縄文人の志葉楽さんのブログ

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●牛頭 馬頭(ごずめず)●日本の神仏習合における神である。セットで登場する。

2020年09月30日 08時02分10秒 | 文化
●牛頭 馬頭(ごずめず)


●日本の神仏習合における神である。セットで登場する。
人は悪いことをするモノ。
どんなに聖人ぶっても人ほどの悪人は居ない。
天使にも成れる動物である。
死んだ時に 地獄で亡者達を責めさいなむ獄卒である。
昔の小説にたびたび登場する。
この世で見たモノも有ると言うけれども確証はない。
シナという国は面白いものを考える。
今はそう言う人は居るのかな。
トンチの効いた頭の柔らかい人が。
この先 そう言う人が沢山出てきて欲しいモノ。
 
 
★牛頭馬頭 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/牛頭馬頭
牛頭馬頭(ごずめず)は、地獄で亡者達を責めさいなむ獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、馬の頭に体は人身の姿をした馬頭をいう。
牛頭馬頭は漢訳語であり、元のサンスクリット名は牛頭はgośīrṣa(ゴーシールシャ)、馬頭はaśvaśīrṣa(アシュヴァシールシャ)である

★獄卒 - Wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/獄卒
獄卒(ごくそつ)とは、地獄で亡者を苦しめるという鬼である。囚人を直接取り扱う下級の役人。獄吏。牢番。看守。

★獄卒(ごくそつ)     https://dic.nicovideo.jp/a/獄卒
獄卒とは、仏教における「地獄」において、亡者を苛む鬼のことである。
地獄に住まう全ての鬼が獄卒なわけではない。
概要
主に仏教において生前悪事を働いた人間は、「地獄」に落ちるとされている。
そこでは生前の罪を閻魔大王を長とした裁判によって裁かれ、
その結果、様々な地獄へと送られる。
罪の深さによって送られる地獄は違うが
(一番軽い地獄は等活地獄、一番重い地獄は阿鼻地獄)
そこで亡者は「獄卒」と呼ばれる鬼によって様々な呵責を受けることになる。
亡者はすでに死んでいるので何度死んでも苦しんでも肉体はすぐに
再生するため、刑期を終えて転生するまで苦しみを味わうことになる
(時には数千年、数万年に及ぶこともある)
いわば獄卒とは「地獄における役人」のようなものである。
また、地獄には鬼が多く住んでいるが全ての鬼が獄卒なわけではない。
亡者を呵責する役目についている役人だけが「獄卒」といわれる。
また、獄卒はいわゆる「ヒト型」だけではなく、「動物型」もいる。
代表例が地獄の門の門番である「牛頭馬頭」(牛頭は牛、馬頭は馬)など。
また、「不喜処」という地獄では鳥や犬などの獄卒が活躍している。

★牛頭天王 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/牛頭天王
牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られない。

★牛頭天王
https://minohkankou.net/minoh-kankou-mvg/minoh-story/gozu.htm
箕面に限らず、全国的にスサノオノミコトを祀った神社は数多い。これらの殆どは以前は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたものである。
 箕面でも、桜ケ丘の阿比太神社は昔は牛頭天王社と呼ばれ、粟生間谷のスサノオ神社もかつては粟生天王社と呼ばれて、いずれも牛頭天王を祀っていた。それだけでなく、石丸の為那都比古神社も牛頭天王社であり、今は廃社になった白島の大宮神社も大婦天王社と云われて牛頭天王を祀っていた。
牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神で、疫病を防ぐ神であり、薬師如来を本地仏とし、神道におけるスサノオ神と同体であるとされている。また、祇園精舎の守護神であるので、この神を祭った場所は、しばしば祇園と呼ばれる。
京都祇園の八坂神社は、貞観年間に円如が播磨国広峰から牛頭天王を遷してここに祀り、元慶年間、摂政藤原基経が牛頭天王のために精舎を建て祇園社と呼んだのに始まる。天禄元年、悪疫を鎮める祇園御霊会(祇園祭)が始まったと云われる。
茅の輪くぐり始まりの元となった牛頭天王の疫病神伝説。

