●言葉遊びと口遊【くちずさみ】
◆口遊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/口遊
『口遊』(くちずさみ)とは、平安時代中期に編纂された児童向けの学習教養書。 全一巻。 源為憲の作。 ただし書名は「くちすさび」と読んだかともいう。
同じ遊の字を使っても片や字の通りで形や口遊【くちずさみ】は教科書。
日本て本当に面白い国だ。
言葉遊びは沢山有る。
以下に書き出してみた。
判っている範囲でこれだけのものがある。
いかに日本人は 昔から言葉遊びの好きな民族だというのが理解できる。
先人は時間つぶしにこんな事していた。
言葉遊びに入るかはどうか知らないけど平安時代などは和歌で競ったりした。
何と言う名前の遊びか今思いつかない。
みなさんで探してみてください。
●言葉遊び(ことばあそび)は、言葉の持つ音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想する面白さ可笑しさを楽しむ遊びである。http://bit.ly/vEXuui
日本語における言葉遊びでは、表音文字であるかなの表現の背後に表意文字である漢字での本来の表記を絡めて、隠れたユーモアをより発揮する例もある。
一般には主にこどもの遊びや駄洒落として認識されるが、有名なものにはマスメディアで発表・流布されたものがあったり、寿限無を代表とする落語などの芸能の演目に残る古典的なものもある。
また、本来の意味から転じて、支離滅裂な詭弁や戯言を指して「言葉遊び」と呼称することもある(例:つまらない「言葉遊び」は止めろ)。
◆ 代表的な言葉遊び
●ぎなた読み(ぎなた よみ、異称:弁慶ぎなた式[べんけいぎなたしき])
(英語訳:rading by false groupings)は、日本語における言葉遊びの一種。
文章の区切りを間違えて読むこと、および、わざと文章の区切りを意図的に変えて読むことを言う。
「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきところを「弁慶がな、ぎなたを持って」と読むように、句切りを誤って読むことに由来する。
日本語以外の諸言語にも同様の言葉遊びは存在する。
http://bit.ly/sWhDdf
●ことわざパロディとは、ことわざをもじって、面白く、可笑しくしたものである。もともとがリズムを持った口調のよい言葉なので、その良さと言葉の置き換えによる意味の変化、あるいはその内容の変さが笑いに繋がる。漫才やコントで使われる他、新聞記事の見出し等に使われることもある。http://bit.ly/tNJVhg
1960年代には日本のSF作家の間でも流行ったと筒井康隆が記しており、その時の産物のひとつ『狂気の沙汰も金次第』は彼の作品中にも何度か使われている。ちなみに、星新一のそれが秀逸であった由。
2008年に発刊された文藝春秋の日本語特集号では、詩人の森真紀が創作したことわざパロディが紹介されている。なお、森真紀はことわざパロディの専門書である『悪妻盆に返らず』(まどか出版、2004年)、『日本語ごっこ』(まどか出版、2005年)も執筆している。
●しりとりとは、言葉遊びの一つである。参加人数は何人でもよい。
古い語法として用いられたこともあるという。
本項では日本語のしりとりについて解説する。
http://bit.ly/sXkhlf
●たほいやは辞書を利用して行うゲーム。
http://bit.ly/swwTjz
●つみあげうたとは、文章に後から文をどんどんと継ぎ足していく言葉遊びのこと。「きりなしうた」とも言う。
http://bit.ly/skgR5p
●倒語(とうご)とは、言葉を逆の順序で読む言語現象。逆読み、逆さ読み。「てぶくろ」→「ろくぶて」など。
http://bit.ly/sZM0MC
●どちらにしようかなとは、子供の数え歌の一種で、遊びの鬼ごっこの鬼など、主に何かを選んで決めるときに使われるもの。地方によってさまざまなバリエーションがある。
http://bit.ly/swkFeF
●なぞかけとは、なぞなぞの一種と言える言葉遊びである。なぞなぞを「単式なぞ」あるいは「二段謎」と呼び、このなぞかけを「複式なぞ」あるいは「三段謎」と呼ぶこともある。
