神社巡りが続きます。
去年から、京都を中心にして神社経営の新しい形を模索している、極めて
優秀な神社を見て回って賛嘆し続けている飼主一行なのですが、今度はまた
違う方向でもって自己主張しながらまた受け入れられることに成功している
新熊野神社をご紹介します。
全国のみなさん、是非参考にして下さい。
神社にはこんな形もあるのです。
神社の明快な部分は弱みでもありながら強みにもなります。常に野外に表現の
大半がさらされていて、変化はどんなに小さな事でも誰にでも見えてしまうこと
から、反応もビビッドに受け入れられるし、応答もビビッドに出していけるわけ
なのです。このへんが寺院や教会やモスクやシナゴーグと違うところ。ダフメと
は正反対なところ。
ふらりと出かけて、すぐに印象を参拝者が表現できる。
この自由さをむしろ神社側が、自由に広げていく。
この方法を採用するのが神社の個性化のひとつの方法ではあるのですが
新熊野神社はこの路線を明確に意識して、実現することに成功しました。
いずれ必ず、地主神社に匹敵するくらいの有名神社となることでしょう。
すでに有名かもしれませんが、訪れると面白いこと請け合いであります。
神社のテーマパーク化、という問題が発生してしまうことについて、疑義を呈される
向きもあるとは思いますし、その懸念については飼主もよく理解できるところです。
しかしながら、寺社というのは人類史を通して、一種のテーマパークそのものだと
いう認識を持つべきです。調べると実際のところそうなんだから。
能の記念碑。
ここで子供時代の12歳の世阿弥が、足利義満に能を演じて見せたということです。
12歳の世阿弥。義満には飼主にとっての2歳のクルシャ君くらいに世阿弥が
利発で可愛く見えたんでしょうな。
新しいにもかかわらず、規格化されていない個性的な狛犬。
このへんにすでにひとつ頭抜けたものを感じさせます。
絵馬も極彩色です。
そして、ここからが新熊野神社の固有の世界が開始されます。
上二つの写真、狛犬と絵馬とはここから先の世界を示すヒントだったのです。
個性的であることに極彩色を加えたらどうなるか、大体分かりますよね。
そう、神仏習合サイケデリック密教世界、です。
中世以来の、この夢をかき乱すような信仰と讃仰の世界へようこそ。
元来、京都に居ながらにして熊野詣でができるようにと、熊野から
木から土石から運んで造られたのが新熊野神社なので、境内の森へ
進むとそこには熊野詣の順路を短縮したような道が設置されています。
写真で見たところ、この八咫烏、足が一本足りないみたいですが付け忘れた
んでしょうか。アーティストは細かいこと気にしない。宗教は細かいことが命
なんですけどね。
この写真の絵柄がすでになんだかものすごいことになっています。
十分別世界。
森の中の道端に展示用のケースがあって、中に極彩色の不動明王と矜羯羅童子が
いるわけですよ。
この間、通り雨があって、大粒の雨が森の木の葉を叩いて、冷気が吹き抜けて
いきます。なんとかランドとかなんとかスタジオに行かずに、ここに来てください。
異世界感たっぷりですよ。しかも無料。とはいっても、お賽銭くらいは投げましょう。
そして、新熊野神社の本当の主役は、熊野古道の疑似体験などではありません。
ご本体はこちら
樹齢がいかほどあるのか分からない、クスノキの巨木。
しかも、このご神木に立てられている札がまた時代を意識しています。
抱きつきなさい。
いいですか
抱きつきなさい。で始まってます。
スピなんとかブームのいいところを吸い上げているわけです。
ほんの最近のブームより、ずっと前からより根本的な形で実践している霊行の
達者は目の付け所が違う。簡単に自分のモノにしてしまっているわけです。
ところで、飼主もこっそり周囲に誰も居ないのを確認したうえで、クスノキに
抱きついてきました。いい香りがしました。
こうした時代と個性とを読み込む力のある神社は、どこも必ず女性の参拝者が
増えています。それぞれ様々なアプローチで望んでいますが、アピールするのは
必ず女性たちです。新熊野神社もまさにそうでした。ここ、重要なところ。
時代を継承しながら、発展する新しい形としては、京都市内の祇園祭で
今年150年前に焼失した大船鉾が復活しました。
話がいきなり変わりますね。新熊野神社の話題は終わりましたよ。
こちら、ただでさえ狭い京都の道にむやみに大きな新調鉾を真ん中に据えた
ところへ持ってきて、全国から祭大好きな人とか特別祇園祭好きな人とか
とにかく大船鉾が見たい人とか、なんだか分からないけど見に来た人とか、それを
また記録しに来た人とか、さらに記録しに来た人たちを見に来る人たちでもって
大混雑です。
この舳先に飾ってある、大金幣(だいきんぺい)なのですが、飼主は昨年展示して
あるのを間近で見ました。その際、こんな大きな物を取り付けてバランスの取れる
鉾など可能だろうか、と疑問に思ったものですが、その疑問は現物をみることで
氷解するわけです。むしろ、ちょうどいい大きさですよね。大金幣だけで2メートル
以上あるんですが。
あらゆる意味で、バランスをとるのが大変そうですね。
直前に通り雨があったので、そういえば祇園祭の山鉾は大丈夫だろうか
と心配でした。雨対策はしてあるんですね。ただし、十分ではない。
重厚な車輪。
これから毎年、見ていくと、大船鉾も少しずつ、必ず変化していくことでしょう。
大船鉾の復活をその日から見たことを、みなさんと共有できましたね。
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阿礼
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