物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

animals ①

2019-10-26 19:32:50 | 物語
 
 僕には友達がいない。だからいつも2階の自室でスマホゲームをしている。この暖かい電磁波の光だけが、僕の居場所だ。夜はパソコンで怪談の動画を聴きながらいつの間にか寝るのが好きだ。人の声を聴きながら寝るとよく眠れるから。
小学校の時は親の転勤で何度も学校を変わったし、中学の時は親友と思っていたやつに裏切られた。高校に入ってからはいじられ役でLINEグループでそういう扱い。友達がほしくないわけじゃないく、ただ良い友達ができなかっただけだと思う。
いつも独りぼっちだった僕は、せめてペットを飼いたいと親にねだったが、借家暮らしだからと拒否されたっけ。やっと家を建てた頃はもう友達をつくる気も失せたし、動物を飼いたいとも思わなくなった。

トントン(扉をたたく音)
「はい?」
母親「勉強してるの?」
「さっきまでしてたよー」僕のことを信用できないってか?
「あらそう。ちょっ出かけてくるから。」
「はーい、いってらっしゃい」
1階に誰もいなくなっただけなのに、家の中は「し~ん」という音が聞こえてきそうなほど、静かな時間が流れてゆく。僕はこの時間が好きだ。
休みの日はいつもこうして、スマホでゲームをしたりパソコンで色んな動画を見て、音楽を聴いて過ごす。
その時、急にパソコンの画面が真っ黒になった。
「ん?なんだ?」
スイッチに手を伸ばし、何度かつけようとして押してみたがつかなかった。
「故障かよっ。画面だけかな?どっちにしても使えねぇ。しゃーない、スマホでもしてっか。」ベッドにゴロンと横になって、スマホの画面を見ると画面が真っ黒だ。触れてみても電源を入れなおしても充電しても真っ黒だ。
「なんだこれは?!」

それから1週間、親にはそのことを言えずに過ごした。パソコンとスマホを同時に壊したなんて言ったら、どうせ長い小言を聞かされるだけだし、勉強しないからだと叱られるに決まっている。僕は新しいのを買ってもらうための、なんかいい言い方がないか考えていた。
しかし・・・・だ、2週間目に突入したときふと、パソコンやスマホのない世界はなんていうか、凄く良かった。
考えてみたら僕には友達がいないのだから、通話するやつもいない。そういう手段としてはとっくに使ってなかったし、まぁLINEグループで気の合わない奴らと話を合わせていただけだった。やらなくなってみて、結構そのせいで疲れてたってことに気がついたんだ。あの頃は、一人でいる時にすら他人の反応を気にしたり誰が既読したのか考えたりしていたことに気づいた。あの頃の自分がバカみたいに思える。
それに、なんだか目が良くなった気がするし、前よりも頭の中がスッキリしている。
やることがないので、なんとなく本を読むようになった。今までは1冊ちゃんと読めたことがなかったのに今回、初めて3日で読み切った。活字嫌いな僕がここまでできるのかと思って、どうせならと教科書をひらいて勉強してみたら、凄く集中して勉強できた。なによりも驚いたのは、夜寝るときに人の声を聴きながら寝た方が眠れると思っていた今までの自分の常識が覆ったことだ。何もない方がよく眠れるんだ!まじで。
頭痛や慢性的な肩こりもなくなり、なぜか食事もおいしくなったし。
なんでだろう?タバコを辞めた大人ってこんな気分なのかな?

しかし、部屋で一人になったときや、通学の電車内では手持無沙汰でかなり困る。仕方なく外の景色を見るしかないのだが、電車の外の景色はいつも同じ。変わるのは看板だけだった。車内の人達は皆スマホを見ているだけで、なんら面白い光景でもない。
今頃、LINEグループでは僕がいなくなったことによって、いじる奴がいなくなり、困っている輩がいるだろう。もしかしたら、僕の代わりにいじれる奴を探しているかも。いや、もしかしたら僕がいなくなったことにすら誰も気づいてないんじゃないだろうか?僕は存在感がなかったからな。

その週の日曜日、広い公園を歩いて晩春の空気を感じていると、誰かに声をかけられた。
「ちょっとどいて。」男とも女とも分からない声だった。
「へ?」振り返ると、そこにはかわいいお姉さんがスマホ画面をみながら犬の散歩をしていた。
僕は「あ、すみません。」と言ってどいた。
ってか、こんなに広いのになんでどかなくちゃいけないんだ?
周りには人は点在しているだけで、混んでもいない。しかも、おねえさんはスマホを見ながら犬を散歩しているじゃないか。
おいおい、そっちが歩きスマホしておいてどけってなんだよ!
後からじんわり怒りに変わってはきたものの、特に何も言わず彼女が通りすぎるのを黙って見ていた。お姉さんは何事もなかったかのようにスマホの画面を凝視したまま僕の前を通り過ぎた。繋がれている小さな犬だけが、こちらをちょっとだけ振り向いただけだった。

モヤモヤした気持ちのまま家に帰ってみると、頭の上をなにやら黒いものが素早く飛んできた。燕だった。燕は、僕の家の軒下の電灯のところに巣を作ろうとしているところで、既に作りかけの泥のような物質が付着している。
「冗談じゃないよ。」
こんなところに巣なんて作られたら電灯が暗くなるし、ヒナが生まれたらピーチクパーチク煩くなるだろう。
僕は燕が飛び去ったのを見計らい、玄関先の背の低い物置からほうきを出して、柄のほうで作りかけの巣を壊しておいた。
「よし、これで静寂確保♪」
すると、「なにをするんだ!」と、小さくてハリのある声が聞こえた。
「え?」偶然目撃したどこかの愛鳥家が叱りつけてきたのかと思い、「すみませんっ」と言いながら家の門の方を振り向いたが誰もいない。門の向こう側にある道路や周りの家を見渡してもやっぱり誰もいない。
「なんなんだ?」とりあえず家の中に入ろうと思った時、また、「せっかく作ったのに!」と聞こえた。
「へ?作ったのに??」もう一度振り返ると誰もいない。いや、いた。
玄関先の小さな物置の上に、小さいやつが。燕だ。
「せっかく作ったのに!」燕は口を動かしてはいないが、そう言っていた。言っていたというよりも、伝わってきたという方が正しいだろうか。
「え?」僕は茫然として、しばらくつっ立っていた。
燕「あっお前、通じてるんだな?」
「うん、なぜか・・・。」
燕「じゃあ、遠慮なく言っておく。せっかく作った巣を壊さないでよ!」
「わ、わかりました。これからはしません。」僕は驚きでそれどころじゃなく、ただただそう返事するしかなかった。きっと傍から見たら、ひとりごとをしているイカレタ奴に見えただろう。
燕が飛び立つと僕は家の中に入り、手洗いうがいをして、2階の自分の部屋に入った。
「今のはなんだったんだ?僕は、どうかしてしまったんだろうか?」