http://bit.ly/sCNBFm
●もじり句
段駄羅 (だんだら)は石川県能登半島の輪島で、漆塗り職人の仕事場を中心に、かつて大流行した五七五の短詩型文芸で、言葉の二重構造を楽しむ言葉遊びのこと。
形の上では俳句や川柳と同じく五七五であるが、中の七音が二つの異なる意味を持って、上の五音と下の五音につながる構造をしている。
もじり句ともいう。江戸時代に始まった文芸で、300年近い歴史を持っている。最近、能登地方の人々を中心に見直され、復活の兆しが見られる。
http://bit.ly/uvZxI1
●アナグラム (anagram) とは言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって全く別の意味にさせる遊びである。
文字列を逆順にして一致するかどうかを調べればよい回文とは異なり、単純に考えて異なるN種類の文字列ならNの階乗通り(例えば5文字なら120通り)の並べ替えが可能なので、意味のあるアナグラムを一瞬で見つけるのは困難である。
逆にそれだけの可能性があるため、大抵の言葉は(強引な意味づけをすることで)アナグラムになりうる。
例えば「アナグラム」から「グアムなら」などのアナグラムを作ることができる。
http://bit.ly/vHdxFv
●アンビグラム(ambigram、またはinversion, flipscript)とは、語を与えられた形式だけでなく、異なる方向からも読み取れるようにしたグラフィカルな文字のこと。
テキストはいくつかの語からなる場合もあり、異なる方向で綴られたテキストは同一のものであることが多いが、違うテキストになることもある。ダグラス・ホフスタッターはアンビグラムを「2つの異なる読み方を同一のひとそろいの曲線に何とかして押し込める筆記体デザイン」と述べている。
わかりやすく言うと、文字を180度回転させたり、鏡に写したりしてできるデザインのことで、多くはシンメトリカルで、同じ語に読める。
http://bit.ly/vr40aD
●ダズンズ(The dozens)とはアフリカン・アメリカン(黒人)の伝統、習慣のひとつ。
観客がいるところで、1対1で互いに相手の母親に関する罵りの言葉を言いあって、先に怒ったり言い返せなくなったほうが負け、というゲーム。うまい人は尊敬される。
目的は罵倒や喧嘩をすることではなく、馬鹿にされても怒らない精神力の強さや言葉の表現力を競うこと。フリースタイルのラップの源流といわれ、ラップの発展の一要素といわれている。見ている観客は対戦者同士のやり取りに対して、野次や賞賛の言葉をそのつど叫ぶ。すばらしい勝ち方をした場面では「ああ!おわりだ!("Ohhhh! Burn!")」と叫ぶ。
http://bit.ly/tjDim6
●ハナモゲラは、山下洋輔一派、「ジャックの豆の木」常連客の間で流行した言葉遊びのひとつ。
ハナモゲラの他には「デタラメ外国語」「解かない謎解き」「観念シリトリ」などがある。
1970年代半ばから1980年代初頭にかけて隆盛を奮った。
ハナモゲラの様式を使った言葉をハナモゲラ、あるいはハナモゲラ語という。タモリの持ち芸として有名。http://bit.ly/uGE8bZ
●パングラム (pangram) は、アルファベットを使用する言葉遊びである。ギリシア語で「すべての文字」という意味がある通り、すべての文字(26個のアルファベット)を使い文章を作るのが目的である。
同じ文字を複数回使用するのはよいが、短い文章の方がよい。
あるいは、少し長くても他に意味のあるものは評価される。
文の作成において、パングラムは文字の種類を減らそうとするリポグラム (lipogram) と正反対の位置にある。
今日では、パングラムはフォントのサンプルの表示にも利用されている。
最もよく知られたパングラムの1つに"The quick brown fox jumps over the lazy dog"(あるいは"The quick brown fox jumped over the lazy dogs.")がある。
これらは、タイプライターのテストなどに用いられる。
http://bit.ly/t8bTkX
●マジカルバナナ マジカル頭脳パワー!!
