「人間は起床時間の半分、物思いにふけている」とする知見もあるように、私たちにとってなにかを考えるという行為は非常にポピュラーなものだ。
晩御飯なに食べたいとか知人は今なにしてるのだろうとか。
将来何になりたいとかそれを成すためには何をすればいいのだろうとか。
或いは、急に俯瞰的になり現状の自分をただ責めたりあら捜ししたり。
もしくは、世界観と物語を作り自分だけの世界を楽しむのか。
物思いのあり様は非常に多様だ。
が、物思いにふけるという行為は基本的にネガティブな気分をもたらすという。
その理由の1つに、"物思いがひまで退屈なときに起こりうるものだから"が挙げられる。
まず、私たちの脳には『自身に意識を向ける』『外に意識を向ける』選択をする部位がそれぞれ存在し、お互いがシーソーのように作用しあいその傾きから意識の方向を決めるのだという。
で、外部からの刺激が乏しいときは必然的に『自身に意識を向ける』選択に傾き、『外に意識を向ける』用のリソースも割かれちゃうのだという。これが物思いの原理である。
この物思いが常習化すると本来であればあまり考えないであろうことを根掘り葉掘り掘り下げる、いわゆるあら捜し状態に突入し、結果気分が下がるというのだ。
例えとして、あなたがいま単調作業のアルバイトをこなしていたとしよう。
単調作業のアルバイトは2週間もすれば慣れ、作業に特別な意識を向けることなく業務を遂行することだろう。
あなたは作業の合間に考え始める……。
「俺はこのままの生活を続けてていいのだろうか」「なにか行動を起こすべきじゃないのだろうか」「でも何をすればいいのかがわからない」「何もしない俺は無価値じゃないのか」「そもそも俺とはいったい?」「2、3、5、7、11……」
自問自答しても決着がつかないような問答を、悶々と延々と考え毎日が過ぎる、そんなイメージだ。
ここまで思い詰めると「ーーーそしてアルバイトは、考えるのを止めた」ほうが気が楽になる、旅行とか運動などの刺激を与えてリフレッシュすることをお勧めしよう。
ちなみに、物思いは基本的にネガティブな効果をもたらすといったが。
物思いのあり様は非常に多様なもんで、例外もきちんと確認されている。
2020年に発表された文献によると、マインドフルネスかつサブカルチャー消費が激しい人は、物思いによってポジティブな感情を抱くことができたという。
なんでも、マインドフルネスが高いことはあら捜しの抑制につながり、サブカルチャー消費が激しいことは物思いもとい空想の材料に困らないため、いくらでも空想に没頭できるからなのだという。
ここでいうあら捜しとは『創作に刑法の適応を試みる』ようなものであり、マインドフルネスという一種の客観的視点を得ている人は、それが無粋なことであると理解しているのだ。
創作に茶々を入れず没頭できる人は、自分の空想にも没頭できる。
起床時間の半分をより活用したいのであれば、ぜひ参考にするといい。
参考文献
Yoshinori Sugiura(2020) Relation Between Daydreaming and Well‑Being Moderating Effects of Otaku Contents and Mindfulness
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