翌日、いつものように学校へ行くために駅まで歩いていると、下の方から声が聞こえてきた。
「痛いよぅ・・・困ったなぁ。痛いなぁ・・・」
声のする方を見てみると、小さな豆柴がお座りをして左前脚をかばっていうなだれていた。かばっている足からは血が出ている。
え?まさか、こいつの声?と思って試しに「大丈夫か?」と言ってみた。
豆柴は顔を上げて「困りました。助けてもらえますか?」と言ってきた。
「何があったんだ?」
豆柴「突然バイクがきて。」とこちらを真っ直ぐ見つめて言った。
ふと僕の頭の中に、ブロック塀の角から急に出てきたバイクのタイヤがもの凄い速さで近づいて来て、ぶつかると同時に痛さを感じるという映像が一瞬見えた。
「酷いなぁ。」痛そうだ。まだ事故の直後らしく鮮血が出ていた。僕は、見逃す事ができなかった。
すぐに家に帰って母親に豆柴を委ね、急いで駅に戻りひとつ後の電車に乗った。
電車の中で景色を見ながら思った。僕はどうやら、鳥と犬の声が聞こえるようになったんだなと。どうしてかは分からないが、そうなったんだ。
もしかしたら他の動物の声も聞こえるかもしれないと思いつき、学校帰りにペットショップへ行ってみた。だが、そこではまだ赤ちゃんの犬猫が「ワンキャン」鳴いているだけで、特に何も聞こえなかった。
どうせ家に帰ってもやることなんてない。駅から家までの道のりで、公園のベンチに座った。すると、子供数人が背の高い杉だかカラマツだかの木の下に集まり、上を見て騒いでいた。
近づいてみると、その木の高い位置にある枝に猫がいる。
猫は、明らかに子供たちが騒いでいるのが怖くて、降りたくても降りられないでいた。
しかし子供たちからしてみたら、そうではないらしく、「あの猫、おりれなくなったみたい、たすけてあげて~」と言うのだ。
だから僕は子供たちに言ってあげた。
「違うよ。あの猫は、君たちが騒ぐから怖くて降りて来られないんだよ。」
子供「え??そうなの?」
「そうだよ。ほら、見てごらん。怖がっているだろ。」
子供「違うよ。高くてこわいからこわがってるんだよ。」
「いや、そうじゃない。あの猫は、降りたいけれど人間がたくさんこうして騒いでいるから降りることができないんだ。だって、自分で登ったんだよ?自分で降りれない猫がいるか?もしも降りることができなかったら、厳しい自然の中で生きてなんてゆけないよ。」と僕は言ってあげた。
「ちょっとの間でいいから、みんなここをどいてあげて。そうすれば、安心した猫は自分で降りるよ。」と付け加えると、
子供たちは「ようし、みんなーここからいなくなって!」と仕切り役の男の子が言った。
しばらく離れた場所から観察していると、案の定、猫は自力で降りた。殆ど落ちるような速度だったが確実に木を伝って地面に着地し、その後元気な様子で素早く逃げて行った。足腰はしっかりしているし、怪我はしていないようだ。
ふと猫は立ち止まり、僕の方を振り返って「あんがとよ」と言った。かなり遠くにいるのにその声は伝わってきた。
僕は「どういたしまして。」と言った。
声が聞こえてくるのは、鳥と犬だけじゃないと分かった。

家に帰ると、左前脚に包帯が巻かれた豆柴がいた。
母親に座布団の上で撫でられていた豆柴は、こちらを見て”おじゃましてます”と目で言った。
僕が「ん、くるしゅうない」と言ったら、母親が「何言ってんの?(笑)」と言った。
「そういえば、LINE見てくれた?全然既読になってないけど?」と母親が言った。
「あ、そうそう、携帯が壊れたんだ。すごく困ってる、修理だしてほしい。」
「あら、そうだったの?じゃあ今度の土曜日に携帯ショップに行きましょうね。」
「え?いいの?」
「うん。1回目の修理はただだから。」
な~んだ。そうだったのか。もっと早く言えばよかった。
「あ、母さん、」
「ん?なあに?」
「その犬、どうするの?」
「どうしようか?飼いたいって言わないのね?子供の頃はあんなに犬をほしがったのに。」
「まさか母さん、飼いたくなったの?(笑)」
「だって、どうしようかと思って。このまま外へ放り出すわけにもいかないし。」
「もしかしたら、誰かに飼われてたのかもよ?今頃必死に飼い主が探してたりして。」
すると、豆柴が”ちがうよ。僕は逃げ出してきたんだ。”と言った。
「ポスターでも出そうかね?」と母親が言った。
「いや、それはやめよう。」僕は母の提案を止めた。
「え?なんで?」
「ん、、、だって、キケンだろ?電話番号とか、うちの住所とか書かないといけなくなるし。どんな奴がそれを見るかわからないから。」
「そっか。確かにそうね。」
「探し犬のポスターが出るかもしれないから、それまで待とう。」
「あ、そっか。そうね。」

その夜、リビングで寝ている豆柴の傍へ行き、訳を聞いてみた。
「おい、どうして逃げて来たんだ?」
豆柴「ずっとつながれたままだったんだ。他の犬は散歩して通り過ぎていった。ぼくはそれを見てるだけだった。」
「そうだったのか・・・。」
豆柴「ず~っとだよ。だから引きちぎって、やっと逃げて来たんだ。」
「じゃあ、うちの子になるか?」
豆柴「いいの?」
「うん、母さんが良いって言ったらな。」
豆柴「嬉しい♪」豆柴はまっすぐの視線で、しっぽを振って喜んだ。
「じゃあ、おやすみ」