★茅の輪くぐりとは?意味・由来・作法とくぐり方・大祓との関係を解説
https://boxil.jp/beyond/a5540/  公開日: 2018.11.27 Beyond編集部
茅の輪くぐりとは、茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、心身を清めて厄災を払い、無病息災を祈願する夏越の祓を象徴する行事です。スサノオノミコトの日本神話に起源のあるといわれる、茅の輪くぐりの由来とは?夏越の祓と大祓との関係性や、年越の祓えでも執り行われる事のある茅の輪くぐりの基本的なくぐり方などを解説します。
茅の輪くぐりは正月から半年間の罪穢れを祓う夏越しの大祓えで執り行われ、茅草で作られた大きな輪をくぐると疫病や罪が祓われると

★大祓 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/大祓
大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。毎年6月と12月の晦日、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曾有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。
中臣(なかとみ)の祓とも言われる。
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。
なお、「夏越」は「名越」とも標記する。
輪くぐり祭とも呼ばれる。

★神明社:茅の輪について
https://www.shinmeisya.or.jp/html/tinowa01.html
■茅輪神事は、「ちのわしんじ」と読んで、他に「輪越祭」「茅の輪くぐり」とも言われています。茅(ち=かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするものです。

★茅の輪くぐり - YouTube   https://youtu.be/CeR0udg5Avw
一年の半分にあたる6月30日に茅の輪くぐりは行われます。
この輪をくぐり罪や穢れを祓い残り半年を無事過ごせるように願います。

★夏越(なごし)の大祓式(おおはらえしき)【貴船神社】
2020年06月30日(火)
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=3188
夏越(なごし)の大祓式(おおはらえしき)
貴船の地で半年間の罪穢れを祓う.
「夏越祓」(なごしのはらえ)または、「水無月祓」(みなづきのはらえ)とも呼ばれ、1年の折り返しにあたる日に半年間の罪穢れを祓い清め、残り半年の無病息災を願う。当日は、本宮社殿前で神職が「祓」の儀式を行い、次いで神職と参列者それぞれが紙の人形(ひとがた)に罪穢れを移し、切麻(きりぬさ)で自らを祓う。その後、茅の輪くぐりの神事が行われ、最後に貴船川に移動して「大川路の儀」が行われる。参列希望者は開始時刻15:00の10分前までに社務所で受付をする(途中参加はできない)。お祓い料1名200円。

★馬頭観音 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/馬頭観音
馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)、梵名ハヤグリーヴァ (हयग्रीव [ hayagriiva])は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。

★憤怒、忿怒(ふんど)(ふんぬ)大いに怒ること。
 「 -の念をおぼえる」 「卑劣な行為に対して-する」

★馬頭(ばとう) [ 日本大百科全書(小学館) ]
栃木県北東部、那須(なす)郡にあった旧町名(馬頭町(まち))。現在は那須郡那珂川(なかがわ)町の東部を占める地域。茨城県と境する八溝(やみぞ)山地の農山村。1891年(明治24)武茂(むも)村が馬頭村と改称して町制施行。1954年(昭和29)武茂(西武茂村が改称)、大山田、大内の3村と合併。2005年(平成17)10月那珂川町に合併。
国道293号が通じる。旧町域の中心は、那珂(なか)川の支流武茂川の段丘上に位置する馬頭で、鎌倉時代にその北方に宇都宮氏の武茂城が置かれて以来の中心町である。
交通環境は悪く、工業化も遅れ、人口も停滞している。産業の中心は農業で、タバコ、コンニャクが盛んであったが、近年は減少した。
かわって園芸農業と水稲作および低山での林業を組み合わせて行われ、さらに酪農、養豚も盛んである。
伝統的な窯業として小砂(こいさご)焼が有名。絵本作家岩村和朗(かずお)の作品を集めた絵本の丘美術館、焼物の歴史を解説した窯業史博物館、浮世絵コレクションを展示する広重(ひろしげ)美術館などがる。
西部にある馬頭温泉郷は八溝県立自然公園に含まれ、近くに青少年旅行村がある。旧馬頭町の人口は1万3831(2000年国勢調査)。
[ 執筆者:桜井明久 ]

★牛頭 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/牛頭
牛頭(ごず、歴史的仮名遣: ごづ /godu/)、うしず.