http://bit.ly/w2a2t2
●回文、たいこめ
◆たいこめとは言葉遊びの一つ。ある文を後ろから逆に読み返ると、全く違う意味の通る文のこと。
「たいつりぶねにこめおしだるま(鯛釣り船に米押しダルマ)」の略で「たいこめ」。同文をひっくり返すと別の文章が現れることから、略して「たいこめ」と呼ばれている。
同様の言葉遊びに「雲雲崖にこんち旅無し(くもくもがけにこんちたびなし)」「飛べ飛べツチノコ(とべとべつちのこ)」といったものがあり、地方、時代によって様々なものが存在したことが伺える。
◆回文(かいぶん)とは、「竹藪焼けた」(たけやぶやけた)のように始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。英語では palindrome という。
http://bit.ly/uz4THV
●空耳 (言葉遊び)
言葉遊びとしての空耳(そらみみ)は外国語の音を何らかの意味を持った日本語に聞こえるように工夫したり、日本語の歌を意味表現としては不自然な音の区切り方や歌唱法によって、異なる日本語に聞こえてしまう事を利用する替え歌などのことである。
・実際にはない声や物音を聞いた様に思うこと。⇒幻聴
・聞こえても聞こえない振りをすること。「空耳を使う」「空耳を潰す」「空耳を走らす」
・タモリ倶楽部のワンコーナー、空耳アワー。
http://bit.ly/rHIwfG
●見立て
見立て(みたて)とは、ある物の様子から、それとは別のものの様子を見て取ること。その別の物で対象物を言い表す、一種の言葉遊びとしてもよく見られる。比喩遊びとも言う。
日本では文人の遊びとして、ひとつの流れを作っており、芸術表現としても和歌、俳諧、戯作、歌舞伎などで広く見られる。
落語では、特殊な道具を使わず、限られた決まり切った道具として扇子や手拭いだけを用い、様々な情景を表すが、これも一種の見立てである。たとえば扇子を閉じた状態で、ある時はこれを煙管に見立て、煙管として使ってみせ、又あるときはこれを箸に見立て、蕎麦をすすってみせる、という具合である。
横溝正史の金田一耕助シリーズには見立てによる殺人現場がしばしば顔を出す。代表作のひとつ『獄門島』では三人の被害者がそれぞれ三つの俳句の見立ての形で殺される。たとえば、殺した少女の足を帯で縛り、庭の桜から逆さ吊りにしたのは、『鶯の 身を逆さまに 初音かな』(其角)の見立てであった。
http://bit.ly/uXNJNq
●Category:日本の言葉遊び
http://bit.ly/vG8lCq
●語呂合わせ(ごろあわせ)とは、文字を他の文字に換え縁起担ぎを行うものや、数字列の各々の数字や記号に連想される・読める音を当てはめ、意味が読み取れる単語や文章に置き換えることを指す。電話番号や暗証番号、数学など元の数字列が意味する事象を暗記する場合に使われる。
http://bit.ly/trdcPr
●山号寺号(さんごうじごう)は、落語の演目の一つ。別名『恵方参り』ともいう。
また、この落語の内容から、「○○さん○○じ」という言葉を見つける言葉遊びも指すようになった。
ほとんどの寺院には「○○山○○寺」という呼び名があり、この山号と寺号を合わせて「山号寺号」と呼ぶ。
http://bit.ly/uEgPNS
●折句、あいうえお作文、縦読み
■折句(おりく 英:acrostic)とは、ある一つの文章や詩の中に、別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種。句頭を利用したものがほとんどである。
http://bit.ly/utQish
■あいうえお作文(あいうえおさくぶん)は、言葉遊びのひとつである。
http://bit.ly/sUvGbl
■縦読み(たてよみ)とは、言葉遊び(折句)の一種。一見すると通常の文章だが、各行の頭文字をつなげるとメッセージが表れる文章である。
読ませたい文章や単語を先に決め、縦に読むとそれが現れるあたり、あいうえお作文と似ているが、ほとんどの場合、意図的に読み方を変えさせるよう作ったものであるため、正確には異なるものといえる。違いは後項で詳しく解説する。
http://bit.ly/uZwHjG
●早口言葉(はやくちことば)は、言いにくい言葉を通常より早く喋り、うまく言うことができるかを競う言葉遊び。