   -つづくー

あとがき

2019-10-23 08:36:21 | 物語
また、最初から書き直してしまいました。すみません。
どうしても、文字と言葉の統一、そして天皇が日本人にとって特別な存在であることが必要だったからです。0章についてはまたいつか、もっと丁寧に書き直させていただきます。

 さて、『邪馬台国』を中国の文字でみると、「台」は「壱」に似た漢字が使われていて”トウ”と発音するらしいので、つまりちゃんと『ヤマト国』と発音していたかもしれません。よく考えてみれば、日の巫女「ひみこ」の死後、『台与』と書いて”トヨ”と発音する女性が後を継いでいます。それなのに、なんで歴史学者は気づかなかったのか不思議です。(おい学者、大丈夫か?)
ちなみに、台与(トヨ)は、13歳で巫女になっていますが、当時はアスス暦だと思うので、物語の中では6歳半にさせていただきました。巫女は処女じゃないとなれないので、急遽探した女性がそのくらい若くても納得できます。また、このことは学校の先生の道草話で聞いた覚えがあります。
昔の天皇がやたら長生きなのは、このアスス暦のせいもあるみたいです。現在の1年間=アスス暦では2年間だったとか。

私は天狗はサルタヒコだと思っています。半島から来たのに目がくっきり二重なのはおかしいですけど、そう書いた理由としては、
●半島の民族は今とは全く違う民族だったのではないか?(特に百済は)
または、
●弟子のカラスたちの顔はいわゆる半島系だったとしても、サルタヒコだけが真のユダヤ人だったのでイエスのような顔をしていたのではないか?

と想像しています。

最後の方に書きました”ヒトではない”の意味は、名前と関係しています。それと、天皇でもないという意味です。天皇はヒトなので。(名前をよく考えてみてください。)
カラスたちも日本にとっては必要な組織だったようです。彼らなくしては、今の日本がなかったのかな??どうなのでしょう?何しろ、表に出て来なかったらただ不審に思われるだけです。想像するに悪い事をしながら良いことをしていたら、表には出られないでしょうけども。まぁ、裏社会があるというのは、あくまでも都市伝説ですね。


最後にしつこく書きますが、これは物語であって、”あとがき”も含めて民間人である私個人の想像にすぎません。そして私は左でも右でもありません。


国大トマヤ 国ルヅイ、日  ④契約

2019-10-17 09:31:59 | 物語
 富士の麓を後にして都に戻ってきた調査員は、1つだけ手に入れた鉄製の黒い星に見とれていました。
調査員A「おい、これって鉄だよな?」
調査員B「どう見てもそうだな。」
調査員C「しかしこんな物を、どうやって手にいれたんだ?あの民族は。」
調査員A「我々は長らく半島とやりとりをしているが、鉄製のものと言ったら、農機具か剣だ。こんなものを見たことがないぞ。」
調査員B「半島にあるのだろうか?」
調査員C「いやいや。もしかしたらあの富士の麓の民族は自分で作っているんじゃないか?」
「まさか・・・!」と調査員3人は同時に思いました。
調査員A「ちょっと投げてみようか。」
調査員B「やめろよ。」
調査員C「いいよ、投げてみろ!」
調査員Aが横にして投げたら、返ってきたので3人は慌てて逃げました。次に縦にして木に向かって投げると、下の土に刺さりました。3人は、なかなかコントロールが利かない道具だと感じました。

早速オオキミに鉄製の黒い星を見せ、調査報告しました。
すると、オオキミは自ら早速、富士の麓へ行くことになりました。
富士麓まで来てあたりを見回しても道はあるものの建物は見当たりません。オオキミ御一行はそこでひとまず休んでいると、向こうの方から山の細道を降りてくる人々がいました。彼らは頭に黒くて小さすぎる帽子をかぶり、人が入るくらいの大きな籠から棒が2本出ているものを担いで「エッサ、エッサ」と意味不明な掛け声を発していました。
オオキミの左大臣が彼らに声をかけてみました。

左大臣「すみません」
山伏「はい、なんでしょうか?」
左大臣「この先には何があるのですか?建物はあるのですか?」
二人の山伏は顔を見合わせると、「建物はないですよ。何をお探しで?」と言いました。
左大臣「これがなんだか知ってますか?」と言って手のひらに乗せた鉄製の黒い星を見せました。
二人の山伏は、顔色を変えました。そして、籠の中の人と何やらひそひそ話ました。
すると、中から大きな男が出てきました。背は八咫ほどで顔は赤く、鼻が高く、まゆは太く、目が大きくてくっきり二重でした。(以下、この大男を”天狗”と呼びます。)
右大臣が、オオキミを守ろうと剣に手をかけました。「こちらにあられる方は、ワのヤマトの国のオオキミなるぞ!」
天狗「存じております。」と言って礼をしました。
当時の普通の民は、オオキミの顔を知らない人が多かったので、オオキミの顔を知っているこの天狗がただ者ではないことがわかりました。
天狗「ワはあなた方の味方です。そしてワは誰とも戦いません。」と言いました。
右大臣「よく言うな。この前調査員に怪我を負わせただろう?」
天狗「それは、まだ未熟な修行者が投げたのでしょう。申し訳ありませんでした。」深々とお辞儀をしました。
左大臣「味方というなら質問しよう。これをどこで手に入れた?」
天狗「それをお教えするには、話が長くなります。どうぞワについてきてください。」
と言うと、天狗は籠の中にどうぞと言って手を平にして籠の中を見せました。そしてオオキミを乗せると、自分は歩いて山を登りました。
山の奥の彼らの隠れ家に着くと、話がはじまりました。
鉄の”もののへ(武器)”はスワで作ってもらったこと、それと、味方である証拠に今後オオキミをバックで助けてゆくという約束をしたのでした。ただし普段から付き添って守るのは右大臣の仕事なので、本当に困ったときや有事、また情報を伝達するときや道案内をするときにだけお助けするという内容でした。
その後、約束が達成されるたびに朝貢された米の分け前が増えてゆき、彼らの生活も豊になってゆきました。彼らはオオキミのいる都に移り住みました。



月日が経ち、イセの都ではスサがもたらした『剣』、太陽神1世が創られた『カガミ』、太陽神2世が見出した『勾玉』を”3種の神器”とし、それを持っている者を『大王(オオキミ)』と呼ばれる神のような存在としました。
剣を国防や警察、カガミを民の秩序や農業を支えるもの、そして勾玉がヤマトの魂であるオオキミという風に例える歌もでき、どれを欠いても国は滅びるという詩が歌われました。
やがて、太陽神がいなくなっても、太陽神の考え付いた哲学は引き継がれ、民衆の中にも”偉い人”として浸透していました。都は大きな湖畔に移しましたが、イセは永遠に太陽神のいる場所として残しました。

