縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●氏素性【ウジスジョウ】

2020年09月14日 17時28分12秒 | 文化
●氏素性【ウジスジョウ】
日本は歴史が有るために昔から氏素性を重んじた。
最小集団の単位として5が上げられる。
物事を取り決めてルールを守れるのが五人だと。
そういうものが集団として仲間や血族として氏素性などに
発展していったのでは無かろうか。
繋がりがキツイので結束も強かったのでは無かろうか。
同和問題が現在まで残っているのはそのせいも有るのでは無かろうか。
素人の判断としては最初の集団になっていったと思う。
だから今でも氏素性を重んじているのでは。
認識が浅過ぎるかも知れないけど。
我が家も今では殆ど廃れたけれども貧乏公家から出たと聞いている。

★氏 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/氏

1.氏(うじ、ウジ)は、男系祖先を同じくする同族とされる家の集団。氏族。→古代氏族としての「氏」の節を参照。なお、中国の氏族については氏 (中国)の項を参照。
2.氏(うじ)は、家(家族)の名称。代々引き継がれ、系統(家系)を表す名称となる。姓氏(せいし)、姓(せい、本姓)、名字(苗字)。中世後期から明治初期まで、氏とは「姓」(せい、本姓)を指し、「名字」(苗字)とは区別された。→家の名称としての「氏」の節を参照。
なお、1947年(昭和22年)の民法改正後の現行法下での「氏」の法的性格については、血縁や家族を背景としているとみる説(血縁団体名称説や家族共同体名称説)があるのに対して、何らかの集団を背後に予定しなければならない根拠はないとして純粋に個人の名称であるとする説(個人呼称説)や多元的に捉えるべきとする多元的性格説等もあり氏の法的性格については見解が分かれている[1][2](個人呼称説が民法学上の通説であるとされるが、近時、現実の家族共同生活をする個人に共通する呼称としての性格を併せもっているとの見解が有力になっているとされる[3])。現行の日本の法制度上の氏については現代日本法における氏の節を参照。
3.氏(うじ)は、家柄、家系のこと。
4.氏(うじ、し)は、人名に付けて敬意を表す敬称。

★武士団(ぶしだん)  https://ja.wikipedia.org/wiki/武士団
主に平安時代後半から、鎌倉時代、南北朝時代を中心に室町時代までの武士の集団を指す。
1930年代から日本中世史での学術用語として使用され始めた。
中世史研究史上においては「武士」と同義語として扱われることもあるが、「武士」は中世から近世(江戸時代)までを対象とし、また「武士」論は「武士団」を率いる「侍」のみを対象とすることもあるに対し、「武士団」ではその郎党も含めた社会的実態が問題とされる。

★武士(ぶし、もののふ)   https://ja.wikipedia.org/wiki/武士
10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読みならわすが、その起源については大伴氏や[要出典]物部氏の名に求める説など諸説がある。
同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者など)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする。
武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆し、古代を終焉させたと理解される。旧来の朝廷を傀儡として維持したまま、武士が実質的に政権を主導する中世社会を構築した。さらに、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が近代政府(明治政府)に人材として参画し、中心的存在であった。

★侍 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/侍
侍(さむらい)は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。「伺候(しこう)する」「従う」を意味する「さぶらう」(旧仮名遣いでは「さぶらふ」〈候ふ/侍ふ〉)に由来する。

★公家(くげ)   https://ja.wikipedia.org/wiki/公家
日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。天皇に近侍し、または御所に出仕していた、主に三位以上の位階を世襲する家。
公家の称の由来として、元来は天皇または朝廷を指し、「こうけ」「おおやけ」と読んだ。鎌倉時代以降、源氏・平氏・藤原氏などの貴族の内で、武力で天皇に奉仕する幕府を武家(軍事貴族、武家貴族)と称するようになると、それに対比して、儀式と文治をもって天皇に奉仕する宮廷貴族一般を公家(公家貴族)と呼ぶようになった。

★宗家(そうけ)  https://ja.wikipedia.org/wiki/宗家
ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。
日本ではこれから転じて、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号として用いられる。もとは能楽のシテ方観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったものである。宗家位、宗家号とも。流派の経営、普及活動及び一門の統率、門下生の教育を旨とする。流派により宗家自ら師範となる場合、弟子に門下生の指導を委ねる場合がある。