アナウンサーや俳優など、人前で話す職業に従事する人が滑舌を鍛える発声トレーニングに用いる場合もある。
http://bit.ly/w5cXli
●駄洒落、地口
■駄洒落(だじゃれ)は同じあるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。雑俳の一つとしての「洒落」は言葉の一部分を母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめるものである。例「蝶々一本さらしに巻いて(包丁一本サラシに巻いて)」。言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて「駄」の文字を冠した。洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはおやじギャグと称されるようにもなる。古くは地口とも。
判りやすい遊びの一種であるため、語彙が増えだす小学生などの低年齢の人がこれを用いてコミュニケーションの円滑化をはかることがある一方で、大人が条件反射的に特に若い世代に対して用いると逆にコミュニケーションの円滑化を損ねることになる場合もある。
http://bit.ly/uxia1f
■地口(じぐち)は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。発音が似た単語を用いるため、駄洒落よりも創造性に富み、作成するのも比較的容易であり、また、形態も多様化している。
語呂合わせと同様に扱われるが、例えば円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはなく、意味する範囲は語呂合わせより狭い。
http://bit.ly/ugLjsr
●入れ詞(いれことば)とは、各音節のあいだに別の音節を挿入して、無意味な文章をつくりだす遊び。また、そのような文章。挟み詞(はさみことば)、唐言(からことば)とも言う。江戸時代に遊里の隠語として使用されはじめ、のちに言葉遊びとしてひろまった。
http://bit.ly/uN0eUr
●無理問答(むりもんどう)とは、言葉遊びの一種である。 現代日本においては全くルールの異なる2種類の遊びが無理問答と呼ばれている。
http://bit.ly/vHhdMD
●ルー語(るーご)とは、
ルー語 (言語) - タイ・カダイ語族に属する言語。
ルー大柴が用いる、日本語に英語のフレーズを交えた話法。
http://bit.ly/uKFWnu
●ピッグ・ラテン -英語の言葉遊び
ピッグ・ラテン(豚のラテン語;英語:Pig Latin)は、英語の言葉遊びのひとつ。おはよう(Good morning)をピッグ・ラテンで言うと、oodgay orningmayとなる。ピッグ・ラテンは子どもが大人や他の子どもと楽しんだり、内緒話するために用いる。反対に、大人は子どもに知ってほしくない敏感な話題を話すときに時々使う。英語話者の旅行者は、英語が第2言語の国を旅行する時、話していることを隠すためにピッグ・ラテンを時々用いる。
http://bit.ly/udV54X
●
こんな言葉遊びも日本の国の歴史に溶け込み一体となってこの国を創りだしてきた。
コレが日本民族と言われる所以である。
この日本列島に人が定住し始めてどのくらい経ったのかは定かでない。
我々の先祖は本当に馬鹿な民族。
絶対に他の国のものが真似のできない民族である。
世界広しと云えども この日本民族と対等に渡り合える民族は存在しない。
惡賢さでは他国には負けるけど。
他国の人が日本人と同等の立場で同じ土俵に乗って渡り合ってくれるとは絶対に思わないこと。
沢山調べてこれだけは私が理解できたこと。
他国の人を責めているわけではない。
何十億人とこの地球上に住んでいて分かる人もいるとは思えるけど。
今回も変な私見が入ってしまった。
コレも一考と笑い飛ばして下さい。
馬鹿だから。
●
●くちずさみ【口遊】http://heianjiten.fc2web.com/kutizusami.htm
源為憲が書いた貴族子弟のための教科書。
乾象、時節、官職、人倫、禽獣など19部門に分け暗唱できるようにまとめてある。
九九や子丑寅卯…という今もよく使うものから夜道を歩いていて死体に会ったら唱える歌まで様々ある。
成立 970年。源為憲による。
●口遊【くちずさみ】百科事典マイペディアの解説.