そのころ、自分を「太陽神の巫女である」と称する女性が現れました。彼女はシャーマンのような役割をして、太陽神のお言葉を代弁する役目をしました。ヤマトたちの不安を占い、これからの進路を決める役目をしました。その頃、ヤマトの国は海の民の船を使って中国と盛んに交流し、毎年中国にお歳暮を贈りました。そして、小さな国ヤマト国を可哀相に思った中国の王は、とてもいいモノを沢山お返しにくれました。
中国では、この巫女がヤマト国の女王ということになっていました。
中国からはとてもいいモノをお返ししているのに、いつも品祖なモノしか送ってこないことで、日の巫女女王に対して、”卑しい”という文字を当てました。周辺国を少しでも見下したい中国では、よくない漢字をわざと当てはめるという、お得意のマウンティングをするのでした。
また既に、イヅモは国譲りでヤマトに飲み込まれていました。イヅモの国で作った勾玉を、中国に送ってみたところ、とても喜ばれました。勾玉の原石が中国では出土しなかったからです。

太陽神の巫女が247年に亡くなりました。その時、太陽が隠れました。あたりは昼間でも暗くなり、人々は戸惑いました。翌年、すぐに男性が”日の祝”となって引き継ぎましたが、再び太陽が隠れたので民衆が不信感を持ち、女性にしろと要求してきたので、娘の6歳半の女子を日の巫女としてたてました。
やがて、彼女が姿を消しても太陽が隠れなくなったたことと、国がどんどん大きくなっていったため、日の巫女の役目は注目されなくなってゆきました。


 
さて、話は最初の0章の続きになります。
馬小屋で生まれた皇子が亡くなると、仏教に反対した右大臣が仏教賛成派の左大臣に殺されました。それを皮切りに大革命がおこりました。
大革命が終わって間もなく、馬小屋で生まれた皇子の子孫もなぜか丸ごと居なくなってしまいました。
死後一度、皇子の寺が炎に包まれてなくなりましたが、祟りが怖くなったある男(”ヒト”ではありません)が再建しました。そしてその男が、古文書の監修をしました。
また、『ヤマト初期』は、百済の人が書いたと言われていて、その時の女帝の気に入ってもらえるような内容にしたようです。正しい歴史を保存するより理想を大切にする習慣は、半島の人には当時から既にあったのでしょうか?この『ヤマト初期』の中では、日の巫女のことは一切書かれていません。そして、初代のオオキミ(ミカド・ミコト)たちは皆、”神様”にされました。そして、馬小屋で生まれた皇子は、優秀すぎるくらい優秀な人物として描かれました。
神々の母であるはずの女性はなぜか醜い姿に変えられ、悪く描かれました。(この女性は、『ホツマツタエ』には東北出身者だと書いてあるそうです。)統一される前の美しい国、『イヅモ』は陰の存在のように描かれ、過去の栄光を雲に隠されました。いつの世も、歴史は良くも悪くも、勝者によって都合よく書かれるものなのです。そして私達も、いつかどこかの時代で勝ってきたから、ここに存在しているのです。



 あるとき、日本人がいました。彼らは、どうして太陽が毎日生まれるのかを知りたくて、星の地図を頼りにどんどん真っ直ぐ東へ進みました。そして暖かい山を発見しました。やがて氷が溶けると、沢山の民族が入ってきました。



   おわり


※この物語はあくまで物語であり、フィクションです。一般市民である私の勝手な想像です!そして私は右でも左でもありません。ただただ本当のことを知りたいだけの人間です。


最初から書き直しました。

2019-10-16 19:38:09 | 物語
『国大トマヤ 国ルヅイ、日』最初から書き直させてもらいました。
③まで編集終わりました。
全く歴史の知識がなく、書きながら勉強したため拙い物語ですが、いつもながらすみません。
間違いもあるとは思いますが、そこは”想像の物語”ということでご勘弁を。


国大トマヤ 国ルヅイ、日  ③南側の人々

2019-10-15 14:24:40 | 物語
 北側の人々がだいぶ南下し拡大していた頃、南側にも人が住みつき始めていました。
南側には、既に大なり小なり文明を持った人々が辿り付きました。
南はフィリピンの方角から、西は朝鮮半島からです。
南の民(海の民)は背が低く入れ墨をいれていました。そして大きな船を作る技術に長けていました。気候の温暖化によるスコールや大洪水のため逃げて来た時に、主食であった赤米の稲の種を船に積んできたので、九州あたりですぐに稲作を始めました。そして漁業もしていました。
しばらくすると、海の民が船で朝鮮半島にも行き、交流がはじまりました。そうしているうちに、朝鮮半島から引っ越してくる者も出てきました。彼らは鉄器と絹の衣をもたらしました。そして別の種類の米を持ってきました。
とにもかくにも、彼らの主食は既に米と決まっていました。
大量生産した簡易な土器に、採れた米を貯蔵・料理しました。海の民と半島の民は、米と魚を交換したり、葦(よし)製の漁船と鉄器を交換したりして交流しました。海の民の着物は主に麻でできていたので、着心地の良い絹の衣を手に入れるために、大型船で半島の民族の引っ越しを手伝いました。また、鉄器も半島から伝わっており、農耕や漁業にとても重要な道具だったのでそれを手に入れるためにも必要な交流でした。
ある日、朝鮮半島からシャーマン姫がやって来ました。半島から来た人々は彼女を崇め、いつも集会を開いていました。彼女の占いで水田の地を決めたり、リーダーを決めたり、雨ごいをしたりしていました。半島の民はなぜだか幽霊や祟りたるものを信じているようで、見えない何かにおびえたり、占いで物事を決めたりするのが好きなようでした。
どちらかというと陽気な海の民には、よく分からない習慣でした。

