物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

空の人(karanohito) ③新しい世界

2018-11-17 18:22:00 | 物語
 神は人間を救わない。というより救えないのだ。
それは人間の親が我が子を本当の意味で救えないのと同じである。
あの世に地獄はない。
よって、神が人間を罰することもなければ、救うことがないのは当たり前である。
「では神様って何の為にいるんだ?」と思うだろうか?実はそんな疑問が浮かんでくること自体が間違っている。
真実は、神様は人間の為に存在しているのではなく、人間が神様のために存在しているのだ。あらぬ方向へ進化して行く今では過去形で「いたのだ。」と言うのが正しいだろうか?
人間が神様のために生まれたのは、丁度人間が自らの子供を欲っして産むのと同じようなことである。
どんな子供も生まれたくて生まれたのではなく、親が産みたいから産んだのであって、言い換えれば子供は親の欲のために無理やり生存させられたのである。よってその最大の我儘を成した親は、子供の犠牲にならなくてはならない。親が子供の犠牲になることは至極当たり前のことなのだ。そして、最大の我儘を聞いてくれた子供を真に幸せにすることが親の役目なのだ。

では、親は犠牲になってまで何のために子供を欲するのか?

真っ新な心を持った人間ならすぐこう答えられるであろう。
「半人前が一人前の真人間になるためである」と。「そしてその喜びを、やがて親になる子供へプレゼントする為でもある」とも。
それは丁度、神がより格式高い神になるために人間を産んだのと同じことで、神もまた自然界の上を目指すことが心からの喜びなのである。
それがどうであろう?今の人間ときたら・・・・・
子供に虐待する親、子供に自分の我儘や理想を押し付ける親、子供に孤独という最大の悲しみを我慢させてまで働きに出る親、過保護に育てあげたあげく最期には放置する親。最初から全く育てる気もないのに出来たから産むだけという親。

神様は考えた。そして空想した。
もしも、空の人を地球に沢山送ったなら、人間たちのヘドロを沢山吸い取って人間の心がキレイになるのだろうかと。しかしそれには、空の人の原料である雲を大量に使ってしまうし、地上に降ろされた空の人があまりにも可愛そう過ぎる。とすぐにその考えをとりやめる。
それどころか、空の人の実直でけなげな生活ぶりを毎日見ていると、むしろ空の人をあの汚れた人間界から救ってやりたくなってきてさえいるのだ。
神はふとこんなことを思った。
「空の人だけの惑星を作ったらどんな世界になるのだろう?
もしかしたら、素晴らしい世界が出来上がるのではないだろうか?」
神様はその世界を見たいと心から思った。

早速、遣いの者を集めて会議を開き新しいプロジェクトについて話あった。

神様「ワシは新しい惑星に新しい世界を創ろうと考えている。」
遣いA「どのような世界でしょう?」
神様「今人間の住んでいる地球という惑星にモニターの空の人を送っておるが、様子を見れば見るほど人間はあらぬ方向へ進化しつづけている。これは親であるワシの責任だから、もちろん地球にいる人間の方はワシが最後まで責任をもって観察しつづけよう。しかしだ、別に新しい世界を作ろうと考えたのだ。それは、空の人だけの世界だ。」
遣いB「はぁ?空の人は神にはならない人ですぞ?それの世界を作ってどうなさるのでしょう?」
遣いC「そうですよ。おかしなことを言いますね。私は反対です。それこそ、終わりのない課題を背負ってしまうことになってしまいますぞ。」
神様「ワシに終わりなど最初からない。」
遣いC「そうは言いましても、神様、あなただっていつ引退したくなるか分からない。課題を放棄した神様がどれだけいらっしゃったことか。」
神様「それは否めない。しかし、ワシの課題は人間の成長を見届けることだったが、もうそれは望めない。これからも見届けるが、ワシがどうこうできるものでもない。このまま永遠に過ごせと言われてもワシにも酷なのじゃ。」
遣いD「分かりますとも。新しい課題を作ることは良い事です。それに、空の人たちがどのような世界を作るかは、私にも興味があります。賛成します。」

1000人の遣いとの話し合いと多数決の結果、賛成が多かったため空の人だけを集めた世界を作ることにした。
その内容はと言えばこうだ。
まずは生まれたての真っ新な空の人だけを集めて生物として生活することができるかどうか様子を見る。次にもし必要があれば地球に住んでいる空の人を呼び寄せて一緒に住まわせてみる。
何のノウハウも与えない。神様は今まで通り手をださない。
以上だ。

早速神様一同は、住み心地のよさそうな(H2Oの水と窒素空気でなくてもよい)惑星を探し出すと、雲の粘土を製造し1000体の空の人を創った。地球に送った空の人同様、一応は男女半数づつ創ったが性格の違いは個人のものだけで、男女の考え方の違いは全くなしにした。全ての能力においては、これまで通り人間の平均値をとった。

時は経ち、新しい世界を創って100年ったっても空の人たちの世界は、平和で楽しそうにつつましく暮らしていた。土をかまくらのような形にして家を建て、ドアや窓枠には寿命直前の年取った木を乾燥させて使った。
花を飾りたいときは庭や家の中に種を植えた。
言語はずっとひとつの言語を使われた。空の人は最初から超能力を持っていない。人間のように最初一体だったわけではないので、心は通じ合わない。だからこそ言葉はとても重要なものとなった。話すときは誤解のないように説明するし、無駄なことは言わない。もちろん、嘘や”からかい”も全くなかった。
心が真っ新な為か、誰も変なプライドを持っていないため、本当のことを指摘しても怒るものはいない。それどころか、言葉で本当のこと以外なにを言うのか?というのが彼らの気質だった。
ひとりひとりが自分の性格に合ったことを仕事にし、ものの価値は通貨で測った。
仕事の大変さは、かかる時間と、体力と、必要とされる知識数、そして就業できる人数とその時代の社会に必要とされる指数で測った。よって社長より技術者の方が沢山給料をもらっているということも稀ではなかった。