★牛頭(読み)ゴズ   精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙
① 牛のあたま。〔日葡辞書(1603‐04)〕〔蜀志‐蒋琬伝〕
② 書法で、点(ゝ)のかどばったもの。「側の病」といってよくないものとする。
〘名〙 仏語。
① 頭が牛、体は人の形をした地獄の獄卒をいう。→牛頭馬頭(ごずめず)。
※百座法談(1110)三月四日「馬頭(めず)・牛頭、なを此法師よくつきいれむとて、鉄のつゑをささぐるほどに」 〔仏名経‐一七〕
② 「ごずこう(牛頭香)」の略。〔十巻本和名抄(934頃)〕〔八十華厳経‐六七〕

★ウシ(うし) [ 日本大百科全書(小学館) ]
【牛】
cattle
[学名:Bos taurus]
ウシと人類
主導権を握って支配することを意味する「牛耳(ぎゅうじ)る」あるいは「牛耳を執(と)る」ということばは、中国の春秋戦国時代に、諸侯が盟約を結ぶとき、盟主がウシの耳を執ってこれを裂き、血をすすり合ったという儀礼に由来するという。

★牛頭法融(ごずほうゆう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(594―657)
中国、唐代の禅僧。禅宗の一派、牛頭宗の祖。俗姓は韋(い)氏。潤(じゅん)州(江蘇(こうそ)省)延陵(えんりょう)の人。
達磨(だるま)―慧可(えか)―僧(そうさん)―道信(どうしん)―法融と承(う)け、その禅は理的な面を兼ねる特色をもつ。
初め儒教を学んだが、のち茅山(ぼうざん)(江蘇省)に入って出家し、法師(みんほうし)に参じた。
空静林にあって、20年間心を一にして瞑想(めいそう)し、643年(貞観17)建康府(南京(ナンキン))の牛頭山幽棲(ゆうせい)寺に入る。
のち『法華経(ほけきょう)』『大品般若経(だいぼんはんにゃきょう)』『大集経(だいじっきょう)』などを講じ、奇瑞(きずい)を得たという。
顕慶2年閏(うるう)正月23日没。
著作に『絶観論(ぜっかんろん)』1巻がある。
[ 執筆者:丘山 新 ]

★一乗寺(いちじょうじ) [ 日本大百科全書(小学館) ]
兵庫県加西(かさい)市坂本町にある天台宗の寺。
法華山(ほっけさん)と号す。
西国(さいごく)三十三所第26番札所。法道仙人の創立と伝える。
法道はインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に住んでいた500人の持明仙(真言を誦呪(じゅじゅ)し、神通力(じんずうりき)を得た仙人)の一人で、紫雲に乗って出、日本にきて法華山に住し、つねに法華を誦し、修行をしていたという。
ある日、多聞天(たもんてん)や牛頭(ごず)天神が現れ、官租の米を運ぶ船から通力によって山中に米を飛ばした話などが伝えられている。また、法道は招かれて孝徳天皇の病を加護して効験があったため、平復ののち、650年(白雉1)勅令により寺が建てられたのが起源であるという。
聖武(しょうむ)、孝謙(こうけん)、仁明(にんみょう)、後醍醐(ごだいご)天皇が臨幸し、勅願所(ちょくがんじょ)と定めたと伝え、赤松義祐(よしすけ)、本多忠政によって再興、修理された。
1174年(承安4)建立の三重塔(国宝)は平安時代の貴重な建築として知られるほか、妙見堂、弁天堂、護法堂、五輪塔は国の重要文化財に指定されている。
寺宝には、平安時代の絹本著色画像として名高い「聖徳太子および天台高僧像」10幅(国宝)があり、とくに最澄(さいちょう)像は有名である。
そのほか絹本著色阿弥陀如来(あみだにょらい)像、五明王像、銅造聖観音(しょうかんのん)像(2躯(く))、木造法道仙人像(いずれも国の重要文化財)などがある。
[ 執筆者:田村晃祐 ]


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