初夏になると茗荷が美味しくなりますね。飼主も茗荷を買い込んで
甘酢漬けにして楽しんでおります。季節に大量に供給される産物を
なんとか消費するのにクックパッド便利だなあ。食べ物を仕入れて
なんとか工夫して保存すること自体が楽しい。なんだろうこの幸せ
と思いながら、近くの爽やかな居酒屋に行きました。
料理も、置いてある日本酒も気持ちの良いものばすりで、客もサービスも
気持ちいいものだから、つい通ってしまいます。
細部を見て社会を洞察するっていう手法があるんですが、どうも以前より
住み分けが進んでいるような気がする。たとえば飼主が出入りする店には
客層に明確な中心層がそれぞれにあることが無視できなくなってきています。
以前はそうでもなかったのだが。
爽やかな茗荷を食べて爽やかな酒場で楽しく過ごしたのだったが、どうも
重要なものを背負い込んだような気がしています。ここのところ、日本猫の国計画
も順調だが、方向としては猫を通した共有意識の拡張が進展するわけだから、
住み分けの解消の方向なんですよね。物覚えが悪くなったのかな。茗荷のせいだな。
などとぶつぶつ言いながら、翌朝、朝日から隠れるように押し入れに潜り込む
クルシャ君の背中が全然爽やかではなかった印象から、なんとか昨日の思考の
糸をたぐり寄せてみようとしたのだが、ちっとも糸口が見当たらない。
どうやら、物忘れする食べ物を食べたんではなかろうかと思うのですが、
それも何を食べたのだか思い出せない。
水のソーテール5: ベッセン・ベリテン・ベリオ (うるたやBOOKS) | |
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