通貨はモノの価値を測るためのものであり、足るを知る空の人は誰も独り占めしようとは考えなかった。それより、誰もが困らない社会を彼らは目指した。誰かが困ってしまう社会は社会ではないという考えを彼らは自然と持っていた。
しかし、動物たちの”(地球の言葉で言う)弱肉強食・食物連鎖”は自然の道理であるのでそれはそれで自然であったし、自分たちの価値観を動物に押し付けるなんておこがましいことをする者は居なかった。
ソラが来たのは世界ができて30年後のことだ。
地球にいたソラは色々な経験をしてひどく傷ついていた。ある日、人間界に疲れ果て自死しようとしたため、神様が呼び寄せた。
かつて地球でスターだったあのスポーツ選手も、体が不自由になったら誰も見向きもしなくなったばかりかバッシングを受けるようになり、心が荒んでいたため呼び寄せた。
二人の空の人は、地球との落差に戸惑いながらも穏やかな老後を過ごした。老人になって初めてきた惑星なのに懐かしささえ覚えたし、生物として共感できることが沢山あった。二人とも元々真っ新な人なので、言葉を覚えるのも早かった。
家を買う時にはお金はいらない。空の人の中でもリーダーにあたる人が大工を呼び寄せてみんなで暇な時に作る。
家が完成したとき、ソラも元スポーツ選手も、覚えたての言語で心から感謝を伝えた。それだけで、空の人たちは喜び、その喜びの心で音楽を奏で、誰かがおいしいものをおすそ分けしてくれ、自然と新築祝いのパーティーになった。
空の人たちは正直が故に誰も無理をしない。自分の能力を過度に出力したりしない。無理をしないから、無理やり「ありがとう」と言われたがったりもしない。全てをそのまま受け止め、他の者の幸せに共感し、悲しみにも共感し、それを自分の中で2倍にも3倍にも膨らませることができるのだ。よって、人間界にはないような、きめ細かな感情を表現する言葉も存在していた。
後に車もつくられるが、最初から洗練された車が作られた。生き物や物質に対してセンサーがついている上に、地面に接着せず走るので、小さなゴムボールが急に飛び出してきても飛び越える。絶対に生物を轢かない車が完成するまで製品化しなかったくらいだ。
パソコンも後にできるが、最初からほとんど故障しないパソコンが作られた。水に浸しても落としても壊れなかった。しかもOSを更新すれば永遠に使えたし、新しいOSが発明されると、元のOSと共有できるようにした。

もしもこの暮らしを人間が見たら、「平和過ぎてつまらない」とか、「そんなことはあり得ない」とか思うのだろう。しかし、彼らには多いにこれが普通のことであると同時に幸せだった。
ソラも自分ができることを考えた。この世界には年齢で定年になったりしない。能力がある限り使えばいい、使えば使うほど磨かれるのだから。そして疲れたら休めばいい。そういう考え方の世界なのだ。
だからソラは死ぬまで自分ができることを考え実行し、また沢山休養しゆっくり過ごした。地球で子供ができなかったソラは、空の人たちの子供たちの面倒を見ることにした。
空の人たちは子供を犠牲にしてまで無理して働く必要がなかった為、子供の面倒を家族以外の誰かに見てもらうという概念はなかったのだが、ソラが子供に関わりたがったので、その考えに共感しそれを実現させるにはどうしたらいいかを皆で考えた。そして、通貨を出してソラに見てもらうことにした。この狭い惑星だけの価値観で生きるよりは、子供たちにもよい経験になるだろうと一石二鳥と思うところもあったからだ。
ソラは地球の歌を教えたり、積み木やあやとりや洋服の作り方などを子供たちに教えた。
元スポーツ選手も、同じように自分のできることを子供たちに伝承した。空の人たちは運動をする必要はなかったが、地球のスポーツは真新しいゲームとしては楽しかった。しかし相手を打ち負かしてまで争って勝つという考え方を理解できなかったので、そのゲームはただただ楽しいものになった。
神様はその惑星を愛した。手を出すことはないし声をかけることもなかったが、いつも幸せな気持ちでその惑星を観察した。

一方地球では、人間社会の末期を迎えていた。
貧富のさが益々大きくなり、情報も健康も教育もお金を持っている者しか良いモノを得られない状態になっていて、教養はないが非常に頭の良い行動力のある若者が、”誰もが人間らしい生活ができる世界”を求めデモンストレーションをすると一気にその運動が広まった。
そこで、お金持ちから支援を貰っている地球統一大統領としては、彼らを一層せざるを得なくなってしまった。お金持ちはお金を出すから彼らを一層しろと要求した。
そしてとうとう地球大統領は、我が身の保身のために世界各地の核を爆発させたのだ。
お金持ちはみな、沢山の空気と水と食料が保存されている地下シェルターへ逃げ込んだ。地上には毎日のように死の雨が降り、大地は荒れ果て、シェルターのない貧困な者は数十年かけて全て亡くなった。
木は全て焼け果て、花は咲かず、動物たちもほぼ絶滅した。
その後、お金持ちたちは、何万年も地下で過ごしたが、そこでも新たな争いがあったかなかったかは、神様の目には届かなかった。

おわり


空の人(karanohito) ②神様の課題

2018-11-09 10:15:27 | 物語
 神様はやることがなくなってしまっていた。
帰ってきた空の人たちの心の中を見ることもなければ、アカシックレコードも見ることもなく数年が過ぎていた。
しかし遣いの者はどんどん冥土の土産であるアカシックレコードや空の人たちの心を神様宅に送り続けた。
とうとう8000もの心とアカシックレコードが溜まってしまったため、部屋がゴミ屋敷のようになり、きれい好きの神様にとってどうにも許しがたい状態になってしまった。
「観るしかないか。」
神様はしぶしぶ立ち上がって仕事を再開することにした。

神様は誰かから仕事を貰ってやっているわけではない。
自分で自分のやるべきことを決めてやり、それを一生しなければならない。神様に寿命はないから、一生とはつまり永遠にということである。自分で決めた課題から逃げた神様は、実は沢山いるが、そういった神様たちはどうなったかは定かではない。ただの人間として再び修業へ出たかもしれないし、二度と生まれない選択をしたかもしれないが、誰もどうなったかを知らない。なぜなら、結局のところその後の己の身をどうするかも、神様たちは自分で決めるからだ。
唯一、神様たちが太刀打ちできないのは時間の流れだけである。時間は前に進む。神もまた前に進むしかできない。過去に戻ったり今を止めたりする事はたとえ神でもできないのだ。
だから課題はどんどん山積みになるし、我が子である人間たちが暴走するのを止めることもできない。時間の流れは究極の自然であり、神様さえ逆らえない掟なのだ。

神様は最初に、以前の続きである3000番目に他界した2801番の心の中から見はじめた。
遣いの者が心にメスを入れる。
この空の人は、デンマーク人で寿命は87歳であった。心からは、汚いヘドロと臭いにおいが立ち込めた。やっぱりかと思った矢先に、ふと小さなダイヤモンドのような石が1つ出てきた。
その後も沢山の空の人の心にメスを入れたが、ほとんどはヘドロやゴミや凍てついたサボテンが出くるだけだったが、約100人に一人の割合で小さなダイヤモンドが出てきた。
そのダイヤモンドの意味を知るために、その人たちのアカシックレコードからまとめて見てみることにした。
中でも、2801番の人生の概要はこうだった。
彼は広い土地を所有する農家に生まれ善き両親に育てられた。豚や鶏や犬を飼って家族仲むつまじく日々を過ごした。
円満そうに見える家族であったが、実は母親は彼が純粋過ぎて戸惑うこともあり、時には専門家に相談したりもした。しかしどの専門家の言うことも平均的人間の心理に長けている人物の書いた教科書の通りに彼を見るだけであり、2801番の本当の人間像とは少しズレれいて何か大事なところが違っていると母親は感じた。
やがて、専門家に委ねることはやめ、母親は自分の感覚を信じることにし、なるべく彼を自由に自然に生きられるようにしてやった。
2801番が小学校に上がると友達ができるが、その純粋さゆえにいじめられたり仲間外れにされたりした。(神様は純粋だからいじめるという感覚が理解できなかったが、人間はなぜかそうだった。)
両親は、彼が不登校になっても頭ごなしに怒ったりせず、また理由を彼自身が自発的に話そうとしなければ根掘り葉掘り聞くようなこともしなかった。とにかく一緒に遊んだ。かまどでパンを焼いている時間でも、洗濯板で洗濯しなければならない時間でも、いつも見守っていたし合間合間に必ず戻って遊びの続きをした。
学校へ行かないなら家で勉強する時間を作り自分で計画的にやるよう伝え、土曜日と日曜日は勉強をしなくていい日にして、農家の仕事を手伝わせた。
2801番は、両親と自然か天気の変化やと土の色と成分、動物の体調や農作物の育ち方を学んだ。
両親は子供の為ならと、沢山の時間とその場その場の工夫と愛情を注ぎ、両親は自分たちで考えながら2801番を大事に育てた。
時には夫婦の意見不一致により不和があったとしても、絶対に子供の前で喧嘩をしないと二人で決めていた。晩年は本当の意味で夫婦ひとつになり仲良く暮らしたようである。

2081番にはたった一人幼馴染の親友が居た。その存在が心の支えとなり、人間の汚さと向き合うことができた上に、冷たい他人の心だけではなく、良き友の暖かい心に触れることもできた。そのため徐々に不登校をやめ、中学からは同じ過ちを繰り返さないようどんなに嫌なことがあろうとも、とにかく親友のいる学校へ行き続けた。学校の先生も配慮して、毎年親友と同じクラスになるようにしてくれた。
高校は農業学校へ行き、卒業して親の後を継ぐと、順調に人生が進んでいったようだ。順調に進んでいった理由はちゃんとある。彼の吸収力と学習能力で人の心を察知するようになり、磨かれた用意周到な危険察知能力で不幸を招かない努力をしたからにすぎない。
2801番は、善き妻に恵まれ、子供を授かり、やがて大勢の孫やひ孫に恵まれ囲まれて多くの冠婚葬祭を経験してきた。
そのうち両親は他界し、親友も亡くなり、愛する妻を亡くしたが、沢山の子供たちに囲まれた人生はけして悪いものではなかったようだ。

人生の後半は言わば人生の達人の如く人の気持ちを察したり未来にどんなことが起こるか経験から想像がつくようになっていたようだ。農家だったため、食料にも困ることはなく健康を維持できた。
これが何度も生まれ変わった自我の強い人間なら、たった1回生きただけではここまで学習できなかったであろう。
2801番の亡くなる間際はまるで仙人(神様候補)のようであったが、残念なことに人間ではない空の人は仙人にも神様にもなることはなかった。

