かに道具類は素晴らしく発展したが、人間の心身はどんどん疲弊し退化している。中でも、昔持ち合わせていた超能力がなくなってしまって、殆どの人間が予知能力や直観力、テレパシーを失っている。人数が増えたことによって、人間が人間一人一人を大事にしなくなっていて、かつて一体だったはずの自分たち人間同士の気持ちすらもつながらなくなっているようであった。
初期に分かれた者同士は肌の色が違ったりしたが、なぜかただそれだけで別の生き物のように扱っているのに、飼っている犬の方が家族扱いしていて、それはそれは不思議なことをしていた。
空の人たちだったなら、人間ではないのだから仲間外れにされたり戸惑うのは分かるが、人間として生まれた人でもいじめられたり差別を受けたり変人扱いされている者が存在するほどになっていた。
時には、数少ない者の私利私欲のために多数の人間を利用するケースもあった。恐ろしいことに、組織ぐるみで他の人間の命をも犠牲にしているケースもあったし、人の不安感を煽って巧に嘘の情報を流し大勢の人間を操ろうと考える人間もいた。


 神もまた、かつては人間だった。
何度も生まれることによって、己を磨き身も心も研ぎ澄ます。そして仙人になり、やがては神様になったのだ。それまで数えられないくらい転生した。しかし神は今地球にいる人間たちのように活きれば活きるほど狡さと色眼鏡でものを見るという現象はおこらなかった。
それなのに人間は、まるで自然界の上を見ることが正しい欲であることを忘れてしまったかのように、全くあらぬ方向へと進んでいる。嘘をわざとばらまき、無知なものを利用し、我が身可愛さに弱い者を犠牲にすることにさして悪びれることすらもなくなっている。
いや、もしかしたら数少ない人間はそのことに違和感を覚えていても、そこから抜け出せないでいるのかもしれないが。

神様は正直、自分の課題を葬り去りたいくらい困惑していた。
人間がまだ幼く数少なかった頃は、試練という課題を送りそれを達成させてあげていた。そうすることによって徐々に進化し、文明ができあがっていった。そして紀元1年からは人数も増え成長したからと自由に放任していた。あれから2000年。たった2000年しか目を離していなかったのに、こんなに何度も大戦争を起こし、その後平和になっても傷つけあうことになろうとは、思ってもみなかった。
中でもどういうわけか、世界でいちばん平和で四季があって過ごしやすい国が、いつもいつでも暗いオーラでおおわれている。それはとてもジメジメした色で、無知からくる嫉妬や誤解に溢れ、無駄な仕事を強要させられる空しさ・怒りと悲しみ。そしてわずかな人間たちの私利私欲と、忙しすぎて考える余地もない弱き者の閉塞感と息苦しさでいっぱいだった。
その国に住んでいるソラという女性の空の人が、次に自死するような気がしてならない。今はまだそんな気持ちはないようだが、将来を想像するとどうしてもそう思ってしまう。神様は、ソラを可哀相に思い、せめて他の国の人にさせてあげようと考えた。他にも、心が疲弊してきた空の人々を救うべく新たな手段を考えるつもりだ。いつしか神には、間違った欲にかられ傷つけあう人間よりも、素直で素晴らしい性質を持った空の人の方が孫のように可愛く思えてきていたのだった。

