看護師さんから「恐らく明日には一般病棟に移れると思いますよ〜」と嬉しい知らせを受けた時、私は心底胸を撫で下ろした。
これで主人があの大荷物を持ってきてくれたら、外界との連絡手段【スマホ】を手に入れることが出来るのだ。
※後々知ったが、そこまで厳しい決まりではなかったらしい。同室の人は看護師さんによるよー!私スマホ、触ってたもん。と教えてくれた(涙)
集中治療室最後の日。
朝は重湯を食べ、ベッドの側で立つ練習をした。(ご飯は半分残した)
もちろんフラフラの身体で、だ。
意地でも立ってやるという気持ちで脚を踏ん張った。
しかしながら頭が安定しない。
腰から下が自分のものではないように重く、それでもベッドに座り込んだりはしなかった。
まるでこのミッションこそが一般病棟行きのチケットであるかのように。
体力の限界が来たとき、どさっとベッドに横たわり、またしても時が経つのを待つ。
確か午後、それもしばらく経ってから、一般病棟の看護師さんたちがベッドを持ってやってきてくれた。
首を長くして待っていた私の目は、涙で滲んでいたことだろう。
それほど嬉しかった。
同じ階だしゆっくり歩いていくかと思いきや、どうやらベッドに寝たまま運ばれるらしい。
今から考えれば無謀過ぎる妄想だ。
腹からは3本の管。
尿管にも管。
手には点滴が刺さっていて、術後間もない体力最底辺の患者にはハードルが高すぎる試練だったのだ。
病棟に戻ってきた私は、あれ、個室空いてなかったのか、と少々ガックリする。
主人からも個室プリーズの意思は伝えてもらっていたし、それもまた空き次第ということで話は一段落しているようだ。
窓際のブースは冬場、時として冷気が忍び込んで来る為、一概に良いとも言えなかったりする。
まあこの時は動くこともままならなかったから、どこに居ても同じだろうが。
ただやはり、自動可動ベッドが欲しかった。
あれを手に入れるために個室を希望していたというのに。
長時間の手術で頭と背中は重く、とにかく自分で自分を動かすことが困難。
脚は血栓防止のため、一生懸命先っぽを動かす。
下腹から出た管は入れ物に繋がっていて、手術後の体液を外に排出しているので自分の体の一部だと思って慎重に取り扱ってくださいと言われた。
いきなりの難関ではないか。
狭いベッドスペースに最重要課題である怪しげな容器があるだけでも、ストレスマックスだ。
そしてようやく大切な荷物とスマホが届く。
主人には手間をかけさせて申し訳ない気持ちでいっぱいだが、とにかくこれでお互いの気配を感じることが出来るぞ!
主人はもちろんのこと、友人やSNS民たちのメッセージがすごかった。
目頭が熱くなって当然である。
時を取り戻すかのようにLINEをしていたが、実際目が光を拒否するかのようで、どんどん疲弊は膨らんでいった。
You Tubeなんてとんでもない。
疲れて寝て、また触ってみるものの疲れる。
二日間、集中治療室にいたのだから当然かも知れないが、とにかく私はとことん疲れていた。
そしてこの夜から始まる不眠。
それがまさかの弊害をもたらすとは。
入院生活はまだまだ続く。
それはさぞかし不安なことでしょう。
病気にもよるのですが、子宮体がんにしろ、頸がんにしろ、開腹して初めてそのステージや状態がわかるようです。
今はお医者様の言葉を信じ、体力をしっかり作ってください。 手術後は硬膜外麻酔のおかげで痛みはなく、吐き気はおかげさまでありませんでした。
看護師さんたちの手厚い看護のおかげで、日に日によくなっていきます。
ご安心くださいね!
そして私も陰ながら応援しております!