●七草(ななくさ)
人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。
昔の七草
昔の七草とは、これ以下の「春の七種(はるのななくさ)」や「秋の七種(あきのななくさ)」と異なることを指す。
米・粟・キビ・ヒエ・ゴマ・小豆・蓑米(墓・ムツオレグサ)
春の七種
春の七種とは以下の7種類の植物である。
春の七種
七草がゆ名前 現在の名前 科名
芹(せり) セリ セリ科
薺(なずな) ナズナ(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) ハハコグサ(母子草) キク科
繁縷(はこべら) ハコベ(蘩蔞) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) コオニタビラコ(小鬼田平子) キク科
菘(すずな) カブ(蕪) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) ダイコン(大根) アブラナ科
(「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)
この7種の野菜を刻んで入れたかゆを七種がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
七種は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。
これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりである。おそらく水田周辺で摘まれたと思われる。
歴史
中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。日本でも古くから行われており、『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で七種がゆが登場する。餅がゆは毎年1月15日に行われ、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。
その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。
江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。
秋の七草
伊勢神宮(外宮)の観月会に供えられた秋の七草。秋の七草は以下の7種の野草のことである。
名前 科名
女郎花(おみなえし) オミナエシ科
尾花 (おばな:ススキのこと) イネ科
桔梗 (ききょう) キキョウ科
撫子 (なでしこ) ナデシコ科
藤袴 (ふじばかま) キク科
葛 (くず) マメ科
萩 (はぎ) マメ科
山上憶良が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている(2首目は旋頭歌)。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。
春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。
覚え方
“おすきなふくは”
“おきなはすくふ”(「沖縄救う」の旧仮名遣い表記)
脚注
[ヘルプ]
^ 本来はくさかんむりに皇(「葟」)で“みの”と読む。七種中、唯一の野生植物であり、七種粥の衰微後にその実名すら不詳となった。小野蘭山・大槻文彦・金沢庄三郎らはこれを当時「蓑米」と呼ばれていた植物にこれを当てはめたが、牧野富太郎は当時「蓑米」と呼ばれている植物が食用にならない事実を指摘して、七種の「蓑米」と別種であるとして替わりにムツオレグサを七種の「蓑米」に比定して、これまで「蓑米」と呼ばれていた植物にカズノコグサの和名を与えた。(鋳方貞亮『日本古代穀物史の研究』(吉川弘文館、1977年 ISBN 978-4-642-02059-6))
ウィキペディアより
日本は色んな行事というか習慣がある。
夏の最中にサバを食う半夏生(はんげしょう)なんてのもある。
これ福井だけの習慣かな。
半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。
七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている[1]。
上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。
昔の七草
昔の七草とは、これ以下の「春の七種(はるのななくさ)」や「秋の七種(あきのななくさ)」と異なることを指す。
米・粟・キビ・ヒエ・ゴマ・小豆・蓑米(墓・ムツオレグサ)
春の七種
春の七種とは以下の7種類の植物である。
春の七種
七草がゆ名前 現在の名前 科名
芹(せり) セリ セリ科
薺(なずな) ナズナ(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) ハハコグサ(母子草) キク科
繁縷(はこべら) ハコベ(蘩蔞) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) コオニタビラコ(小鬼田平子) キク科
菘(すずな) カブ(蕪) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) ダイコン(大根) アブラナ科
(「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)
この7種の野菜を刻んで入れたかゆを七種がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
七種は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。
これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりである。おそらく水田周辺で摘まれたと思われる。
歴史
中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。日本でも古くから行われており、『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で七種がゆが登場する。餅がゆは毎年1月15日に行われ、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。
その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。
江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。
秋の七草
伊勢神宮(外宮)の観月会に供えられた秋の七草。秋の七草は以下の7種の野草のことである。
名前 科名
女郎花(おみなえし) オミナエシ科
尾花 (おばな:ススキのこと) イネ科
桔梗 (ききょう) キキョウ科
撫子 (なでしこ) ナデシコ科
藤袴 (ふじばかま) キク科
葛 (くず) マメ科
萩 (はぎ) マメ科
山上憶良が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている(2首目は旋頭歌)。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。
春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。
覚え方
“おすきなふくは”
“おきなはすくふ”(「沖縄救う」の旧仮名遣い表記)
脚注
[ヘルプ]
^ 本来はくさかんむりに皇(「葟」)で“みの”と読む。七種中、唯一の野生植物であり、七種粥の衰微後にその実名すら不詳となった。小野蘭山・大槻文彦・金沢庄三郎らはこれを当時「蓑米」と呼ばれていた植物にこれを当てはめたが、牧野富太郎は当時「蓑米」と呼ばれている植物が食用にならない事実を指摘して、七種の「蓑米」と別種であるとして替わりにムツオレグサを七種の「蓑米」に比定して、これまで「蓑米」と呼ばれていた植物にカズノコグサの和名を与えた。(鋳方貞亮『日本古代穀物史の研究』(吉川弘文館、1977年 ISBN 978-4-642-02059-6))
ウィキペディアより
日本は色んな行事というか習慣がある。
夏の最中にサバを食う半夏生(はんげしょう)なんてのもある。
これ福井だけの習慣かな。
半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。
七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている[1]。
上方ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます