遠い記憶・前世からの約束さんから転載です。
◆破壊的変化を望まない◆
ここ渋谷では2、3年前から、東京では最もポピュラーなアブラゼミが激減していると感じていました。
明治神宮や神宮外苑もさほど遠くはないので、昆虫は思いの他多いのですが、アブラゼミに関しては特に昨年の夏、全くと言っていい程聞く事がありませんでした。
しかし今年の梅雨が空け、8月を迎えると、あの懐かしくもうるさいアブラゼミの声が戻ってきました。
昨年は放射線の影響も十分に考えられる事だとは思います。或はもしかしたら新しい地球への移行とともに帰って来たのかもしれません。
では今回の話題に移ります。
◆破壊的変化を望まない◆
今私たちは2012年を迎え、確かに目に見える変化を体験しているかと思います。
しかしその変化は、今日現在、未だ大きなものではなく、時には取るに足らない日常の、敢えて目を向けねば気がつかない様な微細なものもあると思います。
もし自分が新しい地球への移行を望んでいるのであれば恐らく、日常の些末な事にさえ小さな変化を見ている筈なのでが、あまりに小さな変化なので気がつかない事もあるかもしれません。
しかし重要な事はいかに小さかろうと、その変化が継続し続けていると言う事実です。
堅牢で強固な堤防も蟻の一穴から崩壊へと向かってしまうとのことわざ通り、小さな変化の継続は、やがて大きな変化(望まぬ側に取っては崩壊とも取れる)を見る事になる筈です。
本当の変化は、先ずは目に見えない土台の更に奥深くから人知れず起こって来ます。
誰の目にも疑う余地のない変化を見るに至った時には、既にもう旧社会には戻る事が出来ない「基盤からの崩壊」を迎える事となります。
そして目に見える大きな変化を多くの方が知るに至った時には、既にその変化の佳境を過ぎている事になります。
私たちは往々にして答えを欲しがり、しかもその答えを目に見える事象として捉えようとし、見に見えるからこそ変化と認識する傾向があります。
それは致し方ない事だろうと思います、あまりに微細な変化であれば気がつかない事も多くて当然でもあるからです。
しかし、目に見えないからと絶望したり、ましては人為的な破壊であってもかまわないから、攻撃的、破壊的な変化を望んでしまう事となれば、旧社会に軸足を預ける事と同義となってしまいます。
また、変化を迎えたい、目撃したいと強い願望と焦燥感を抱き続け、日常生活の多くの時間をその意識に向け過ぎてしまう事は、逆に混乱した崩壊状態を迎える次元に退行してしまう事にもなりかねません。
緩やかに穏やかに変化して行く未来も、阿鼻叫喚の大混乱する世界も、日々報道される通りの日常の延長である(既報通り更なる発電所の再稼働も、消費税増税も、常に見聞きする国境紛争もそのまま経験する)3次元的社会も、あらゆる未来が用意されています。
既にそれぞれの目的地に向かう船に皆乗船を終え航海の途中ですが、それでも現地に到着してから狼狽えない為にも、今から自分の行く世界を良く理解しておく事も決して早くはないかと思います。
新しい地球、新しい世界では恐怖や混乱は存在しないでしょう。そうであるのなら変化も緩やかに、大きな危険は無く起こってくる筈です。
つまり緩やかで止まる事の無い微細な変化の継続を見ていると言う事は、既に新しい世界に片足を踏み込んでいるからなのかもしれません。
旧次元である3次元では、自分の意志で未来が変えられると言う事を理解出来ないため、それを念頭にして生きる事がありませんでした。
リーダーと呼ばれる人々の思惑で敷かれたレールを、自由な道の存在を知ること無く辿る、その選択を自らがする。これが3次元的に生きると言う事になります。
ここでは自身の想念が未来を作ると言う喜びの放棄となり、クリエイティブな人生ではなく与えられる人生に甘んじる事となる訳で、この次元に生きる方の未来には選択肢が無く、何者かに与えられる一つだけの未来となるかと思います。
そして壊れてしまえ、崩壊してしまえ、消滅してしまえと言う意識は、その対象物に意識を向け続ける事になり、意識を向けると言う事はその存在を(可否は問わず)承認している事になってしまいます。
この意識が構成する未来も今までの3次元と言う事になりましょう。
しかし不要なものを自身の意思から排除してしまえば、その存在自体消滅し行く事となります。
不要なものへ意識を向けるエネルギーを、来るべき希望の未来の到来を願い祈る事に向ける方が、エネルギーの無駄使いをする事無く効率よく、新しい未来の到来を早める事にもなります。
私たちは常に試されています。
何事があろうと、例え次元の変化と言う途方も無い変化であろうと、狼狽える事なく日常の中で平静に、平穏に、更には日々の中にささやかでも幸福感を持てる様生きる事を出来ているかと言う事をです。
ハリウッド映画の様に、大きな天変地異と大混乱を潜り抜け、丘を這い登り、破壊された都市の向こうから昇る朝日を皆で抱き合って眺める時初めて変化と認める。
そう言う分かり易い事象は、新しい地球へ向かう方は恐らく経験することはないでしょう。
何故ならこの様な変化はあくまで表層上の事象と言うだけで、今回迎えるべき真の意味である「意識の変化」ではないからです。
ただし、これから暫くは全ての人がある程度の変化をくぐり抜けなければならない事も避けられない様です。
これは矛盾する事とお感じになるかもしれませんが、大きな違いがあります。
それは自分が安全であると言う点です。
自分以外の方の奇禍を見聞きしてしまう事もあるかもしれません、しかし全ての事象は個々人に重要な意味を持ちやって来る学びです。
生まれ来る前に行った魂の契約として受け入れねばならない、避けられない真実でもありましょう。
少し冷たいと感じるかもしれませんが、達観し全てを受け入れると言うシミュレーションもしておかれたら宜しかろうと思います。
新しい未来を迎える時の変化は決して急激なものでもなく、見知らぬ未来に一人放り込まれる訳ではありません。
共に行くべき「魂同士の約束と同意」に従った人々と手を携え向かう、日常の延長にある「変化し続ける未来」です。
「焦りと破壊願望」は決して新しい未来を引き寄せない、それをご理解下さい。
転載以上