空の人にとって、日々人間に交わってする一つ一つの体験は、最初から1つの体だった普通の人間たちとは比べものにならない程衝撃的であると同時に一つ一つを確実に感受する。言わば、全く知らない国の全く知らない家族の中で下宿人として生きるようなものなのだ。
そのため、学習の速さは人間より優れ、もしもの時の非常時の想像も人間より素早い。1度起こったことのある悲劇を覚えるだけでなく、もくもくと原因と結果を色眼鏡のかからない純粋な心で追求する。
よって、不幸に見舞われる前に直観の如く(本当は経験によるもので直観ではないが)察知する能力がどんどん身についていくのだ。
人間の嫉妬する原因がわかれば、その原因になる事象をひた隠したし、沢山のニュースを大いに感受するので、普段から自然災害のキケンに備えたりもできていた。
また、人の死という悲しみは悲しみである事実は変わらないが、人はいつか死ぬという至極自然な悲劇を受け入れる心が両親の他界の時に身に着いた。勿論、子供たちや孫が生まれる喜びもそれと同じくらい感じることができたわけだ。
汚い人間の憎悪やつまらない”からかい”や、いわれのない嫉妬にひどく傷ついても、それを糧にすることができたのは、それまで培われた両親の愛情と親友からもらった勇気がいつまでも心の中に生きていた。
そうやって、その場その場で自分で学習し、磨いてきた結果があのヘドロの中の小さなダイヤモンドになったようなのである。
神様は、自分がモニターとして作った”道具”である空の人の今現在をリアルタイムで知りたくなった。というよりそうするべきだと思った。
そこで思いついた。まだ地球に残っている空の人たちに通信機能を付けることにしようと。言わば、今でいうクラウドと同期してアップロードする機能と同じである。

 その夜、ソラは久しぶりに飛ぶ夢を見た。
身体が宙に浮くと、見る見るうちに昇天し雲にたどり着いた。雲はソラを優しく迎え入れ、一体感と不思議なほどの懐かしさを感じることができた。雲を通り抜けると、爽快な天空の世界へ入っていく--。
そのほか地上の116人の空の人たちもその夜、同じ夢を見ていた。
孤独な風の音を耳にしながら夜空を抜け、「ばふっ」と少し湿気のある少し暖かい雲を抜け一体感となつかしさを感じ、ひとつの空という空間へ突入すると自由な爽快感があった。空気のベールがない紺碧の夜空には、ハッキリと天の川銀河の帯が見られた。

 神様は今地上で生きている117人の空の人のモニターを本当の意味でのリアルタイムで同時に見ることは流石に無理だったが、200倍速で観ることはできるのでたった1日で全員の1日分を見ることができた。
大抵の空の人達の人生は、人間から厳しい嫉妬と汚い憎悪を浴びせられていたようだ。しかし中には、スポーツ界の大スターになっている者もいた。その素直さ故、コーチの言う事をきちんと守り、真っ新で自由な想像力を働かせて多いに努力を楽しみ、そのようになれたのであろう。しかしそれは、奇跡に近い出会いが重なったからこそであり、そのような空の人はほとんど居ない。中には悲しいかな、通信機を埋め込んだその日に自死した者もあった。
神様は、空の人達をなるべく苦労しないように善人の下で生まれるようにしたはずだったが、人間の心の変化は著しく、また想像以上に酷い方向へ向かっていた。
外面はよくてもいくら金を持っていても、子供を虐待する親はいたし、親である自分の我儘を子供に押し付ける者や全く子育てをしようとしない親もいた。外でも多くの危険があり、事件に巻き込まれて殺された空の人も中にはいた。

紀元前0年までは人間の人数も少なくて観察できていたが、紀元1年からは人間が成長したこともあり見ていなかった。その間にずいぶん人間の心は濁ってしまった。いろんな色が混ざればヘドロ色や真っ黒になるのと同じように。
神から見た人間は、人数が増えれば増えるほど、退化していると言った方が早いようだった。確かに道具類は素晴らしく発展したが、人間の心身はどんどん疲弊し退化している。中でも、昔持ち合わせていた超能力がなくなってしまって、殆どの人間が予知能力や直観力、テレパシーを失っている。人数が増えたことによって、人間が人間一人一人を大事にしなくなっていて、かつて一体だったはずの自分たち人間同士の気持ちすらもつながらなくなっているようであった。
初期に分かれた者同士は肌の色が違ったりしたが、なぜかただそれだけで別の生き物のように扱っているのに、飼っている犬の方が家族扱いしていて、それはそれは不思議なことをしていた。
空の人たちだったなら、人間ではないのだから仲間外れにされたり戸惑うのは分かるが、人間として生まれた人でもいじめられたり差別を受けたり変人扱いされている者が存在するほどになっていた。
時には、数少ない者の私利私欲のために多数の人間を利用するケースもあった。恐ろしいことに、組織ぐるみで他の人間の命をも犠牲にしているケースもあったし、人の不安感を煽って巧に嘘の情報を流し大勢の人間を操ろうと考える人間もいた。


