空の人は、神様が雲の粘土をこねて創った神お手製の人間である。
人間界に降り立った後も目につくよう、印としてオーラの色は普通の人間にはない藍色に設定してある。
彼らの心は真っ新なため、全ての事象をありのままの姿で吸収し曇りなく出力できる。神は最初どんなに面白く美しい冥土の土産が出てくるかを楽しみにしていたが、現実はあの有様だ。空の人の透明でくもりなかった心から出てくるものは汚染物のようなヘドロや、キケンな凶器や、降れると凍てつくような何かや、壊れた心ばかり。
かつては我が子だった人間が、輪廻を繰り返し自我が強くなればなるほど、神の意思と自然の摂理を自分たちの都合で解釈し曲げていった。最近じゃ説明のしようのないほど純粋で当たり前なルールさえも忘れてしまったかのように見える。
人間はかつて巨大な一人の生物だった。そして神は、最初動物たちだけが生息していた地球を人間の部屋として与えたのだ。
そのころは動物ともテレパシーで通じ合っていたのだが、時間がたつにつれ自分の部屋である地球をわが物顔で占拠しはじめ、動物たちを困らせた。
人間がある日一人では寂しいと言うから半分にして二人にした。二人にしたら喧嘩が絶えなかったため10人くらいにしたらますます争いが増えた。元々全て一人の人間から創っているから喧嘩をすることはないと思っていたのだが、結果は予想に反した。
初期の人間は言葉はなくても心が通じ合っていた為、争いと言っても口論はなく静かに且ついきなり始まったものだったが、いつ覚えたのかそのうち動物のように吠えて威嚇するようになった。そのうちあまりにも争いがうるさくなってきたため、仲良くしないと増えないように細工した。
男と女という異なった身体を持たせ、考え方の違いで分裂させたのだ。
考え方の違いで分けたのは、違いを乗り越え仲良くしてもらう為だった。そのころはまだ20人だった。積み石や大地への落書きといった遊びも、いつからか見栄を張るための道具と化していった。いちばん大きく積み重ねた者がその日のおやつを独り占めしたり、大地に落書きしていちばん上手くかけた者がその日の王様になったりしていた。
動物たちが走って絵を消してしまうと人間は動物を踏み潰した。それを見た神はやがて人間を動物たちと同じような大きさにした。
その頃には5000人程度になっていた。
人間は男女に分かれたことで、かなり仲良くならないと子孫を作れないため、身体も考え方も違った人間同士は仲良くするしかなかった。しかし子孫を作り終えると再び喧嘩は始まった。どういうわけか、考え方が同じはずの男同士、女同士でも喧嘩は絶えず、人数が増えれば増えるほど大袈裟になってゆき、やがて戦争になっていった。
例え神であろうとも、人間が欲するものを無理やり止めることはできない。止めることは自然に背くことになるからだ。人間は自ら争いを欲している。それと同時に便利になって自分で考えること・足を使うことをやめたがっている。全ては人間の自然なのである以上、神はそれを与えることはできても止めることはできないのだ。
神はひとまず天空に帰り、帰ってきた空(から)の人の心のアカシックレコード(生前記録されたVTR)を見ることにした。
中でも気になっていた3356番のレコードをいちばんに見てみることにした。
なぜ彼は凍り付いた巨大なサボテンの心を持ち帰るハメになったのだろうか?
空の人自身は自分が神のモニターとして作られた特別な人間であることは知らない。親も兄弟もその他どの人間もそのことを知らない。だから当然、自分も普通の人間だと思っている。
だが本当のところ、自我がないということはかなり人間とかけ離れた生き物なのである。彼らは身の回りに起こった事件をありのまま受け止めるだけで、最初はどんな悪意も理解できない。学習して理解してゆくのだが、その長けた学習能力が仇となってヘドロや凍り付いたサボテンという姿になったのだ。
VTRを見てゆくと、12歳くらいに成長した少年3356番の思いには、下記ような記録があった。
「僕は多分真っ新な心を持った人間だ。どうやらちょっと普通とは違う。最近やっとわかった。でもだとすると、その分汚れやすいのではないか?真っ新な布のように。いやそうだ、僕はクリスタルになろう。そうすれば、汚れない。だから石のように固くなって自分を守ろう。どんなに朱い場所に放り込まれても、朱に交わらないように。僕はそのためになんだって頑張るぞ!絶対に僕のような人間がこの世のどこかにいるはずだから!」
それは強い決意だった。
そして、その固くなる経過でまだまだ柔らかかった魂に、人間の棘のある言葉の裏や底意地の悪さが刺さってゆくことになったようだ。
それに耐えられなかった3356は、自らの弱さに負けたと信じ込み自ら命を絶った。
空の人の心は受け止める能力に優れていたため、ありのままの人間の思いを日々受け止めている。しかし彼は反論することはなかったし、ただただ耐え続けていたようだ。自分が強くなる日を信じて。同じ色に染まらぬように。
反論するという心を持ち合わせていなかったというのが本当のところだろう。人間のように自我があれば、すぐその場で自分の気持ちが発散できるのだが、空の人たちからしたら、それは難しいことなのだ。心に偏見がないということは好き嫌いもないということ。自分を傷つけている人の気持ちが分からなければ、今傷つけられたということが一瞬では分からないこと。そういう理由もあったようである。