ある日、海の民はこの国の概要を把握しようとして船を出しました。ずっと陸に沿って北上してゆくと、幾重にも重なった垣根をみつけました。人が住んでいるかもしれないので上陸することにしました。
上陸してみると、人の心が自然と静まるような不思議な感覚になりました。しばらく歩くと、幾重にも重なった垣根の中に、派手ではないけれど荘厳な神殿が見えました。よく耳を澄ますと、奥から琴の音が聞こえてきます。
彼らは、大きな声で「誰かいますかー?」と問いかけてみました。すると、一人の背の高い男が出てきました。その男は、見たこともない民族に最初こそ警戒したものの、「こんにちはー!」と手を振る男たちに対して手を振り返しました。そして「どうぞ」というジェスチャーをしました。
それからというもの、交流がはじまりました。言葉は通じませんでしたが、身振り手振りで意思疎通をしているうちに、親密になりました。そして、海の民が入ってきた根の国に海の民の神殿を作りました。それは、彼らが来た記念であり”いつでも遊びに来てください。”という意味が込められていたのでした。

ある日、南側の大王(オオキミ)は、北側にどのような国々があるのか調査することにしました。調査員を選びだし彼らを陸路から北へ向かわせました。彼らは素直に北へ行ったため、根の国の少し南にたどり着きました。戻ってくると、すぐにオオキミに報告しました。
調査員が根の国の少し南にある国の荘厳さと素晴らしさを目を輝かせて報告したところ、オオキミは「その国を我がモノにする!」と言い出しました。
再び調査へ行き、現地人と話をしました。
「ここはなんていう国ですか?」と聞きましたら、「イヅモ!(最高の地!)」と返答されたので『イヅモの国』だということがわかりました。
早速、イヅモに荒くれもののスサを送り込みました。しかしスサは占領するというより仲良くなってしまい、おまけにイヅモの国の姫と結婚してしまいました。荒くれものだったスサにとって、荘厳で落ち着いた神殿と美しい琴の音は、生まれて初めてのやすらぎの地になったのです。
その後に送った使いも、また次に送った使いも、イヅモの国の姫と結婚してしまいました。
スサにとってイヅモの国はなぜか懐かしく感じ、荒んでいた心を洗ってくれたのです。
スサは、イヅモの国を時々荒らしに来る8人組と戦いました。その時彼らの一人が持っていた刀を取り上げました。
破天荒なスサは本当のことをいうと、あまり自由にやれない南側の国に嫌気がさしていました。少しでも自由にやろうとするとガミガミ怒られ、良かれと思ってやったことも余計なことをするなと怒られていたので、優しくて自由なイヅモの国を大好きになってしまいました。スサは、上の兄姉への鬱憤が溜まっていたので、イヅモを末っ子男子が王になる国にしました。
スサは決断力や力もあるし8人組を倒したこともあり、イヅモでは英雄のような扱いを受けました。そして琴を弾いていた姫と結婚して娘が生まれました。スサの娘は、東北のある民族の男と結婚しました。最初はその男がイヅモの国の長になりました。そして次からは、姫との末男子が”大国主(おおくにぬし)”となりました。(イヅモでは女系つまり母親側の血筋が正式な血筋でした。)
【※とにもかくにも、北側の8民族は、一つの国家を形成したわけではなく、バラバラの小国家がいくつもあったのです。はるか遠くの大陸で追いやられ傷ついて、この最東にたどり付いた民族が多かったせいでしょうか?そして、何よりも原住民の日本人が十何で好奇心が強かったせいでしょうか?彼らは殆ど争いをせずお互いを尊重し合い、それぞれの文化を成長させてゆきました。よって、太陽神もひとつの大国の神だったのです。】
イヅモに王を残すと、すぐに根の国へ旅立ちました。(スサはいつも忙しく飛び回っていたのです。)根の国では、とても固くて透き通った翡翠が採掘されることが分かっていたので、その固い翡翠を加工するのに苦労していた職人を見て、翡翠を削る道具を鉄で作るようにしました。そこで、たたらの技術が発展していたスワに作らせました。翡翠を加工する工場は根の国に作りました。

そのころの南側の大王『オオキミ』は、太陽神2世であり、イセ住んで南側の民に米を貢がせていました。その太陽神が実はスサの上の姉であり南側を統治している大王『オオキミ』となっていました。
太陽神2世は、新しい哲学を生み出していました。それは、勾玉(まがたま)です。
まず〇を書いて真ん中に波型で切ります。すると互い違いのペーズリー型ができます。片方は見えるもの、片方は見えないものとし、世の中には見えるものの片割れまたは反対側に必ず見えないモノがある、という哲学を生み出したのです。そしてペーズリー型の丸みを帯びた方に穴をあけ、ペンダントにしていつも身に着けていました。そうやって彼女は、見えるものだけを見るのではなく、見えないものも見るようにする政治を心掛けたのでした。



月日が経ったある日、南側の民族の調査員は、南側の大王(オオキミ)に、北の方は何があるのかを見てくるよう命令を受けました。海の民は以前に日本の外側の調査をしていましたので、案内役兼操縦役として船を出して協力ました。(ただし陸路は行きませんでした。)
調査をしてみると、北関東あたりには米に似ているが違う穀物を栽培している民がいました。もっと北へ行くと、沢山の人々が知らない言語で話をしてとても芸術的な土器を担いで畑仕事をしていました。
特に、富士の麓では不思議な民族を発見しました。黒い着物を着たグループがいて、山の木から木へ素早くまるでカラスのように飛び移って移動する術を持っていました。彼らの中心には鼻が高くて真っ赤な顔をした背の高い男がおりました。彼は、小さすぎる黒い帽子をかぶって大きな楓を片手に持って団扇のごとく仰いでいました。
それらの一部始終を木の陰からこっそり観察していると、一人の調査員が物音をたててしまいました。すると、どこからともなく鉄の黒い星が降ってきました。それにあたった調査員の一人が怪我をしました。調査員は一斉に逃げました。


つづく

想像です。

国大トマヤ 国ルヅイ、日  ②国のはじまり

2019-10-12 19:27:17 | 物語
 まだ氷河の時代。星の地図を見ながらまっすぐ東へ向かう人たちがいました。
彼らは、誰かと戦争をしたわけでも、誰かに追いやられたわけでもなく、ただ大地がどこまであるのか、そして太陽がなぜ毎日生まれるのかを知るために、ひたすら東へ東へ進みました。
少しは以前より温暖化したものの、氷河はまだ溶けきっておらず、時には吹雪に見舞われることもありました。まわりにはまだ氷河があったので、昼間には動物の皮で作ったゴーグルをつけて行動し、夜になると移動しました。
高い高い氷の山を越えました。ラクダを見ました。マンモスを見ました。馬を見ました。牛を見ました。熊を見ました。パンダを見ました。色々な鳥や虫や小動物を見ました。そして肉を焼いて食べ、毛皮や骨をもらいました。その時の長は頑丈で長持ちをする靴を発明した者で、いちばん前を歩き、副長がいちばん後ろを歩きました。

