会期 3月24日(日)~31日(日) 10:30~17:00(最終日16:00まで)
場所 福島県須賀川市「ギャラリー茶論 月夜田」
24日、25日、31日は、在廊する予定です・・・「月夜田(つきよだ)」は地名なんだけど、雰囲気の有る地名でしょ~~w
光の玉に乗って「神様」が、飛んで行った・・・って、感じの言い伝えが有る所です・・・
御近所の方、お時間有ったら遊びに来ませんか~~
会期 3月24日(日)~31日(日) 10:30~17:00(最終日16:00まで)
場所 福島県須賀川市「ギャラリー茶論 月夜田」
24日、25日、31日は、在廊する予定です・・・「月夜田(つきよだ)」は地名なんだけど、雰囲気の有る地名でしょ~~w
光の玉に乗って「神様」が、飛んで行った・・・って、感じの言い伝えが有る所です・・・
御近所の方、お時間有ったら遊びに来ませんか~~
今回も前回に引き続き結婚と恋愛に関しても話題を続けたいと思います。
◆結婚と恋愛(1)◆
先ず前回の補足からお話に入ります。
前回、今までの3次元で学んでいた私たちには、その学びをより効果あるものとする為「有限」である事が必要だとお話ししました。
では今後向かう高次元では寿命が遥かに延び、「死」と言う概念さえも薄くなって行くのであれば、その学びの多様性が逆に狭まれないか?
と感じてしまうかもしれません。
確かに今までの濃い人間関係や社会生活に留まり、3次元の学びを続けるのであれば、長い寿命は、前記の「有限が有効」と言う事と矛盾してしまいます。
しかし高次元に向かうと言う事は、その3次元的学びが概ね終了している事が前提となり、そこでの学びは今までの次元では得られなかった「ワンネス意識」や「宇宙的概念」を学ぶ場となる為、一つの肉体の寿命が長くなる事に支障はなく、矛盾はしないと言う事になります。
ただし、次の次元に完全に移行すると時間軸そのものが崩壊して行きますので、何年先、何年前と言った積層される時間の観念が無くなります。
ですから、永遠の命と言う概念も当てはまる事もありません。
全ては個々人が望む時間軸が、自由に設定出来ると言う事になります。
(今は未だ移行の過渡期ではありますが、それでも既に多くの方が時間の流れに微妙な変化を感じている様です)
さて、ここから今回の新しい話題になります。
この全宇宙はいくつもの次元が重なり合って出来ています、その多くが概ね高い次元で構成されていますので時間的始まりや終焉はありません。
全ての生きとし生けるものの為あらゆる次元に生きる者の学習の場として完璧に機能しています。
そしてその宇宙には普遍的な事柄が一つあります。
それは「変化は留まる事無く継続して行く」と言う事です。
この「変化」は全てに当てはまります。
社会も国家も自然も、そして人の心(意識)も決して永遠ではなく、それも宇宙のあるべき姿の一つなのです。
お分かりになると思いますが「心変わり」もまた、変化であり、真理と言えるのです。
結婚とは、この人の心の変化を受け入れられないが故に生まれた「契約」の側面を持ちます。
変化を受け入れるのを拒否すれば、相手に対する「疑心」に心が揺れ動く様になって行きます。
逆に言えば、相手の心が永遠の愛を自分に向けてくれる事が確実に保証してもらえるのであれば「結婚」にこだわる必要は無く、共に生きればそれだけで問題は無い筈です。
しかし、対峙する相手の変化に人は翻弄され、不安や苦しみを知る事となります。それさえも古い3次元では大切な学びのカリキュラムでもありました。
私たちの本来の姿は、この肉体ではなく、その中に宿る魂そのものです、そしてその魂は、変化に関して寛容であり十二分の理解をしています。
そして今までの3次元に生きて来た者に取っては表層の自我と魂との乖離があるものの、その魂から溢れ出る「意識」はその隔壁から染み出て表層の自我に語りかけて来ます。
お金にもならず、効率も悪いであろう「温かい心」に触れたとき、人は社会の荒波の中から、その暖かさを感じ涙する事があります。その出所こそ「真実の泉」に他なりません。
これと同じ様に魂はこの三千世界(宇宙)に「永遠」は無く森羅万象例外無く変化を続ける事を承知しています。
そしてその「変化と言う真実」を表層の自我に感じ取れてしまうが故に、人は「契約」であっても「(永遠を誓う)結婚」を望むと言うのが、結婚の一つの側面でもあった訳です。
私たちは教会での誓いの言葉を耳にします「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも・・・」
あなたは私と「結婚」と言う契約をしました、もしそれを保古にするのであれば神の怒りを買い、反社会的な人として扱われ、法律にも抵触するかもしれません。だから私に永遠を誓って下さい。
誰も神父の前で誓い合っている時には、この愛が終わる事等考えもしませんからその契約の言葉も何の疑問も無く受け入れるでしょう。
しかし神の名の下に「契約しなさい」と強制されている事に違いはありません。
愛とは無償のものです、これだけの代償を払ったのだから手に出来る、と言うものでは無く相手に対し見返りを望まない事こそ真の「愛」と言えます。
貴方が私を愛してくれるから幸せなのではなく、私は貴方を愛する事が出来るから幸せなのだと言う事をご理解下さい。
イエスは「愛」の力が如何に大きいかを伝え続け、そして自由に多くの人と愛を経験しなさいと言ってました(聖書には無い一文だと思います)
またリーディングで「人は延々の命を得た時(高次元に完全に移行した時)全ての拘束から解き放たれ、その背中に隠れていた大きな羽を広げ羽ばたく」と言うミカエルの言葉を聞きました。
(大天使ミカエルは、天使界のリーダーとして実際に存在しています。3次元では「意識体」としてこの地球に深く関わり、彼の命を受けた天使界の人が何人も人類として、今この地上に転生して来ている事を数々のリーディングで確認しています。次回以降機会を見て彼に付いてや、彼からのメッセージをお話し出来たらと思っています)
この拘束と言う言葉には「社会」「有限の命」「性別」「国家やイデオロギー」「教育」「全ての宗教」等とともに「(契約としての)結婚」が含まれます。
契約しない「結婚」を考えてみて下さい。
愛する者同士が共に過ごすだけで十分なのです、誰に誓いを立てずとも、誰の目を気にする事も無く、目の前にいる者と「今」と言う時を過ごす事が重要なのだと言う事です。
なぜなら高次元では時間自体存在しませんので「永遠」も「今と言う刹那」も区別出来ないからです。
自らに強いストイックさを強いたり、社会性を強制したり、約束の遵守を課せる事は、時に自らの道を迷わせ、堂々巡りをさせ一所に繋ぎ止める事となりかねません。
契約からの心の解放は、背中の羽根を羽ばたかせる事が出来るのだと記憶しておいて下さい。
人は本来皆、身も心も自由を約束されています。
『 仮面の夫婦と未婚の恋人達 』
愛の有る結婚はとても暖かく微笑ましい事と思っていますが、一度ここに想いを巡らせてみて下さい。
今回は「契約しない愛と結婚」についてお話してみました。
次回はこの話題の3回目として、現在の社会での「結婚」が何を意味するのかを取り上げてみたいと思います。
(その前に別の話題が入るかもしれません)
ではではまた。
転載以上
japonese.despertando.meさんから転載です。