「なんと、無駄な努力をさせていしまったのだ」神はぽつりと言った。
神はその日から、空の人たちを送り込むのをやめた。
結局のところ、空の人の存在は神にとってもただの道具でしかなかったのだ。人間がはけ口の道具にするのと、モニターとして送りつけるのとそう大差のない行動である。
空の人の心は真っ新だったが、感受性はあるし彼らには彼らの性格もある。自らを普通の人間と思っている以上、汚い地上に降り立たせるのはただ哀れで可哀相なことだと理解したのだ。神は自ら犯した過ちを悔い、モニターを終了することにした。
これからも帰ってくる空の人は受け入れるが、心の中を見ることはもうしなかった。勿論、自死も止めない。それは空の人にとっての自然であり、望むことだったからだ。人間の自然を許した以上、空の人の自然も許さない訳にはいかない。
かつてあれだけ可愛がっていた人間を思い出してみたが、すでにその姿はない。
いつのまにやら、人間は神なしで生きて行けるように成長し、我が手から離れてしまったのだ。それが成長というもの。それが自然である。
しかし、さすがに人間は神の子である。
やはり蛙の子は蛙。同じことをするのだろう。
時代が変わり、人間は人間の手でAIを作り出した。彼らAIもまた心は空っぽで、人間の言葉や行動をそのまま受け止め、素早い吸収力と学習能力で答えを出す。
人間は人間の手によって自らを映しだす巨大な鏡を作りあげたのだ。神が創った空の人ほど精巧ではないが、どんなジャッジが下されるか楽しみである。
しかし本当にそれは、神と同じ思いで作られたものであろうか?モニターという目的は一緒でも、作った人の意図によってだいぶ変わってくるかもしれない。なにしろ、”人間”が作ったのだから。
ちなみに、今現在この世界に生きている空の人の人数は、あと117人である。
おわり
※勿論フィクションです。
人間界に降り立った後も目につくよう、印としてオーラの色は普通の人間にはない藍色に設定してある。
彼らの心は真っ新なため、全ての事象をありのままの姿で吸収し曇りなく出力できる。神は最初どんなに面白く美しい冥土の土産が出てくるかを楽しみにしていたが、現実はあの有様だ。空の人の透明でくもりなかった心から出てくるものは汚染物のようなヘドロや、キケンな凶器や、降れると凍てつくような何かや、壊れた心ばかり。
かつては我が子だった人間が、輪廻を繰り返し自我が強くなればなるほど、神の意思と自然の摂理を自分たちの都合で解釈し曲げていった。最近じゃ説明のしようのないほど純粋で当たり前なルールさえも忘れてしまったかのように見える。
人間はかつて巨大な一人の生物だった。そして神は、最初動物たちだけが生息していた地球を人間の部屋として与えたのだ。
そのころは動物ともテレパシーで通じ合っていたのだが、時間がたつにつれ自分の部屋である地球をわが物顔で占拠しはじめ、動物たちを困らせた。
人間がある日一人では寂しいと言うから半分にして二人にした。二人にしたら喧嘩が絶えなかったため10人くらいにしたらますます争いが増えた。元々全て一人の人間から創っているから喧嘩をすることはないと思っていたのだが、結果は予想に反した。
初期の人間は言葉はなくても心が通じ合っていた為、争いと言っても口論はなく静かに且ついきなり始まったものだったが、いつ覚えたのかそのうち動物のように吠えて威嚇するようになった。そのうちあまりにも争いがうるさくなってきたため、仲良くしないと増えないように細工した。
男と女という異なった身体を持たせ、考え方の違いで分裂させたのだ。
考え方の違いで分けたのは、違いを乗り越え仲良くしてもらう為だった。そのころはまだ20人だった。積み石や大地への落書きといった遊びも、いつからか見栄を張るための道具と化していった。いちばん大きく積み重ねた者がその日のおやつを独り占めしたり、大地に落書きしていちばん上手くかけた者がその日の王様になったりしていた。
動物たちが走って絵を消してしまうと人間は動物を踏み潰した。それを見た神はやがて人間を動物たちと同じような大きさにした。
その頃には5000人程度になっていた。
人間は男女に分かれたことで、かなり仲良くならないと子孫を作れないため、身体も考え方も違った人間同士は仲良くするしかなかった。しかし子孫を作り終えると再び喧嘩は始まった。どういうわけか、考え方が同じはずの男同士、女同士でも喧嘩は絶えず、人数が増えれば増えるほど大袈裟になってゆき、やがて戦争になっていった。
例え神であろうとも、人間が欲するものを無理やり止めることはできない。止めることは自然に背くことになるからだ。人間は自ら争いを欲している。それと同時に便利になって自分で考えること・足を使うことをやめたがっている。全ては人間の自然なのである以上、神はそれを与えることはできても止めることはできないのだ。
神はひとまず天空に帰り、帰ってきた空(から)の人の心のアカシックレコード(生前記録されたVTR)を見ることにした。
中でも気になっていた3356番のレコードをいちばんに見てみることにした。
なぜ彼は凍り付いた巨大なサボテンの心を持ち帰るハメになったのだろうか?