旅の途中、他の色々なグループに合いました。そこで結婚をして旅から抜ける者もおりました。大きな怪我や病気で亡くなってしまった仲間もいました。仲間割れもありましたし、途中で脱落する者もありました。
旅をしているうちに、他の民族の穴の掘り方を真似して、穴を掘って家を作るのが早く上手くなりました。いろんな木の実を食べました。毒があるものとないものを選別しました。それを”記録係”が動物の骨や皮に刻んで記録しました。彼らは、沢山の経験をし沢山の知識を得ながら、どんどん東へ東へ進みました。
彼らにとって、自然は知恵の宝庫です。動物や物をよく観察して、なにをどうすればそうなるのかを自然と身に着けてゆきました。グループの殆ど全ての人が研究者であり発見者で、人それぞれの目の付け所が違うところがまた、他者への救いにもなりました。
遠くを見やったときには、地平線がまるみを帯びていたので、この大地がおそらく真っ平ではないことは、わざわざ口にするまでもない”自然の当たり前”でした。やがて、グループの中でも力があって仲間思いの者が自動的に”長”になりました。

ある夜、彼らが向かっている方向に小さな赤い光が見えました。それは次の夜も、次の夜も、ずっと見えました。彼らにはそれが希望の光に見えました。
長が言いました。「みんな、あの光は何だと思う?」
民あ「今まさに、太陽が生まれようとしているのかもしれない!」
民い「でも、まだ朝になるには早いよ?」
民う「いや、もしかしたら、太陽の欠片かもしれない。すごく暖かそうだぞ。」
民え「本当は夜になっても、太陽は全部かくれていなかったのかも。」
長「よし、あそこへ行ってみよう!いいな?」
民たち「おう、行ってみよう行ってみよう♪」
少し近づくと、それはとても大きな山が吹きだす火であることが分かりました。ようやく山の麓に着くと、とても暖かく温水が湧く湖もありました。日が昇り明るい時に回りの風景を見てみると、透き通った湖の中には魚が、その周りには草や花や小さな木の実や自生する稲や虫や小さな動物など、沢山の生まれたばかりの生命がありました。それは今までに見たことのない素晴らしい景色でした。暖かい湖に浸かってくつろぎました。東側には、もう大海原しかありませんでした。彼らは、こ最東の地に住みつくことにしました。
土で作った器を焚火でゆっくりゆっくり焼き固めると、土器ができることを発見した人が、集落のいちばん最初の偉い人(長)になりました。

やがて時は経ち、賢くて、力があって、物事をより良くするにはどうしたらいいかをいつも考えている人が長になっていました。彼は、いつも皆がよりいい暮らしができるよう人々を集めて話し合ったり、皆の考えをまとめて最終的な判断を下したり、物作りの考案をしていました。
ある日長は、9人の息子を呼んでこう言いました。
「いいか?明日朝、お前たちは旅に出よ。そしていつか帰って来れたなら、世界がどんな風になったか報告してくれ。」
1人の王子をこの地に残し、あとの8人の王子が父の命を受けて世界へ旅立ちました。
次の2代目の長となったとき、日本の東北あたりに大きな集落ができていました。人々は土器に木の実を入れて貯蔵したり料理したりしました。弓矢や罠で捕ったイノシシやシカの肉を燻して干し、貯蔵したりもしました。だいぶこの地の生活が板についてきました。
後に、土器は非常に重要な日用品となり、女性の嫁入り道具になりました。美しい土器で料理したい女性たちは、どんどん土器を美しくしてゆきました。そして子を亡くした母親は、大切な土器にその屍を入れて埋葬しました。
原生の稲や麦もありましたが加工に時間がかかるので、さほど食べられてはいませんでした。何度か調査役が、稲というやらをなんとか栽培できないものか、試作してみましたがうまくいきませんでした。麦は乾燥に強く勝手にできるので、石で轢いて粉々にし、土器で水と一緒に温めることで食べられました。
そういうしているうちに、大陸から他の民族がやって来ました。彼らは毛皮ではなく動物の毛を紡いだ毛糸の衣を着ていました。また、彼らは平たくペッタンコに焼かれた”パン”という食べ物を食べていました。
彼らと打ち解け合って、パンの作り方を学びました。好奇心が強い日本人は、一所懸命覚えて、その民族が持ってきた道具を改良して新しい道具をつくりました。その日から手先が器用でよく思いつく者が、”道具屋”になりました。
二つの民族は、もっと分かり合うために文字を作りました。
圧倒的に人数が多かった日本人の「あいうえお」という母なる5つの音を元に、子音を決めて作ってゆきました。絵みたいに時間がかかるものではなく、かつ人々が覚えやすく書きやすいように、簡単でかつ意味のある形にすることにしました。1文字1文字を全く全然違う形で考案するのはとても大変だったため、5つの母音を横軸に並べ、意味のある記号を縦軸に並べて、組み合わせるという合理的な方法で48の文字が生まれたのでした。

3代目、4代目と時が経つと、また大陸から黒い衣装を身にまとった背の高い民族がやって来ました。彼らは絹の衣を着ていました。集落の調査役は早速、焼き栗をあげて彼らと仲良くなり、絹の作り方を聞きました。虫の卵からなる繭をお湯で解いて細い糸を見出し、それを縦と横に組み合わせてゆくことで一枚の布ができました。
「凄い発明だ!」調査員の頭の中には、ビッグバンのような衝撃が走り、すぐに長に言いに行きました。
こうして、彼らは新しい文化を融合しあい、よりよい生活ができるようお互いに日々努力しました。それは、誰かに意味のないことを押し付けられて仕方なしにやる努力ではなく、ひとりひとりがより良くなるための、そして全体がより良くなるための新しくて楽しい試行錯誤でした。
集落の長は”ミコト”と呼ばれるようになりました。あとからやってきたグループの人々がそう呼んでいたからでした。
やがてミコトが結婚の儀式をするようになると、夫婦でミカド・ミコトをやることになりました。民の女の子は、いつか長のような素敵な男性をみつけて結婚の儀式をすることが目標となりました。