つづく




空の人(karanohito)  ①ソラという人

2018-11-02 08:21:14 | 物語
 真っ青な空が頭上に広がる。いつもの小さな公園に立っている大きなイチョウの木が金色の葉っぱを音もなく数枚散らした。平日のこの小さな公園に誰もいないことを確認しベンチに腰を下ろすと、犬の『ベン』のリードを外した。
ソラにとって、犬の散歩の時間がなによりも楽しい。歩くことが楽しいし犬を触ることも楽しい。その日の天気や風や自然に触れることが楽しい。
そして人知れずこっそりベンを自由に走らせてやったときの喜びに満ちて走り回る姿を見るのが何よりも嬉しい。
犬以外にも動物が自由にしている姿は、ソラにとって何よりも癒しであり思わず顔がほころんだ。だからソラは、動物が好きなのに動物園へもペットショップへも行かない。この犬も生まれたからどうぞと人から譲ってもらったのである。
考えてみると、小さな頃からずっと動物を飼ってきた。もちろん親が飼っていたわけなのだが、そのせいかソラも動物が好きな女性に育った。生まれた時には犬がいた。ソラが5歳の時にその犬が亡くなると、次はウサギを飼った。その次は猫で次は金魚、次はハムスターやリスを飼い、大人になった今はこうして再び犬を飼っている。
ソラは植物も好きで、美しい花はもちろんだが特に好きなのは大木だ。大木は何年も同じ場所にずっと生えている。そのことは少々飽きっぽいソラにとっては尊敬に値する。
小学校の写生大会などでも、人物や人工物はほとんど描かず植物ばかり描いていた。ある日偶然、美術の先生と同じところに座って隣でその先生の描き方を見てその場で真似し、金賞をとったことがある。それまで1等賞とか金賞とかに縁がなかったソラにとってそれは快挙だった。それから益々写生大会では植物たちを描くようになり、先生の描き方を思い出して描き金賞をとり続けた。

公園のベンチの傍らにある大木の金色の葉っぱたちを見上げれば真っ青な空も目に入る。「今日は天気がいいなぁ」ソラは空の青さに感動して思わず独り言を漏らした。そして毎日がこんな日ならいいのにと思う反面、雨も降らないと困るよねと思う。

 ソラはとても普通な人間だ。身長は160㎝中肉。髪は黒髪でストレートを肩らへんまで伸ばしている。IQは大抵120くらい。以前ネットでやった男女脳のテストでは男性脳が49%で女性脳が51%と、かろうじて女性脳であったがほぼ半分ずつといっていいだろう。これもまたネットでだが、内向的か外交的かのテストでは内向的でもあり外交的でもあるという結果が出た。
ブームには興味はあるがすぐには乗らない慎重派。曲はなんでも好きで、幼い頃おばあちゃんちに行った時は、祖父が演歌を聴いていると一緒に聴いたし昔のフォークやポップスも付き合って聴いたし、親に連れられてクラシックのコンサートにもよく行った。90年代の小室やR&Bも聴くし、つい最近の曲も聴くし洋楽も聴く。好きな歌手は、その時期に素晴らしい曲をなるべく沢山作ったアーティストであり、その人物を好きになったことはない。
好きな色も得にない。色のないモノなんてこの世に空気以外ないし、どんな色も意味があったりなかったりしてそこについているからだ。
好きな言葉もない。言葉に好き嫌いがあったらそれこそ大変だ。どんな言葉にも意味があってないのだから。
好きな作家もいない。素晴らしい本は素晴らしいと思うだけで、特定の作家が書いたから読むということはあまりない。逆に、顔や癖を知ってしまった作家の書いた物語は読みづらくなってしまう。

