潤子先生は、わたしが高校生のとき入っていた合唱部の顧問でした。
旦那さまの篤先生も声楽家で、夫婦で音楽活動を続けていらっしゃいます。
谷先生は、わたしが高校を卒業したころ、
卒業生を集めて、クボスコディミカという合唱サークルを作りました。
わたしも参加し、高校卒業後、大学生・社会人になってもを続けていたのですが、
仕事や他の趣味で忙しくなって、行くことができなくなり辞めてしまいました。
辞めてから6~7年たち、サークルが続いているのかもわからなくなっていた時、
潤子先生のコンサートで、クボスコディミカのメンバーに再会。
今でもクボスコディミカが続いていると知り、わたしも復活することにしました。
実は他の趣味というのは雅楽で、それをやると言って辞めたのですが、
雅楽は挫折してしまい、気恥ずかしくて、戻れないでいたのです。
でも、潤子先生はわたしの病気のことを、すごく心配してくれていて、
わたしのクボスコ復活を喜んでくださったので、とても嬉しかったです。
これからは、合唱で歌うことも、わたしの表現活動のひとつとなりそうです。
旦那さまの篤先生も声楽家で、夫婦で音楽活動を続けていらっしゃいます。
谷先生は、わたしが高校を卒業したころ、
卒業生を集めて、クボスコディミカという合唱サークルを作りました。
わたしも参加し、高校卒業後、大学生・社会人になってもを続けていたのですが、
仕事や他の趣味で忙しくなって、行くことができなくなり辞めてしまいました。
辞めてから6~7年たち、サークルが続いているのかもわからなくなっていた時、
潤子先生のコンサートで、クボスコディミカのメンバーに再会。
今でもクボスコディミカが続いていると知り、わたしも復活することにしました。
実は他の趣味というのは雅楽で、それをやると言って辞めたのですが、
雅楽は挫折してしまい、気恥ずかしくて、戻れないでいたのです。
でも、潤子先生はわたしの病気のことを、すごく心配してくれていて、
わたしのクボスコ復活を喜んでくださったので、とても嬉しかったです。
これからは、合唱で歌うことも、わたしの表現活動のひとつとなりそうです。
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