 神もまた、かつては人間だった。
何度も生まれることによって、己を磨き身も心も研ぎ澄ます。そして仙人になり、やがては神様になったのだ。それまで数えられないくらい転生した。しかし神は今地球にいる人間たちのように活きれば活きるほど狡さと色眼鏡でものを見るという現象はおこらなかった。
それなのに人間は、まるで自然界の上を見ることが正しい欲であることを忘れてしまったかのように、全くあらぬ方向へと進んでいる。嘘をわざとばらまき、無知なものを利用し、我が身可愛さに弱い者を犠牲にすることにさして悪びれることすらもなくなっている。
いや、もしかしたら数少ない人間はそのことに違和感を覚えていても、そこから抜け出せないでいるのかもしれないが。

神様は正直、自分の課題を葬り去りたいくらい困惑していた。
人間がまだ幼く数少なかった頃は、試練という課題を送りそれを達成させてあげていた。そうすることによって徐々に進化し、文明ができあがっていった。そして紀元1年からは人数も増え成長したからと自由に放任していた。あれから2000年。たった2000年しか目を離していなかったのに、こんなに何度も大戦争を起こし、その後平和になっても傷つけあうことになろうとは、思ってもみなかった。
中でもどういうわけか、世界でいちばん平和で四季があって過ごしやすい国が、いつもいつでも暗いオーラでおおわれている。それはとてもジメジメした色で、無知からくる嫉妬や誤解に溢れ、無駄な仕事を強要させられる空しさ・怒りと悲しみ。そしてわずかな人間たちの私利私欲と、忙しすぎて考える余地もない弱き者の閉塞感と息苦しさでいっぱいだった。
その国に住んでいるソラという女性の空の人が、次に自死するような気がしてならない。今はまだそんな気持ちはないようだが、将来を想像するとどうしてもそう思ってしまう。神様は、ソラを可哀相に思い、せめて他の国の人にさせてあげようと考えた。他にも、心が疲弊してきた空の人々を救うべく新たな手段を考えるつもりだ。いつしか神には、間違った欲にかられ傷つけあう人間よりも、素直で素晴らしい性質を持った空の人の方が孫のように可愛く思えてきていたのだった。

つづく




空の人(karanohito)  ①ソラという人

2018-11-02 08:21:14 | 物語
 真っ青な空が頭上に広がる。いつもの小さな公園に立っている大きなイチョウの木が金色の葉っぱを音もなく数枚散らした。平日のこの小さな公園に誰もいないことを確認しベンチに腰を下ろすと、犬の『ベン』のリードを外した。
ソラにとって、犬の散歩の時間がなによりも楽しい。歩くことが楽しいし犬を触ることも楽しい。その日の天気や風や自然に触れることが楽しい。
そして人知れずこっそりベンを自由に走らせてやったときの喜びに満ちて走り回る姿を見るのが何よりも嬉しい。
犬以外にも動物が自由にしている姿は、ソラにとって何よりも癒しであり思わず顔がほころんだ。だからソラは、動物が好きなのに動物園へもペットショップへも行かない。この犬も生まれたからどうぞと人から譲ってもらったのである。
考えてみると、小さな頃からずっと動物を飼ってきた。もちろん親が飼っていたわけなのだが、そのせいかソラも動物が好きな女性に育った。生まれた時には犬がいた。ソラが5歳の時にその犬が亡くなると、次はウサギを飼った。その次は猫で次は金魚、次はハムスターやリスを飼い、大人になった今はこうして再び犬を飼っている。
ソラは植物も好きで、美しい花はもちろんだが特に好きなのは大木だ。大木は何年も同じ場所にずっと生えている。そのことは少々飽きっぽいソラにとっては尊敬に値する。
小学校の写生大会などでも、人物や人工物はほとんど描かず植物ばかり描いていた。ある日偶然、美術の先生と同じところに座って隣でその先生の描き方を見てその場で真似し、金賞をとったことがある。それまで1等賞とか金賞とかに縁がなかったソラにとってそれは快挙だった。それから益々写生大会では植物たちを描くようになり、先生の描き方を思い出して描き金賞をとり続けた。

公園のベンチの傍らにある大木の金色の葉っぱたちを見上げれば真っ青な空も目に入る。「今日は天気がいいなぁ」ソラは空の青さに感動して思わず独り言を漏らした。そして毎日がこんな日ならいいのにと思う反面、雨も降らないと困るよねと思う。

 ソラはとても普通な人間だ。身長は160㎝中肉。髪は黒髪でストレートを肩らへんまで伸ばしている。IQは大抵120くらい。以前ネットでやった男女脳のテストでは男性脳が49%で女性脳が51%と、かろうじて女性脳であったがほぼ半分ずつといっていいだろう。これもまたネットでだが、内向的か外交的かのテストでは内向的でもあり外交的でもあるという結果が出た。
ブームには興味はあるがすぐには乗らない慎重派。曲はなんでも好きで、幼い頃おばあちゃんちに行った時は、祖父が演歌を聴いていると一緒に聴いたし昔のフォークやポップスも付き合って聴いたし、親に連れられてクラシックのコンサートにもよく行った。90年代の小室やR&Bも聴くし、つい最近の曲も聴くし洋楽も聴く。好きな歌手は、その時期に素晴らしい曲をなるべく沢山作ったアーティストであり、その人物を好きになったことはない。
好きな色も得にない。色のないモノなんてこの世に空気以外ないし、どんな色も意味があったりなかったりしてそこについているからだ。
好きな言葉もない。言葉に好き嫌いがあったらそれこそ大変だ。どんな言葉にも意味があってないのだから。
好きな作家もいない。素晴らしい本は素晴らしいと思うだけで、特定の作家が書いたから読むということはあまりない。逆に、顔や癖を知ってしまった作家の書いた物語は読みづらくなってしまう。