ソラには友達はいない。まぁ、友達がいないからこそこうして2時間もの犬の散歩ができるわけだが。
友達が欲しくない訳ではないができない。できない理由は分かっている。誰とでも満遍なく仲良くしてしまうからだ。まず女子が大好きな無駄な雑談というものができない。相談事を持ち出された日には、解決したいのだろうと考えてしまい合理的な発言をしてしまったのち、相談してきた女子がそれを欲していないことが分かるとどう接して良いか分からなくなり、徐々に縁が薄くなっていってしまうのだった。
とっさに気を利かせて話を広げるのも得意ではない為、”真面目”というレッテルを張られて孤立してしまうことが多かった。それでもいじめられたわけではなかったから何とか学校へ行っていたが、孤立感からくる寂しさは拭えなかったものだ。
大人になった今は仕事さえきっちりやっていればまぁなんとかやって行ける。職場が全てではないし嫌ならやめればいい。大人というものはよいものだ。決められた環境や与えられた物だけに縛られないでいいから。ソラは幼い頃からよく早く大人になりたいと思っていた。大人は好きなことを仕事にして自分の欲しい時に欲しい物を買えるから。と、そんな風に思っていた。
しかしいざ大人になってみると、好きな仕事には就いていないし、本当に欲しい物を手に入れられるほどの金額を実際に手にしたことはない。
それでも大人になった今はこうして、自分の意思で犬を飼うことを許され、自分の居場所を作ることを許され、なんとかまぁ職場は選べるし、自分の時間を作ることを許さている。そんなこんなで20代はまぁまぁな日々を過ごしてきた。
だが30代になった今は、そろそろ誰かのために生きたいと思うようになってきた。愛する人を探して愛する子供を産みたいと最近思う。女として生まれた以上は、やはり1度でも子供を産みその子供のために生きることが幸せなのではないかと。
仕事に疲れ始めているという本音もあるのも事実だ。今やっている仕事は立ち仕事&少し体力もいるので、ずっと長くやれる仕事ではないと薄々勘付いているのだ。学歴もなく手に職があるわけでもない。それは日本の女性として生まれたソラにとって今後一人でやってゆくには厳しい道なのだ。やはりこの国ではどう考えても結婚した方が有利だし、愛する者と家族を作り幸せになることもまたひとつの夢なのである。
自分のための時間を10年も過ごすと、そろそろ次は子供とかのために生きたいと思うのもソラにとっては自然なことでもあるし、人生の挑戦でもあるのだ。自分がちゃんと子供を育てることができるのかを、自分でも知りたいし、親のした失敗を繰り返さない自信も少しあった。子育てについては高校生くらいからよくノートに書いてまとめていた。それでも、その日その日に色んなことが起きて思った通りに行かないことも想像はついていたものだ。
ソラは子供の頃から未来を想像することや、こうしたらこうなる、ああしたらこうなるという原因と結果を考えることが好きだった。