★庶家(しょけ)  https://ja.wikipedia.org/wiki/庶家
宗家ないし本家より別れた一族のことをいう。
嫡流に対し庶流の家柄。
主に日本の封建時代においてみられた血族集団である。
分家、庶流、庶子家ともいう。
なお、ときたま混同されるが、傍系とは、本家・分家とは無関係に、ある人物から見て共通の祖先のいる者たちを言う(例えば、兄弟姉妹、直系尊属の兄弟姉妹の子孫など)。

★嫡流(ちゃくりゅう)  https://ja.wikipedia.org/wiki/嫡流
氏族の本家を継承する家筋・家系のことをいう。正嫡、正系、嫡系ともいう。対義語は庶流という。敬って「御嫡々の家系」という場合もある。嫡流の家を宗家、総本家、嫡家、大本家、本家という。
ちなみに、「直系」を嫡流の意味で用いるのは誤用で、直系とは正しくは親の親もしくは子の子といった関係の連鎖で結ばれる生物学的関係をいい、直系・傍系はあくまで純粋な生物学的血統上の語であり、家筋・家系とは関係がない。例えば、ある人物から見たときその子孫はすべて直系卑属であるから、分家・庶流の子孫も直系であるし、また、傍系は相対的な系統上の関係をいうから、分家からみた本家は傍系である。

★嫡男(ちゃくなん)  https://ja.wikipedia.org/wiki/嫡男
嫡男(ちゃくなん)とは、嫡子(嫡嗣、ちゃくし)とも呼ばれ、一般に正室(正嫡)の生んだ男子のうち最も年長の子を指す。女子の場合は嫡女となる。長男と同一視されることもあるが、たとえ長男であっても側室の生んだ子である場合、正室の生んだ弟が嫡男となることもあることから、嫡男と長男は必ずしも同一ではない。特に嫡男ではない長男は庶長子、長庶子、庶子とも称される。嫡男の嫡男は嫡孫(ちゃくそん)と呼ばれる。また、代々嫡男の家系である血筋を嫡流という。また、内孫(うちまご)とも称される。
ただし、正室が生んだ男子全員を指す場合もある。日本における現行の皇室典範の「嫡男」の語はこの意である。更に明治以後の民法では、かつての正室に相当する妻が生んだ子供を女子を含めて嫡出子と呼称している。

★庶子(しょし)  https://ja.wikipedia.org/wiki/庶子
正室ではない女性から生まれた子供を指す語。結婚(婚姻)制度の確立により生じた概念である。そのような制度が確立していない社会においては、母親の身分や両親の関係によって区別を受けた以外に嫡出庶出といった区別は意味を持たなかった。
結婚制度は、
(1)相続権、親族関係の明確化といった世俗的な要求と、
(2)性交渉に拘わるモラルの確立といった道徳的、宗教的な要求から生じて来たものであり、その枠外である庶子は、世俗的権利とモラルの両面において嫡子と差別をこうむることになる。

★落胤(らくいん) https://ja.wikipedia.org/wiki/落胤
父親に認知されない庶子、私生児のこと。
特に高貴な人物のそれが話題になることが多い。
落とし胤(だね)、落とし子とも言う。
正式な血統の一族とはみなされないので、本来系図に書かれることもなく、通常は歴史的に登場することはない。
このような子は一般民衆に混じって生活している。当時の実力者によって、正当な血統を継承する者とされて権力に利用されることがあるが、歴史の表舞台に出てくる人物の多くがそのような確証に乏しく(さらには天一坊改行のように落胤を自称した例もある)、研究上疑問視されている例が多数みられる。
しかしそういった歴史の表舞台に出てくる人物の多くはそうした血統をもつ落胤であるという確証もない(天一坊改行のように落胤を騙った例もある)。

★家柄(いえがら) https://ja.wikipedia.org/wiki/家柄
先祖からの家すじを意味する。
家格と同義とされることもある。
・家柄とは
家柄とは、個々の家に対して貴賎の社会的格付けを行うための基準とされている特有の評価観念である。「家」とは本来は血縁者(一部には使用人を含める)を中心として家産を維持するために結成され、世代を超えて継承・再生産されるものであり、家の継承・再生産を最優先とする家意識の元に社会的・法的制度にまで高められたのが近代の家制度であった。