ソラには友達はいない。まぁ、友達がいないからこそこうして2時間もの犬の散歩ができるわけだが。
友達が欲しくない訳ではないができない。できない理由は分かっている。誰とでも満遍なく仲良くしてしまうからだ。まず女子が大好きな無駄な雑談というものができない。相談事を持ち出された日には、解決したいのだろうと考えてしまい合理的な発言をしてしまったのち、相談してきた女子がそれを欲していないことが分かるとどう接して良いか分からなくなり、徐々に縁が薄くなっていってしまうのだった。
とっさに気を利かせて話を広げるのも得意ではない為、”真面目”というレッテルを張られて孤立してしまうことが多かった。それでもいじめられたわけではなかったから何とか学校へ行っていたが、孤立感からくる寂しさは拭えなかったものだ。
大人になった今は仕事さえきっちりやっていればまぁなんとかやって行ける。職場が全てではないし嫌ならやめればいい。大人というものはよいものだ。決められた環境や与えられた物だけに縛られないでいいから。ソラは幼い頃からよく早く大人になりたいと思っていた。大人は好きなことを仕事にして自分の欲しい時に欲しい物を買えるから。と、そんな風に思っていた。
しかしいざ大人になってみると、好きな仕事には就いていないし、本当に欲しい物を手に入れられるほどの金額を実際に手にしたことはない。
それでも大人になった今はこうして、自分の意思で犬を飼うことを許され、自分の居場所を作ることを許され、なんとかまぁ職場は選べるし、自分の時間を作ることを許さている。そんなこんなで20代はまぁまぁな日々を過ごしてきた。
だが30代になった今は、そろそろ誰かのために生きたいと思うようになってきた。愛する人を探して愛する子供を産みたいと最近思う。女として生まれた以上は、やはり1度でも子供を産みその子供のために生きることが幸せなのではないかと。
仕事に疲れ始めているという本音もあるのも事実だ。今やっている仕事は立ち仕事&少し体力もいるので、ずっと長くやれる仕事ではないと薄々勘付いているのだ。学歴もなく手に職があるわけでもない。それは日本の女性として生まれたソラにとって今後一人でやってゆくには厳しい道なのだ。やはりこの国ではどう考えても結婚した方が有利だし、愛する者と家族を作り幸せになることもまたひとつの夢なのである。
自分のための時間を10年も過ごすと、そろそろ次は子供とかのために生きたいと思うのもソラにとっては自然なことでもあるし、人生の挑戦でもあるのだ。自分がちゃんと子供を育てることができるのかを、自分でも知りたいし、親のした失敗を繰り返さない自信も少しあった。子育てについては高校生くらいからよくノートに書いてまとめていた。それでも、その日その日に色んなことが起きて思った通りに行かないことも想像はついていたものだ。
ソラは子供の頃から未来を想像することや、こうしたらこうなる、ああしたらこうなるという原因と結果を考えることが好きだった。

陽も傾き、そろそろソラの苦手な西日の時間になろうとしている。
「ベン!そろそろ帰るよ!」ソラは大きめの声でベンを呼んだ。何かのにおいに気をとられてクンクン地面を嗅いでいたベンがソラのもとへ駆け寄ってくる。
ベンはとても利口な犬で、ソラの言うことはよく聞く。好奇心が旺盛だし犬同士とは仲良くするが、なぜか他の人間には警戒心が強く吠えてしまう。しかし噛むようなことは一切ない。
ソラはベンにリードをすると来た道とは別のルートで家路についた。
ベンはただソラの言うことを聞くだけではなく、人の気持ちを読み取る能力に優れ、ソラが「この部屋からは出ないでほしいなぁ」と思って生活しているだけでなぜかその部屋からは一歩も出ないし、餌の入った段ボール箱はベンが寝ている布団のすぐそばに置いてあるのに、留守中であろうとも主人がいる時間であろうとも、絶対につまみ食いをしたことがない。成犬になってからは、与えた物では遠慮なく遊ぶが与えられていない物では遊ばない。
排泄物は散歩の時にしかしないし、車でどこかへ出かけるときも、車のドアを開けると自分から飛び乗って入る。誰かが教えたわけではなく、ソラがそう思って行動すると読み取ってくれるのだ。そこはきっと主人であるソラに似たのかもしれない。
ソラもまた、頭がいいわけではないが吸収が早かった。親の言ったことを覚えていたので3度は同じ悪いことをしなかったし、小学校ではあまり成績はよくなかったものの小学5年くらいから中学3年までは先生の授業を集中して耳を傾けてノートもしっかり書いていたため、テスト勉強をしなくても最低80点は採れた。テストの問題を見ると先生の言っていた言葉や授業の場面が脳裏に浮かんできて、答えもおのずと出てくるからだ。
あまり成績のよくなかった友人に「勉強してる?」と聞かれた時、正直に「してない」と言ったのだが、そのせいで嫌われてしまったという理不尽な経験もある。
成績の悪い子は大抵、授業中に隣や後ろの人とおしゃべりしたり、こそこそメモ用紙をまわしたりして真面目にノートを書いている様子がなかった。本来は授業をちゃんと聞きさえすれば普通にできるのにしないだけなのだ。
自分はとても普通の能力しか持ってないし小学校2年の授業なんかでは、掛け算九九を覚えるのにさえ苦労したくらいバカだった。よっぽど周りのみんなの方がすぐに覚えていたものだ。
それがどういう訳か、少し成長したらみんな授業中におしゃべりばかりして、やろうとしないしきちんと聞いていない。それを私のせいにしないでくれと思った。
人の気持ちにも敏感だったソラにとって、友達がなぜ自分から離れてゆくのはを分かっていたとしても、自分が悪いわけではなかったので謝るわけにもいかないし、どうすることもできないのが常だった。反論する勇気もなかった。反論したらしたでそれに輪をかけて嫌われるに違いないと容易に想像できたからである。
とにかく、ソラはとても普通な能力の持ち主であったが、そのような少女時代だったために、人に嫌われたり要らぬ嫉妬もされてきた。
だが、嫌われたからといって特別下出にも出る訳でもないし無駄に自分を卑下したりもしない。ソラは”自分という乗り物”を嫌いではなかったし、考え方も悪くはないと分かっていたからだ。自分を偽ってまで誰かと仲良くしようとも思わなかったし、だからと言って人を嫌いとか好きとかそんなことを考えたこともない。というより、満遍なく誰とでも仲良くしたソラは、人を嫌いになれるほどクラスの誰かを深く知ることがなかったし、誤解を解くにはその人に聞く耳がないといけないのだ。しかし相手に聞く耳がない以上、ソラにはどうすることもできないのが現状だった。