そして5代目になったとき、稲作が定着していました。自然の大地に自生している稲は、とても少ない水でも育ちました。しかし、この稲作が人々の生活と心を変えてしまいました。
それまで思い思いにいろんな種類の穀物を栽培してきた民にとって、強制的に稲だけを作ることは、好きな物が食べられないばかりか、不作だった年には全く主食がありません。そこで物々交換で交渉がうまくいかず民同士の喧嘩がおこったり、稲作文化に変えた長に対して不満を持つ者が現れはじめました。
6代目の長になった時、酷くなった民の暴動を治めることができず、とうとう”もののへの大臣”(当時の警察)たちが数十人の民を斧で切ってしまいました。
民を殺めてしまった長は誰からも尊敬されなくなり、ミカド・ミコトではいられなくなってしまったのでした。
かわりに、その親戚の者が長をすることになりました。それが7代目です。
7代目は、なにがあっても”民を切るべからず”の政治をすることにしました。新しいミカド・ミコトとその家族たちは、その為にはどうしたらいいかを、全国を旅をしながら一生懸命考えました。考えているうちに、長男が生まれました。
長男は成長すると、民の不満と動乱を納めるべく哲学を編み出しました。それは”カガミ”という哲学です。
実際に道具屋に頼んで大きな鏡を青銅でつくりました。彼はそのカガミで、稲作に欠かせない”もう一つの太陽”を作り出しました。それと同時に、動乱を起こしている真っ最中の民を映し出し、自制心を養いました。
彼は彼なりの哲学により、”人々の心に働きかける道具”を初めて作ったのです。人々は、彼を”太陽神”と呼ぶようになりました。彼と結婚したがる女性があっと言う間に全国からわんさと押し寄せてきたので、13人の妻を持ちました。
一方そのころ、南にも民族が住みはじめていました。


つづく

想像・フィクションです。

国大トマヤ 国ルヅイ、日  ①Y民族と日本人

2019-10-07 19:14:25 | 物語
 紀元前1万数千年頃、ようやく氷河期が終わり数千年かけて地球は暖かくなってゆきました。それまで暖かい地だけに集まって地中に家を作って住んでいた人間たちは、徐々に地上に出て旅に出ました。思い思いに自分たちの気に入った場所を見つけ、家族や気の合う人たちで定住しました。
中でも、探求心と好奇心の強い民族は、この世界がどこまで続くのか知りたくて地球の果てを目指し、”星の地図”を見てでどんどん前へ前へ進みました。

紀元前5000年ごろ、地球は非常に温暖化し海の水面が今よりもずっと(100mくらい)高い位置にありました。日本は亜熱帯のような気候で、南は熱帯雨林になっていたため大陸から流れて来た人間は北半分に住みました。
そのころには、エジプトにはエジプト人、アメリカにはアメリカ人、オーストラリアにはオーストラリア人、日本には日本人が住んでいました。

やがて、争いの絶えない大陸の方から、徐々に人が集まってきました。歩いてやって来た民族や、馬にまたがってやってきた民族、船に乗って来た民族が、どんどん日本に入ってきました。
その地域の気候のせいか、ずっと日本に住んでいた人間とは肌の色や髪の色が少し違っていました。おまけに言葉も違ったため、最初は中々分かり合えず、近づかないようにして暮らしていましたが、やがて悪い民族ではないと分かると、鹿肉を分けあったり、栗を分け合ったり、煮た豆を分け合ったりして仲良くなってゆきました。そうやって身振り手振りで会話するうちに、言葉がなんとなく通じあってきました。
後から来た民族の頭と日本の頭を”長”『ミカド・ミコト』とする大きな集落ができました。民族たちはお互いの違いを生かし、ひとつの民族として文化を発展させてゆきました。
新しい道具や、新しい食品を加工しました。後から来た民族がお酒なるものを作ってくれましたが、日本人の体には全く合いませんでした。
言葉が通じ合うようになってくると、その話から彼らがとても遠い所からやって来たということが分かってきました。遠い地で起こっている大陸沈殿や、戦争というやらに、氷河期から日本に居た日本人は驚き、恐怖感を覚えました。

少し暑さが和らいできた紀元前3000年頃、5つめの民族(A民族)が大陸からやって来ました。彼らは、どうやら見た目からすると、2つ目と4つ目の民族と同じ民族のように思われました。ただしゃべる言葉が少々違いました。
彼ら5つの民族と日本人は、木造の家を作り、人と馬が通る道を平たくし、土器を作るための土を採取する場を作り、自分たちの作った土器で収穫した木の実を入れたり、豆を煮たり、栗を焼いたりしていました。もちろん、木の実から種が出ますから、わざわざ遠くへ出かけて採集しに行かなくてもいいように、種を蒔いて栽培もしました。水は、天から降り注ぐキレイな雨水を土器に集めて飲みました。貝は潜って素手で採り、貝殻はその日の食器として使って食事が終わると貝塚へ捨てました。
罠を仕掛けて動物を捕りました。それまで服は毛皮と編み込んだものを着ていましたが、木で機織り機を作り出しました。そうして、モノを作ることの素晴らしさを分かち合いました。ゴミ集積場もつくり、生活圏はいつも清潔さを保ちました。日本人は太古の昔から、汚れたものから病気がやってくることをよく知っていたので、汚いものとキレイなものをきちんと分けていました。
大きな栗の木を使って高い所に大きな集合所を建て、火山噴火や地震や洪水の時の避難場所にしました。又、人が亡くなると墓に埋めました。ある母親が子の墓に花を飾りました。その心は全ての民族に伝わり、皆がそうするようになりました。
紀元前1000年頃、また大陸から民族が大きな箱舟に動物たちを携えてやって来ました。彼らは、黄金でできた大切な箱を山の頂に運び隠すと、動物たちと共に山に住みつきました。

やがて人が増えてきたので、人の集まりを『村』と呼び、村のあつまりを『県(あがた)』と呼び、県の集まりを『国』と呼ぶことにしました。なぜそうしなければならなかったかというと、全部をひとつの村としてしまうと、統治する人が大変になってしまうからでした。
各国ごとに偉い人を選び、県ごとに偉い人を選び、村ごとに偉い人を選びました。偉い人は知恵と力と思いやりのある人が自然となったりみんなで選挙して決めたりしました。そして、全ての情報は、村→県→国→ミカド・ミコトという風にすぐに伝わるようにしました。
人が増えてくると、不届き者も出現したので、不届き者をこらしめる警察『もののへ』もつくりました。