★氏素性【ウジスジョウ】   文字の意味  今は死語に近い 2002/1/31
https://wave.ap.teacup.com/20060106/428.html
現在・いまの若い人の間では、「氏・うじ、素性・すじょう」の言葉は使われなく成ったが、一昔前は、一番良く使用された言葉である。
昔の人間社会の有り様は、現在の様に金の力が強くなく、社会の仕組み・システムの方が大事に考えられていたので、素性の知れない者は、信用が無かったのである。
「氏、素性」の意味を、辞典で調べて見ると、「素」は初めからの糸の意味で、「姓」は「かばね」で血統や家系の由来を示す呼称とあり「氏」は、姓から別れた家を意味する。と 載っている    (漢語林)



★本姓(ほんせい)   http://wkp.fresheye.com/wikipedia/本姓
本姓(ほんせい)は、日本において、古代以来の氏族名。氏を参照。名字(苗字)や家名とは異なる「本来の姓」という意味である。単純に姓(せい)とも言うが、「姓(かばね)」のことではない。

★邪馬台国への誘い
https://www.j-real.com/ta-san/yamatai/yama2.html
・氏素性をくどくどと説明
https://www.j-real.com/ta-san/yamatai/yama3.html

★ことわざ「いざ鎌倉」の意味と使い方:例文付き  2018年11月22日
https://gimon-sukkiri.jp/izakamakura/
今回ご紹介する言葉は、ことわざの「いざ鎌倉」です。
言葉の意味・使い方・由来・英語訳についてわかりやすく解説します。
このページの目次
「いざ鎌倉」の意味をスッキリ理解!
「いざ鎌倉」の意味を詳しく
「いざ鎌倉」の使い方
「いざ鎌倉」の由来
「いざ鎌倉」の英語訳
まとめ

★鉢木(はちのき)    https://ja.wikipedia.org/wiki/鉢木
能の一曲。観阿弥・世阿弥作ともいわれるが不詳。
内容    https://ja.wikipedia.org/wiki/鉢木#内容
ある大雪のふる夕暮れ、佐野の里[2]の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求める。住人の武士は、貧しさゆえ接待も致されぬといったん断るが、雪道に悩む僧を見かねて招きいれ、なけなしの粟飯を出し、自分は佐野源左衛門尉常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたと身の上を語る。噺のうちにいろりの薪が尽きて火が消えかかったが、継ぎ足す薪もろくに無いのであった。常世は松・梅・桜のみごとな三鉢の盆栽を出してきて、栄えた昔に集めた自慢の品だが、今となっては無用のもの、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべた。そして今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧となぎなたと馬だけは残してあり、一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うと決意を語る。

★鉢木はちのき   大辞林 第三版の解説
〔謡曲「鉢木はちのき」の故事から。鎌倉幕府に重大事が起こると御家人が「それ鎌倉へ」と駆けつけたことから〕
重大事件の起こった場合。働くべき時。

★第119回 馬の骨  https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p0119/
 昔のガンコ親父なら「どこの馬の骨かわからない奴に娘を嫁にやれない」などと怒ったものだろう。
 素性のわからない者を「馬の骨」といったが、もうひとつ、馬の骨の膏(あぶら)から採った粗悪なロウソクのこともいった。吉原などの遊廓では、客が寝静まった頃には、このロウソクを使ったり、魚類の粗悪な油を照明として使ったものである。図版にあるように、皆のいびきが聞こえる頃、行灯(あんどん)に油を注ぎにくるのを「若い者」といった。
https://www.web-nihongo.com/wp-content/uploads/2016/09/6f4ceee97ba7a6d9c9357391d7fc6062-1.jpg

★ヒガシナメクジウオの氏素性 | 生物学科 | 東邦大学
https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/019768.html
ヒガシナメクジウオの氏素性.
天然記念物にもなっている日本で最も普通のナメクジウオ類の種の和名と学名が、「ナメクジウオ Branchiostoma belcheri」から「ヒガシナメクジウオB. japonicum」に変わっています。
その経緯や理由を説明します。

★推理で解く 「日本の歴史」 : 神武天皇の素性
http://blog.livedoor.jp/tennmutennnou/archives/129124.html


コメントを投稿