陽も傾き、そろそろソラの苦手な西日の時間になろうとしている。
「ベン!そろそろ帰るよ!」ソラは大きめの声でベンを呼んだ。何かのにおいに気をとられてクンクン地面を嗅いでいたベンがソラのもとへ駆け寄ってくる。
ベンはとても利口な犬で、ソラの言うことはよく聞く。好奇心が旺盛だし犬同士とは仲良くするが、なぜか他の人間には警戒心が強く吠えてしまう。しかし噛むようなことは一切ない。
ソラはベンにリードをすると来た道とは別のルートで家路についた。
ベンはただソラの言うことを聞くだけではなく、人の気持ちを読み取る能力に優れ、ソラが「この部屋からは出ないでほしいなぁ」と思って生活しているだけでなぜかその部屋からは一歩も出ないし、餌の入った段ボール箱はベンが寝ている布団のすぐそばに置いてあるのに、留守中であろうとも主人がいる時間であろうとも、絶対につまみ食いをしたことがない。成犬になってからは、与えた物では遠慮なく遊ぶが与えられていない物では遊ばない。
排泄物は散歩の時にしかしないし、車でどこかへ出かけるときも、車のドアを開けると自分から飛び乗って入る。誰かが教えたわけではなく、ソラがそう思って行動すると読み取ってくれるのだ。そこはきっと主人であるソラに似たのかもしれない。
ソラもまた、頭がいいわけではないが吸収が早かった。親の言ったことを覚えていたので3度は同じ悪いことをしなかったし、小学校ではあまり成績はよくなかったものの小学5年くらいから中学3年までは先生の授業を集中して耳を傾けてノートもしっかり書いていたため、テスト勉強をしなくても最低80点は採れた。テストの問題を見ると先生の言っていた言葉や授業の場面が脳裏に浮かんできて、答えもおのずと出てくるからだ。
あまり成績のよくなかった友人に「勉強してる?」と聞かれた時、正直に「してない」と言ったのだが、そのせいで嫌われてしまったという理不尽な経験もある。
成績の悪い子は大抵、授業中に隣や後ろの人とおしゃべりしたり、こそこそメモ用紙をまわしたりして真面目にノートを書いている様子がなかった。本来は授業をちゃんと聞きさえすれば普通にできるのにしないだけなのだ。
自分はとても普通の能力しか持ってないし小学校2年の授業なんかでは、掛け算九九を覚えるのにさえ苦労したくらいバカだった。よっぽど周りのみんなの方がすぐに覚えていたものだ。
それがどういう訳か、少し成長したらみんな授業中におしゃべりばかりして、やろうとしないしきちんと聞いていない。それを私のせいにしないでくれと思った。
人の気持ちにも敏感だったソラにとって、友達がなぜ自分から離れてゆくのはを分かっていたとしても、自分が悪いわけではなかったので謝るわけにもいかないし、どうすることもできないのが常だった。反論する勇気もなかった。反論したらしたでそれに輪をかけて嫌われるに違いないと容易に想像できたからである。
とにかく、ソラはとても普通な能力の持ち主であったが、そのような少女時代だったために、人に嫌われたり要らぬ嫉妬もされてきた。
だが、嫌われたからといって特別下出にも出る訳でもないし無駄に自分を卑下したりもしない。ソラは”自分という乗り物”を嫌いではなかったし、考え方も悪くはないと分かっていたからだ。自分を偽ってまで誰かと仲良くしようとも思わなかったし、だからと言って人を嫌いとか好きとかそんなことを考えたこともない。というより、満遍なく誰とでも仲良くしたソラは、人を嫌いになれるほどクラスの誰かを深く知ることがなかったし、誤解を解くにはその人に聞く耳がないといけないのだ。しかし相手に聞く耳がない以上、ソラにはどうすることもできないのが現状だった。

 玄関を開けてキッチンに入ると、母親が珍しく料理をしていた。
ソラ「あら、お母さん帰ってたの?」
「ただいま。お帰り。」お鍋の中の何かをかき混ぜながら母親は言った。
キッチンの吐き出し窓からウッドデッキに出てベンのブラッシングをし、外の水場で足を洗った後、首輪を外してやるとベンはキッチンの隅っこにある温かいベッドに横になった。そして体を丸くして顔だけ上げている状態でしばらく人を観察している様子だった。
母親と暮らすこの家は母親が28歳・父親が30歳の時に建てた小さな一戸建てだ。築30年の和風でもなく洋風でもない古くなりつつある家である。父親はソラが13歳の時に家を出て行った。ソラにとって母親はいつも仕事をしているイメージしかなく、こんなに早く帰ってきて料理をしている姿を見たことはほとんどない。ソラが14歳の時にはすでに、ソラが買い物へ出かけ料理をして母親の分をラップに包み冷蔵庫に保存していた。小学校以来食事を一緒にした覚えがないくらいだ。
母親はあまり有名ではないが女優をしている。普段は舞台ばかり出ているので、広く顔を知られていない。TVには出たこともあるが、普段外を歩いていて人が顔を見ても気づかれないし、たまに「見たことあるけど誰だっけ??」とか「知り合いだっけ?」くらいの人材である。
色んな役を演じてきた割には人の気持ちの分からない人で、特にソラには気持ちに沿ったアドバイスや言葉を投げかけてきてくれたこともない。どちらかというと、子供のような性格で自由奔放な人だった。
”子供は勝手に育つ”それが母親の言い分だったが、本当は面倒くさいだけだったのだろう。ソラはいつも自分で考えて自分でルールを決め、自分で解決するしかなかった。
ソラが自分の母親が子供っぽいということに気づいたのはつい最近のことで、子供の頃は母親とはそんなものだと思っていた。