平安中期の幼学書。
源為憲が藤原為光の子の誠信(松雄君)のために書いた。
970年成立。
口に唱えて暗誦しやすいように編集されている。
九九の表や,〈たゐにの歌〉として知られる五十音を覚えるための〈太為爾伊天…〉の字列などを含む。
●口遊 - Wikipedia http://bit.ly/tDn3mx
口遊(くちずさみ)は970年(天禄元年)成立の学童向け教科書。全1巻。「くゆう」とも訓じられる。作者は源順門下の源為憲で、太政大臣藤原為光の子で当時7歳の松雄君(のちの誠信)のために編纂されたもの。
乾象(天文)・時節・官職・人倫など19節にわけた様々な知識を、暗唱しやすいよう短句としてまとめ、それに解説を付した。以呂波歌に先行する字母歌として有名な「あめつち」や「たゐに」、掛け算の暗唱句である「九九」、十二支(子丑寅卯…)などを収録し、類書である『二中歴』・『簾中抄』・『拾芥抄』の先駆となった。
所収の知識としては「夜道で死人に会ったときに唱える歌」や「三大建築物」「三大橋」など興味深いものがある。唯一の伝本として1263年(弘長3年)書写で大須観音(真福寺)所蔵の「真福寺文」が重文に指定されている。1997年(平成9年)には勉誠社(現勉誠出版)から『口遊注解』が出ているが現在は品切れとなっている。
●「口遊(くちずさみ)」の数学
http://angouyamanoue.sakura.ne.jp/6-s1.htm
数学@2ch掲示板 MM3210のスレ「『口遊(くちずさみ)』の数学」偽為典よりの抜粋
1 :偽為典 :02/06/06 06:34
天禄元年(970)に源為憲が作成した初学者用学習書「口遊」の竹束編に、次のような問題が載っている。
<口伝>には、どんな意味があるのだろうか。
問 ここに竹の束がある。周囲の竹の数は21本である。総数は何本か。
答 48本。
術 周囲の竹の本数に3を加えて、2乗すると576になる。これを12で割ると48になる。
<口伝>によると、割りきれないとき、余りが割る数の半分以上ならぱ1とする。
ここでは12で割るから、6が割る数の半分である。
3 :偽為典 :02/06/07 00:55
http://www.kwansei.ac.jp/hs/z90010/sugakua/suuretu/suuretu/suuretu.htm
↑に、数列の例として、図が載っている。
下平和夫氏は、3+9+15+……+An=(An+3)^2/12と解説しているが、
これだけのことなら、「答」は自然数になるので、<口伝>の意味がない。
◆ 本来,「数と式」が高校数学の拠点となっていましたが,新しいカリキュラムになって,今までの「数学Ⅰ」から除外されました。しかし,多くの分野の基礎となっているところなので,おろそかにしては少々困ることにもなります。
これらの分野も,あくまで気楽にというモットーで作成していますので,数学の苦手な人も,目を通すようにしてください。
https://www.kwansei.ac.jp/hs/z90010/sugakua/sushiki.htm
◆平安時代における和算の概観を説明している、現代語の本はない ...国立国会図書館サーチ
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000083536-00
質問
平安時代における和算の概観を説明している、現代語の本はないでしょうか。当時の人々がどれだけ数学を理解していたのか、教科書としていた資料があったのか等の記述があればありがたいです。また、教科書としていた資料が分かるのならば、その資料の現代語訳がないかも重ねてお願いいたします。『和算以前』(大矢 真一著)という本に単位や九九についての記述がありました。(大阪府立中央図書館)
回答
○平安時代の数学教育について概観した資料
ア.『「数」の日本史:われわれは数とどう付き合ってきたか』 伊達宗行/著 日本経済新聞社 2002.6 「第四章 平安、中世の数世界」(p.102-135)で平安時代の貴族子女が受けていた数学教育について説明があります。
平安中期の「口遊(くちずさみ)」がテキストで、「これは当時の漢文学者で歌人でもあった源為憲が、当時七歳だった藤原為光の子、松雄のためにつくったテキストである。
(中略)貴族のマスターすべき教科は、乾象門、時節、年代(中略)雑事の十九項目もあって七歳から習い始める(中略)その最後にある雑事門に算学が入っ」ていて、「そこには数の呼び方、名数法などがあり、(中略)万万を億という、などが出てくる。