 玄関を開けてキッチンに入ると、母親が珍しく料理をしていた。
ソラ「あら、お母さん帰ってたの?」
「ただいま。お帰り。」お鍋の中の何かをかき混ぜながら母親は言った。
キッチンの吐き出し窓からウッドデッキに出てベンのブラッシングをし、外の水場で足を洗った後、首輪を外してやるとベンはキッチンの隅っこにある温かいベッドに横になった。そして体を丸くして顔だけ上げている状態でしばらく人を観察している様子だった。
母親と暮らすこの家は母親が28歳・父親が30歳の時に建てた小さな一戸建てだ。築30年の和風でもなく洋風でもない古くなりつつある家である。父親はソラが13歳の時に家を出て行った。ソラにとって母親はいつも仕事をしているイメージしかなく、こんなに早く帰ってきて料理をしている姿を見たことはほとんどない。ソラが14歳の時にはすでに、ソラが買い物へ出かけ料理をして母親の分をラップに包み冷蔵庫に保存していた。小学校以来食事を一緒にした覚えがないくらいだ。
母親はあまり有名ではないが女優をしている。普段は舞台ばかり出ているので、広く顔を知られていない。TVには出たこともあるが、普段外を歩いていて人が顔を見ても気づかれないし、たまに「見たことあるけど誰だっけ??」とか「知り合いだっけ?」くらいの人材である。
色んな役を演じてきた割には人の気持ちの分からない人で、特にソラには気持ちに沿ったアドバイスや言葉を投げかけてきてくれたこともない。どちらかというと、子供のような性格で自由奔放な人だった。
”子供は勝手に育つ”それが母親の言い分だったが、本当は面倒くさいだけだったのだろう。ソラはいつも自分で考えて自分でルールを決め、自分で解決するしかなかった。
ソラが自分の母親が子供っぽいということに気づいたのはつい最近のことで、子供の頃は母親とはそんなものだと思っていた。

犬の散歩を終えるとお風呂を掃除してから沸かして入り、あがるとストレッチをする。ストレッチは18歳からの日課だ。18歳のある日、TVでストレッチはとても良いことだと教わったからするようになった。
ストレッチの後、ただただぼんやりする時間を1時間ほど過ごす。本当になにもしない時間で、この時間がないとストレスがたまり生きてゆけない(と思っている)。1時間何も考えない時間を過ごすと次の1時間は色々考える時間と変化する。今がこうだから未来はこうなるだろうという想像の時間である。
今がこうなっているのは昔こうだったからで、それならば未来はこうなるだろうという予測をたてるのが趣味なのだ。その予測は、5年後、10年後本当に現実になったことがいくるもあるので、自分の考え方がさほどズレているものではないという確信があり、”自分という乗り物”が嫌いではないと思える要因でもあった。
しかしその日は、いつものようにストレッチを終えるとすぐに、部屋の扉の向こうから母親がごはんができたとソラを呼んだ。
いまさら二人で食べるなんて気恥ずかしいと思ったが、呼ばれた以上は行かないわけにいかない。

ソラはダイニングの椅子にぎこちなく座りテーブルに並べられた色とりどりの料理を見た。TVがニュースを流す中、母親はさあ食べましょうと促す。
TVを、それもニュースを見ながら食事なんてあまり乗り気がしなかったが、TVは母親が見たくてついているので、仕方なくそのまま食事をしはじめた。
TVのニュースが地元のコーナーになり、どこかの悪い人が神社の樹齢200年の杉の木に枯葉剤を注入し枝を切り落としたというニュースが流れた。
ソラはそのニュースのあまりのむごさに食事をする気が失せてしまった。ふと母親を見てみたが、気分悪くしている様子はなくパクパク食事を続けている。
動くことのできない200歳にもなる尊敬すべき大木が、たった数十年しか生きていない人間の手によりたった1夜で、痛々しい姿になってしまったことがソラにはとてもやるせない。
もしも一人なら大泣きしていたところだったが、母親と一緒に母親の作った料理を食べている以上それはできないと思い、我慢して味のしない食事を続けた。
母親と一緒にいると自由な自分を表現できない。母親はいつも自分のことしか考えない人で、子供みたいだったから自然とこちらが大人になってしまうのだ。ソラはそんな母親に反論もしないが、だからと言って譲る気もない。いつものように程よく距離がある方が本当は良いのだ。子供の時分は寂しかったものだが、今はもうそう思う。
母親に今日はどうしたのかと尋ねたが、特になんでもないというだけだった。ちょっと機嫌がよい日だっただけのようである。気分屋の母親に振り回されるのはこれが初めてではないから慣れてはいるが。