犬の散歩を終えるとお風呂を掃除してから沸かして入り、あがるとストレッチをする。ストレッチは18歳からの日課だ。18歳のある日、TVでストレッチはとても良いことだと教わったからするようになった。
ストレッチの後、ただただぼんやりする時間を1時間ほど過ごす。本当になにもしない時間で、この時間がないとストレスがたまり生きてゆけない(と思っている)。1時間何も考えない時間を過ごすと次の1時間は色々考える時間と変化する。今がこうだから未来はこうなるだろうという想像の時間である。
今がこうなっているのは昔こうだったからで、それならば未来はこうなるだろうという予測をたてるのが趣味なのだ。その予測は、5年後、10年後本当に現実になったことがいくるもあるので、自分の考え方がさほどズレているものではないという確信があり、”自分という乗り物”が嫌いではないと思える要因でもあった。
しかしその日は、いつものようにストレッチを終えるとすぐに、部屋の扉の向こうから母親がごはんができたとソラを呼んだ。
いまさら二人で食べるなんて気恥ずかしいと思ったが、呼ばれた以上は行かないわけにいかない。

ソラはダイニングの椅子にぎこちなく座りテーブルに並べられた色とりどりの料理を見た。TVがニュースを流す中、母親はさあ食べましょうと促す。
TVを、それもニュースを見ながら食事なんてあまり乗り気がしなかったが、TVは母親が見たくてついているので、仕方なくそのまま食事をしはじめた。
TVのニュースが地元のコーナーになり、どこかの悪い人が神社の樹齢200年の杉の木に枯葉剤を注入し枝を切り落としたというニュースが流れた。
ソラはそのニュースのあまりのむごさに食事をする気が失せてしまった。ふと母親を見てみたが、気分悪くしている様子はなくパクパク食事を続けている。
動くことのできない200歳にもなる尊敬すべき大木が、たった数十年しか生きていない人間の手によりたった1夜で、痛々しい姿になってしまったことがソラにはとてもやるせない。
もしも一人なら大泣きしていたところだったが、母親と一緒に母親の作った料理を食べている以上それはできないと思い、我慢して味のしない食事を続けた。
母親と一緒にいると自由な自分を表現できない。母親はいつも自分のことしか考えない人で、子供みたいだったから自然とこちらが大人になってしまうのだ。ソラはそんな母親に反論もしないが、だからと言って譲る気もない。いつものように程よく距離がある方が本当は良いのだ。子供の時分は寂しかったものだが、今はもうそう思う。
母親に今日はどうしたのかと尋ねたが、特になんでもないというだけだった。ちょっと機嫌がよい日だっただけのようである。気分屋の母親に振り回されるのはこれが初めてではないから慣れてはいるが。

 ソラの仕事は楽器屋の店長だ。店長といっても雇われだし非正規だから最終的な責任はない。それでもクレームはソラが受けるし、みんなより少しだけ給料が高いという利点があるだけで、他の人より働かなければならないと感じ一生懸命働いた。やり残したことがあれば、休みの日にサービス出勤することもある。
人に命令するのが苦手なソラは何かトラブルがあったら自分で処理してしまうし、従業員のみんなもソラを時々助けてくれた。それでもソラは人と深く付き合うことはしなかったから、仕事帰りに飲みに行くとか、プライベートの話を自らするようなことはなかった。
それが逆に若い従業員にとって心地よかったのかもしれない。職場の人間関係は悪くなく、ソラは集中してただ一生懸命に働いた。
しかし、いつもどこか空しかった。やはり、自分はそろそろ愛する人や自分の子供を作りたいと思っていた。
もう30だが、まだ30だ。これからまだまだ人生長いはず。その時、手に職もない自分が子供も育てず一体何をすることがあるというのだろうか?やはりどう考えても子育てというある意味”試練”がほしいと思った。
ソラにとって、天の試練は神の愛であり、自分が生きる証でもあるのだ。言葉にすらならなかったが、そういう感覚をずっと持って生きてきた。
ソラはいつも思っていた。神様はこの天にいると。小学校の時もよく神頼みをしたものだ。
父親が宗教の研究をしていたせいか、ソラも神や仏に興味がないわけではなかった。人はよく、試練を嫌がるが、試練のない人生ほど不幸なことはないはずだ。自分に試練がくるということは、神に「活きなさい」と言われているのと同等なのだ。