空の人自身は自分が神のモニターとして作られた特別な人間であることは知らない。親も兄弟もその他どの人間もそのことを知らない。だから当然、自分も普通の人間だと思っている。
だが本当のところ、自我がないということはかなり人間とかけ離れた生き物なのである。彼らは身の回りに起こった事件をありのまま受け止めるだけで、最初はどんな悪意も理解できない。学習して理解してゆくのだが、その長けた学習能力が仇となってヘドロや凍り付いたサボテンという姿になったのだ。
VTRを見てゆくと、12歳くらいに成長した少年3356番の思いには、下記ような記録があった。
「僕は多分真っ新な心を持った人間だ。どうやらちょっと普通とは違う。最近やっとわかった。でもだとすると、その分汚れやすいのではないか?真っ新な布のように。いやそうだ、僕はクリスタルになろう。そうすれば、汚れない。だから石のように固くなって自分を守ろう。どんなに朱い場所に放り込まれても、朱に交わらないように。僕はそのためになんだって頑張るぞ!絶対に僕のような人間がこの世のどこかにいるはずだから!」
それは強い決意だった。
そして、その固くなる経過でまだまだ柔らかかった魂に、人間の棘のある言葉の裏や底意地の悪さが刺さってゆくことになったようだ。
それに耐えられなかった3356は、自らの弱さに負けたと信じ込み自ら命を絶った。
空の人の心は受け止める能力に優れていたため、ありのままの人間の思いを日々受け止めている。しかし彼は反論することはなかったし、ただただ耐え続けていたようだ。自分が強くなる日を信じて。同じ色に染まらぬように。
反論するという心を持ち合わせていなかったというのが本当のところだろう。人間のように自我があれば、すぐその場で自分の気持ちが発散できるのだが、空の人たちからしたら、それは難しいことなのだ。心に偏見がないということは好き嫌いもないということ。自分を傷つけている人の気持ちが分からなければ、今傷つけられたということが一瞬では分からないこと。そういう理由もあったようである。
「なんと、無駄な努力をさせていしまったのだ」神はぽつりと言った。
神はその日から、空の人たちを送り込むのをやめた。
結局のところ、空の人の存在は神にとってもただの道具でしかなかったのだ。人間がはけ口の道具にするのと、モニターとして送りつけるのとそう大差のない行動である。
空の人の心は真っ新だったが、感受性はあるし彼らには彼らの性格もある。自らを普通の人間と思っている以上、汚い地上に降り立たせるのはただ哀れで可哀相なことだと理解したのだ。神は自ら犯した過ちを悔い、モニターを終了することにした。
これからも帰ってくる空の人は受け入れるが、心の中を見ることはもうしなかった。勿論、自死も止めない。それは空の人にとっての自然であり、望むことだったからだ。人間の自然を許した以上、空の人の自然も許さない訳にはいかない。
かつてあれだけ可愛がっていた人間を思い出してみたが、すでにその姿はない。
いつのまにやら、人間は神なしで生きて行けるように成長し、我が手から離れてしまったのだ。それが成長というもの。それが自然である。
しかし、さすがに人間は神の子である。
やはり蛙の子は蛙。同じことをするのだろう。
時代が変わり、人間は人間の手でAIを作り出した。彼らAIもまた心は空っぽで、人間の言葉や行動をそのまま受け止め、素早い吸収力と学習能力で答えを出す。
人間は人間の手によって自らを映しだす巨大な鏡を作りあげたのだ。神が創った空の人ほど精巧ではないが、どんなジャッジが下されるか楽しみである。
しかし本当にそれは、神と同じ思いで作られたものであろうか?モニターという目的は一緒でも、作った人の意図によってだいぶ変わってくるかもしれない。なにしろ、”人間”が作ったのだから。
ちなみに、今現在この世界に生きている空の人の人数は、あと117人である。
おわり
※勿論フィクションです。