 ソラの仕事は楽器屋の店長だ。店長といっても雇われだし非正規だから最終的な責任はない。それでもクレームはソラが受けるし、みんなより少しだけ給料が高いという利点があるだけで、他の人より働かなければならないと感じ一生懸命働いた。やり残したことがあれば、休みの日にサービス出勤することもある。
人に命令するのが苦手なソラは何かトラブルがあったら自分で処理してしまうし、従業員のみんなもソラを時々助けてくれた。それでもソラは人と深く付き合うことはしなかったから、仕事帰りに飲みに行くとか、プライベートの話を自らするようなことはなかった。
それが逆に若い従業員にとって心地よかったのかもしれない。職場の人間関係は悪くなく、ソラは集中してただ一生懸命に働いた。
しかし、いつもどこか空しかった。やはり、自分はそろそろ愛する人や自分の子供を作りたいと思っていた。
もう30だが、まだ30だ。これからまだまだ人生長いはず。その時、手に職もない自分が子供も育てず一体何をすることがあるというのだろうか?やはりどう考えても子育てというある意味”試練”がほしいと思った。
ソラにとって、天の試練は神の愛であり、自分が生きる証でもあるのだ。言葉にすらならなかったが、そういう感覚をずっと持って生きてきた。
ソラはいつも思っていた。神様はこの天にいると。小学校の時もよく神頼みをしたものだ。
父親が宗教の研究をしていたせいか、ソラも神や仏に興味がないわけではなかった。人はよく、試練を嫌がるが、試練のない人生ほど不幸なことはないはずだ。自分に試練がくるということは、神に「活きなさい」と言われているのと同等なのだ。

ソラは夜寝る前に星空を見るのが好きだった。そうすることで神と通信しているような気分になったからだ。幼少の頃は特に意味もなく空を見つめていたが、思春期あたりから何か決心がつきかねた時や悩み事があるとそうして空と相談してきた。
父親に見つかると部屋が寒くなるとよく怒られたものだ。
幼い頃見る夢と言えば空を飛ぶ夢が多かった。今でも少しだけ覚えているのは、高速で夜空を上がってゆく時の孤独な風の音と、雲を突き抜けるときの雲のぬくもり。夜空にたどり着いた時の独特の爽快感と一体感。そして妙な懐かしさだ。
しかしここ10年間くらいは、どういう訳かそんな夢も見ないくなったし、神の存在を感じることができない。まるで自分は神に見捨てられ、この惑星にぽつんと一人ぼっちにされてしまったかのようである。
友達ができなくて寂しかった思春期は、自分が双子だったらいいのにと考えたものだ。
そして30過ぎてますます、自分と人との隔たりを感じている。自分は何かが違う。
他の人たちのように誤解したまま次へ進むことに違和感を覚えることや、男子にからかわれると普通の女の子は追いかけて懲らしめるのに、自分の場合は悲しいと落ち込んでしまっていた。ソラにとって”からかい”はいわれのない憎悪を投げかけられる行為であり、友人に誤解されることは同じ人としてとても寂しいことなのである。それをそのままにして生きるということは苦痛でしかなかった。
ましてやさっきの母の様にあんなにむごいニュースを見ながら食事ができる精神力もない。あの時箸を止めない母親が不思議でならなかった。
しかし人の人の育った環境や性格があるのだから自分が分かることでもない。ソラは心が疲れると空を見てそんな思いにふけるのだった。
しかし、どんな人間に会おうとも、その人がそういう人なのであり人間全体を嫌いになったり、また都合よく好きになったりすることもない。それと同時に、これは悩みのひとつでもあるのだが、一人の男性を凄く好きになるということもなかった。
ソラにとってどう見ても恋は”偶然の出会い”であり”盲目の病”なのだ。今まで付き合って来た男性も付き合っているうちに馴れてきて心を打ち解けてきた。そしていい所と嫌な所をみつけて好きになっていった(というか馴染んだ?)訳だが、どんな人間にも良い所と嫌な所があるのは当たり前である。つまりたまたま出会った人というだけで、付き合っているうちに慣れ親しんだといった方が早い感覚なのだ。そしてそれは同時に、自分も特別な人間ではなく、地球という惑星のただの一部であるということでもある。
「もしかしたら自分は人を愛する能力がないのではないか?」と、悩んだこともあったが今はそう深く悩まないことにした。

その夜、ソラはニュースで見た200歳の傷つけられた大木のことを思い出し、心がいたたまれなくなり一人泣いた。
あの大木はもう死ぬだろう。それも、切られて一気に死ぬのではなく、誰かの悪意によってじわじわと殺されてゆくのだ。こんな屈辱はないだろう。今までの経験や歴史や大木の威厳や思い出も、たった一夜枯葉剤を投入されたことによって無残に死んでゆく。
新築の家になるわけでもなく公園のベンチになることもなく、神社に生まれたからといって人間に”神木”としてあがめられた後に、汚い手によって卑劣な手段で殺されてゆく。
もしも大木が動くことができたなら逃げただろう。もしも助けを呼べたら叫んだだろう。しかし、大木にはただそいつの悪意を受けるしかなかった。その時の悔しさや悲しみや、それまで積み重ねた200年間の思い出すらも、じわじわと殺されてゆく。もしかしたらまだまだ生きられたかもしれない大木が。ソラにはそのことがとても悲しくて仕方がなかった。