ソラは夜寝る前に星空を見るのが好きだった。そうすることで神と通信しているような気分になったからだ。幼少の頃は特に意味もなく空を見つめていたが、思春期あたりから何か決心がつきかねた時や悩み事があるとそうして空と相談してきた。
父親に見つかると部屋が寒くなるとよく怒られたものだ。
幼い頃見る夢と言えば空を飛ぶ夢が多かった。今でも少しだけ覚えているのは、高速で夜空を上がってゆく時の孤独な風の音と、雲を突き抜けるときの雲のぬくもり。夜空にたどり着いた時の独特の爽快感と一体感。そして妙な懐かしさだ。
しかしここ10年間くらいは、どういう訳かそんな夢も見ないくなったし、神の存在を感じることができない。まるで自分は神に見捨てられ、この惑星にぽつんと一人ぼっちにされてしまったかのようである。
友達ができなくて寂しかった思春期は、自分が双子だったらいいのにと考えたものだ。
そして30過ぎてますます、自分と人との隔たりを感じている。自分は何かが違う。
他の人たちのように誤解したまま次へ進むことに違和感を覚えることや、男子にからかわれると普通の女の子は追いかけて懲らしめるのに、自分の場合は悲しいと落ち込んでしまっていた。ソラにとって”からかい”はいわれのない憎悪を投げかけられる行為であり、友人に誤解されることは同じ人としてとても寂しいことなのである。それをそのままにして生きるということは苦痛でしかなかった。
ましてやさっきの母の様にあんなにむごいニュースを見ながら食事ができる精神力もない。あの時箸を止めない母親が不思議でならなかった。
しかし人の人の育った環境や性格があるのだから自分が分かることでもない。ソラは心が疲れると空を見てそんな思いにふけるのだった。
しかし、どんな人間に会おうとも、その人がそういう人なのであり人間全体を嫌いになったり、また都合よく好きになったりすることもない。それと同時に、これは悩みのひとつでもあるのだが、一人の男性を凄く好きになるということもなかった。
ソラにとってどう見ても恋は”偶然の出会い”であり”盲目の病”なのだ。今まで付き合って来た男性も付き合っているうちに馴れてきて心を打ち解けてきた。そしていい所と嫌な所をみつけて好きになっていった(というか馴染んだ?)訳だが、どんな人間にも良い所と嫌な所があるのは当たり前である。つまりたまたま出会った人というだけで、付き合っているうちに慣れ親しんだといった方が早い感覚なのだ。そしてそれは同時に、自分も特別な人間ではなく、地球という惑星のただの一部であるということでもある。
「もしかしたら自分は人を愛する能力がないのではないか?」と、悩んだこともあったが今はそう深く悩まないことにした。

その夜、ソラはニュースで見た200歳の傷つけられた大木のことを思い出し、心がいたたまれなくなり一人泣いた。
あの大木はもう死ぬだろう。それも、切られて一気に死ぬのではなく、誰かの悪意によってじわじわと殺されてゆくのだ。こんな屈辱はないだろう。今までの経験や歴史や大木の威厳や思い出も、たった一夜枯葉剤を投入されたことによって無残に死んでゆく。
新築の家になるわけでもなく公園のベンチになることもなく、神社に生まれたからといって人間に”神木”としてあがめられた後に、汚い手によって卑劣な手段で殺されてゆく。
もしも大木が動くことができたなら逃げただろう。もしも助けを呼べたら叫んだだろう。しかし、大木にはただそいつの悪意を受けるしかなかった。その時の悔しさや悲しみや、それまで積み重ねた200年間の思い出すらも、じわじわと殺されてゆく。もしかしたらまだまだ生きられたかもしれない大木が。ソラにはそのことがとても悲しくて仕方がなかった。



