ウテンケッコウ。

日々のあれこれを書きます。

記憶を辿りながらの作業。

2014-08-09 00:33:16 | 日記
8日。雨のち曇りのち晴れ。やや涼しい。
旧盆初日。ウンケー。お休み。
おとんがもう居ないので、うちらの代のお盆初日。
小学生の頃の懐かしい記憶をあれこれ辿りながら、おかんに教えて貰いながら、お花を生け?生けてると言うのかな?あれは?まぁ、言い方は分からないけど、お花を準備して、果物を左右に7つずつお供えして、パインもお仏壇の左右にででーんと置いて、火の神にウブクと、御仏壇にウンケージューシーをお供えする準備。
そして、子供の頃の思い出、お香炉から御線香の燃え残りを割り箸で探しあてては、ぽいぽい取り除くお仕事。めっちゃ懐かしい作業。
仕事を終えたら直行でおとんちに来たガイザーと一緒に、御先祖様を御迎え。
しばらくしてから、ウサンデー(お下げした物)を3人で頂く。

こないだ妹が家族で訪ねて来た時、おとんちで集合して、私を除く家族同士で夕飯を食べたんだけど、(わざわざおとんちに集まった理由は、まず、おとんちにはクーラーがついてるし、ついでに妹一家でお仏壇に手を合わせたいし、バスとトイレが別だから、という話)
その時に妹が、
おかんはおとんを相当恨みに思っていたし憎んでいたのに、こうしておとんちでうちらと会うのは我慢してるでしょ?借金の事で恨みもあるし、苦痛でしょ?私の為に有難う、みたいな事をわざわざ言ったらしくて、
自分が仕事から家に帰宅してから、あの子は何にも分かっていない、今幸せなんだろうから仕方ないけど、幸せなら喜ぶべきなんだろうけど、というふうな愚痴を聞く。
それで、あの子は何を言ってるの?違うよね?おかんは、最後の最後までおとんに幸せにしてほしかったし、最愛の人だからこそ結婚して、子供を授かった喜びもこれ以上無いという幸せに感じたんだろうし、その子供たちと自分たち夫婦の将来を夢見て、希望を持って、気持ちがすれ違っても、思うように行かなくても、諦めずに自分なりに努力して、尽くして尽くして尽くしたのに、返って来たのは裏切りと嘘と暴力と暴言だったから失意のどん底の中で別れたのであって、
その最愛の人がもうこの世に居ないのなら、全てがもう後の祭りであって、残されたおかんは、現実に目を向け、子供達に引き継ぐべき事は引き継いで行くしかない、と自分に言い聞かせて、義務を果たすしかないじゃない?という諦めに似た気持ちなんでしょ?ごめんね、あの子には分からないんだよ、出来た良い旦那さんに守られて幸せしか知らないから、でもおかんのそういう気持ちは知らなくても良い事ではあるんだよね、ある意味、と自分が代わりに言うと、
そうよ、もう私はそうしか出来ないじゃない?私は今も生きているんだから、これからはそれしかする事ないじゃない?という返事でした。

ウンケーを終えて、洗い物などの後片付けを終えてから、生ゴミを包んで、家に持ち帰り。
明日は中日でごわすよ、どすこい。