いつの間にか、南側にも人が住みつくようになっていました。米作りと船を作るのが上手な東南アジアからやってきた民族です。彼らは肌が浅黒く入れ墨をしていて、背は低いけれど体格がよく濃い顔をしていました。後で聞いたことによると、東南の国がひどい洪水で国が沈没し、大事な武器と主食の米だけ持って逃げて来たということでした。
やがて南側には、大陸の半島からも狐顔の民族が入ってきて、B、C、Dの3民族が住みつきました。D民族は、C民族の作った船を利用して半島と日本を行ったり来たりできたので、半島の最南端とこちら両方に住みつきました。
南側の民族は、北の民族が真四角に土を盛った墓を作り自分たちのミカド・ミコトの亡骸を葬っているのを見て、それを真似しました。北側では水田を作った時の土を利用して土を盛りました。周りに稲作のための大きな水路を作って盗賊を防ぎました。北では橋を渡って花や土器・土偶をお供えする仕組みになっていましたが、南側では丸く土を盛り、水路を渡る為の橋だった部分がどんどん大きくなって鍵穴の様な形になりました。それは波及して、大陸の半島の最南端の国にも作られました。



熱帯期~温帯期に北側に住みついた民族の内、4つの民族をまとめてY民族とします。Y民族の一部は、山を偉大なる神(ヤッホー)として崇めました。そして大事なことが書かれた黒くて小さな箱を頭の上にくくりつけ、これまた大事なことが書かれた紙を筒状に巻き『トーラーの巻』と言って大事に持ち山中を歩いていました。

時が過ぎ、Y民族の中のA民族がイヅモの国まで南下したとき、南側の頭の弟の『スサ』がやって来てこう言いました。
スサ「ちょっとおまいら、広がりすぎだぞ!イヅモは俺らの地とする。」
A民族の家来が言いました。
「それは困ります。もう国ができていて、ヤマトも定住しております。」
D家来「ダメだ。俺らの地域を広げたいのだ。それに稲作を全国に広めて、大王に貢がなければならないのだ!」
A家来「実は、私たちには既にとても賢いミカドが居て、私達の中心を担っています。そのミカドを中心に政治を行い、村、県、国があり、それは私達にとっては、何よりも変え互い”宝”であり、”神”なのです。」
スサ「なんだと!?神のような宝のお人は俺らの女王のことじゃ!」と言って、剣を振りかざしました。
A家来「ちょっとまってください!『わ』は、戦いは懲り懲りです。ちゃんと話し合いませんか?」
スサ「いいだろう。話は聞いてやろう。」
スサが靴を脱いで、イヅモの国の『シャムショ』に入ると、それはそれはとても美しい弦楽器の音色が聞こえてきました。スサは、一瞬にしてその音色の虜になってしまいました。
スサ「これは、どこから聞こえているんだ?」
A「姫がハープを弾いておられるのです。」
スサ「ハープ?なんだそれは?この音色は琴に似ているが?」
A「ええ。そうです。琴でございます。」
スサ「弾いてるおなごを見たい。」
A「では、こちらからこっそりどうぞ。」というと、ふすまを少し開けました。
スサが覗くと、それはそれは美しい女性が琴を弾いておりました。

この日より、スサはイヅモから帰ってこず、業を煮やした南側の頭がイヅモにやってくることになったのです。何度もイヅモに来てスサを説得しましたが、荒くれもので独立心の強いスサは、南にはもう帰るつもりがないと言いました。

やがて、スサが寿命を終えてその6代目の息子になったとき、南側は一層強く出ました。
とうとう南側の頭の強引な押しに負けて、A民族は「それでは相撲で勝った方がこの国を支配するものとしましょう。」と提案し、南の頭はそれに応じました。
後日、相撲大会が始まりました。
A民族は土俵を聖なる場所の意味でロープを張り巡らせ塩で清めると、国の”神宝”をかけた聖なる戦いです。
「ハッケ・ヨイ」「ノコッタ・ノコッタ!」
結果は、南側が勝ちました。
しかしA民族は、どうしても自分たちの”神宝”を無くすことはできないと懇願しました。
南側は、それでは仕方がないと、今存在している”神宝”(人)は ”神”として残すことを許しました。そして北側にも米を作るように命令し、南側のミコトを崇めるよう命令しました。実質上、支配は南側がすることになったのです。

そのころ南側は、イセを中心とし南側の国々を稲作によって統治しました。鉄器や土器は仕事をするための道具でしかなかったため、北側が作ってきたような芸術的な土器や土偶は誰もつくりませんでした。
北側では民が喜んで神宝の墓を作って花や土器・土偶をお供えしましたが、南側では半強制的に大きな大きな墓をつくらされ、稲作をやらされ、飾りっ気のない土器を大量に作らざるを得ませんでした。王の墓には生きたままの馬や人間が一緒に埋められました。

一方北側では、年に一度、祭りをしていました。
スワでは、神が宿るとされる大きな柱に乗り、山を滑り落ちるお祭りです。(この民族の中では、神は木に宿るとされていました。)
そしてもう一つは、神の山「モリヤ山」に鹿を生贄にする儀式です。
また別の地域では、「エッサ、エッサ」と言って神輿を担ぎ、楽しく且つ面白く、好奇心旺盛で新しい物好きな日本人を巻き込み、また他民族もそれを進んでやりました。神輿は祭りの最期に神殿に持って行かれ納められました。Y民族にとって、神輿の箱が毎年別の神殿に移動することが重要だったのです。
作詞作曲に長けたY民族は、ヤマト言葉とそれぞれのY民族の言葉を主に囃子詞として歌詞の中に入れて、いくつもの歌を作り皆で歌いました。
意味が分からない民族にとっては掛け声の入った元気の出る歌として、また、意味が分かるY民族にとっては隠れた合言葉のように、誰もが喜び唄える(ヤーレンな)歌として、歌い継がれたのです。
イヅモの国は実質上奪われましたが、儀式や言葉はこうして残っていったのでした。




つづく

もちろんフィクション(空想)です。