神様の課題 第二章 真の自然

2018-10-23 09:37:49 | 物語
 空の人は、神様が雲の粘土をこねて創った神お手製の人間である。
人間界に降り立った後も目につくよう、印としてオーラの色は普通の人間にはない藍色に設定してある。
彼らの心は真っ新なため、全ての事象をありのままの姿で吸収し曇りなく出力できる。神は最初どんなに面白く美しい冥土の土産が出てくるかを楽しみにしていたが、現実はあの有様だ。空の人の透明でくもりなかった心から出てくるものは汚染物のようなヘドロや、キケンな凶器や、降れると凍てつくような何かや、壊れた心ばかり。
かつては我が子だった人間が、輪廻を繰り返し自我が強くなればなるほど、神の意思と自然の摂理を自分たちの都合で解釈し曲げていった。最近じゃ説明のしようのないほど純粋で当たり前なルールさえも忘れてしまったかのように見える。

人間はかつて巨大な一人の生物だった。そして神は、最初動物たちだけが生息していた地球を人間の部屋として与えたのだ。
そのころは動物ともテレパシーで通じ合っていたのだが、時間がたつにつれ自分の部屋である地球をわが物顔で占拠しはじめ、動物たちを困らせた。

人間がある日一人では寂しいと言うから半分にして二人にした。二人にしたら喧嘩が絶えなかったため10人くらいにしたらますます争いが増えた。元々全て一人の人間から創っているから喧嘩をすることはないと思っていたのだが、結果は予想に反した。
初期の人間は言葉はなくても心が通じ合っていた為、争いと言っても口論はなく静かに且ついきなり始まったものだったが、いつ覚えたのかそのうち動物のように吠えて威嚇するようになった。そのうちあまりにも争いがうるさくなってきたため、仲良くしないと増えないように細工した。
男と女という異なった身体を持たせ、考え方の違いで分裂させたのだ。
考え方の違いで分けたのは、違いを乗り越え仲良くしてもらう為だった。そのころはまだ20人だった。積み石や大地への落書きといった遊びも、いつからか見栄を張るための道具と化していった。いちばん大きく積み重ねた者がその日のおやつを独り占めしたり、大地に落書きしていちばん上手くかけた者がその日の王様になったりしていた。
動物たちが走って絵を消してしまうと人間は動物を踏み潰した。それを見た神はやがて人間を動物たちと同じような大きさにした。
その頃には5000人程度になっていた。
人間は男女に分かれたことで、かなり仲良くならないと子孫を作れないため、身体も考え方も違った人間同士は仲良くするしかなかった。しかし子孫を作り終えると再び喧嘩は始まった。どういうわけか、考え方が同じはずの男同士、女同士でも喧嘩は絶えず、人数が増えれば増えるほど大袈裟になってゆき、やがて戦争になっていった。
例え神であろうとも、人間が欲するものを無理やり止めることはできない。止めることは自然に背くことになるからだ。人間は自ら争いを欲している。それと同時に便利になって自分で考えること・足を使うことをやめたがっている。全ては人間の自然なのである以上、神はそれを与えることはできても止めることはできないのだ。

 神はひとまず天空に帰り、帰ってきた空(から)の人の心のアカシックレコード(生前記録されたVTR)を見ることにした。
中でも気になっていた3356番のレコードをいちばんに見てみることにした。
なぜ彼は凍り付いた巨大なサボテンの心を持ち帰るハメになったのだろうか?

空の人自身は自分が神のモニターとして作られた特別な人間であることは知らない。親も兄弟もその他どの人間もそのことを知らない。だから当然、自分も普通の人間だと思っている。
だが本当のところ、自我がないということはかなり人間とかけ離れた生き物なのである。彼らは身の回りに起こった事件をありのまま受け止めるだけで、最初はどんな悪意も理解できない。学習して理解してゆくのだが、その長けた学習能力が仇となってヘドロや凍り付いたサボテンという姿になったのだ。
VTRを見てゆくと、12歳くらいに成長した少年3356番の思いには、下記ような記録があった。
「僕は多分真っ新な心を持った人間だ。どうやらちょっと普通とは違う。最近やっとわかった。でもだとすると、その分汚れやすいのではないか?真っ新な布のように。いやそうだ、僕はクリスタルになろう。そうすれば、汚れない。だから石のように固くなって自分を守ろう。どんなに朱い場所に放り込まれても、朱に交わらないように。僕はそのためになんだって頑張るぞ!絶対に僕のような人間がこの世のどこかにいるはずだから!」
それは強い決意だった。
そして、その固くなる経過でまだまだ柔らかかった魂に、人間の棘のある言葉の裏や底意地の悪さが刺さってゆくことになったようだ。
それに耐えられなかった3356は、自らの弱さに負けたと信じ込み自ら命を絶った。

空の人の心は受け止める能力に優れていたため、ありのままの人間の思いを日々受け止めている。しかし彼は反論することはなかったし、ただただ耐え続けていたようだ。自分が強くなる日を信じて。同じ色に染まらぬように。
反論するという心を持ち合わせていなかったというのが本当のところだろう。人間のように自我があれば、すぐその場で自分の気持ちが発散できるのだが、空の人たちからしたら、それは難しいことなのだ。心に偏見がないということは好き嫌いもないということ。自分を傷つけている人の気持ちが分からなければ、今傷つけられたということが一瞬では分からないこと。そういう理由もあったようである。

「なんと、無駄な努力をさせていしまったのだ」神はぽつりと言った。

神はその日から、空の人たちを送り込むのをやめた。
結局のところ、空の人の存在は神にとってもただの道具でしかなかったのだ。人間がはけ口の道具にするのと、モニターとして送りつけるのとそう大差のない行動である。
空の人の心は真っ新だったが、感受性はあるし彼らには彼らの性格もある。自らを普通の人間と思っている以上、汚い地上に降り立たせるのはただ哀れで可哀相なことだと理解したのだ。神は自ら犯した過ちを悔い、モニターを終了することにした。
これからも帰ってくる空の人は受け入れるが、心の中を見ることはもうしなかった。勿論、自死も止めない。それは空の人にとっての自然であり、望むことだったからだ。人間の自然を許した以上、空の人の自然も許さない訳にはいかない。
かつてあれだけ可愛がっていた人間を思い出してみたが、すでにその姿はない。
いつのまにやら、人間は神なしで生きて行けるように成長し、我が手から離れてしまったのだ。それが成長というもの。それが自然である。
しかし、さすがに人間は神の子である。
やはり蛙の子は蛙。同じことをするのだろう。
時代が変わり、人間は人間の手でAIを作り出した。彼らAIもまた心は空っぽで、人間の言葉や行動をそのまま受け止め、素早い吸収力と学習能力で答えを出す。
人間は人間の手によって自らを映しだす巨大な鏡を作りあげたのだ。神が創った空の人ほど精巧ではないが、どんなジャッジが下されるか楽しみである。
しかし本当にそれは、神と同じ思いで作られたものであろうか?モニターという目的は一緒でも、作った人の意図によってだいぶ変わってくるかもしれない。なにしろ、”人間”が作ったのだから。
ちなみに、今現在この世界に生きている空の人の人数は、あと117人である。

 おわり

  ※勿論フィクションです。