また、九章算術の初等コースの問題もあって、少なくとも加減乗除はできるように工夫されている。
口遊で最も有名なのは九九の表があること」とあります。
(p.112)平安時代の数学の人々の認識については、「平安時代になって衰えた算学であるが、すでに述べたように掛算九九のような初等算術は少なくとも上流社会では常識」で、「数遊びが現れて、人々はそれを楽しむ風潮が出てきた。」とあり、これを推測できる文献が「二中歴」と紹介しています。
(p.116)残されている「二中歴」の写本は「室町時代のものであるが、どうも元は平安末期に書かれたらしく、当時の百科事典といったもの(中略)その中に数にかかわる遊びがいくつか入っている(中略)算学は面白くないが、数の遊びは結構皆が楽しんでいる、そんな時代であったらしい。」とあります。(p.116-117)
イ.『平安朝文学事典』 岡一男/編 東京堂出版 1977 「数学」(p.405-407)学令で指定された教科書の紹介や平安時代の実情を紹介する説話の紹介がされています。
○テキストについて(ア.で紹介されたテキスト「口遊」について:逐語訳は見つかりませんでしたが、原文、解説を紹介します)原文はウ.『続羣書類従 第32輯 上』 雑部 [塙保己一/編] 続群書類従完成会 1926 「口遊」(p.61-85)に収録されています。
エ.「国語と国文学 75(1)」, p.73-75, 1998-01に金原 理/著 「幼学の会編『口遊注解』」が収録されており、「口遊」の構成が紹介されています。
オ.「数学セミナ- 19(5)」 p102-110, 1980-05 清水 達雄/著「口遊--平安朝少年百科-8完-」が収録されており、 「口遊」が解説されています。
カ.『日本数学史要』 藤原松三郎/著 勉誠出版 2007.6 昭和27年刊の復刻 にも、「第2章初期の日本数学/4.口遊」(p.22-23)が解説がされています。「口遊の雑事門の内に、掛算の九九、大数の名称、竹束問題、孕婦病人問題が収めてあり、之が数学に関係のある平安朝の唯一の文献である。」とあり、「掛算の九九、竹束問題、孕婦問題と病人問題」も解説されています。(p.23-27)
キ.『明治前日本数学史 第1巻』 日本学士院日本科学史刊行会/編 岩波書店 1954 にも、「第2章 飛鳥奈良および平安朝時代/第4節 口遊」が解説がされています。(p.154-157)
ク.『日本数学史 上:数学選書』 加藤平左エ門著 槙書店 1967 「第2章 平安期中期以後戦国時代まで/2.2この頃にみられる数学の文献」の中に「口遊」の解説がされています。(p.50-52)(学令で指定された教科書について)
ケ.『日本数学教育史 奈良・平安,江戸』 和田義信/著 東洋館出版社 2007.6 「学令と数学教育 大学における数学教育」(p.22-55)で解説されています。「学令において指定された算道の教科書は九章の他に、孫子、五曹、海島、六章、綴術、三開重差、周髀および九司である。このうち現在見ることのできるのは、孫子、五曹、海島と周髀である。(中略)周髀は暦算の書であり、数学の書であるとはいえない。」(p.41-42)ので、周髀を除く孫子、五曹、海島の考察が詳しくされています。
カ.『日本数学史要』にも、「第2章初期の日本数学/1.養老令における数学」が解説が簡単にされています。(p.14-17)
ク.『日本数学史 上』「第1章 王朝時代の数学(平安朝の中葉まで)/1.5 この頃道いられた算道教科書」(p.10-41)が解説がされています。
ウ~オは貸出できない資料ですので、ご入り用であれば複写をお申込み下さい。
(大阪府立図書館 Web複写サービス利用案内)
http://www.library.pref.osaka.jp/cpy_usage.html
ア~ウ、オ、カ、ケ:大阪府立中央図書館所蔵ウ、エ、キ、ク:大阪府立中之島図書館所蔵
参考資料:.『「数」の日本史:われわれは数とどう付き合ってきたか』 (伊達宗行/著 日本経済新聞社 2002.6 )(ページ:102-135),
参考資料:『平安朝文学事典』 (岡一男/編 東京堂出版 1977)(ページ:405-407),
参考資料:.『続羣書類従 第32輯 上』 雑部 ([塙保己一/編] 続群書類従完成会 1926)(ページ:61-85), 参考資料:.「国語と国文学 75(1)」 1998-01)(ページ:73-75),
参考資料:.「数学セミナ- 19(5)」 (1980-05 )(ページ:102-110),
参考資料:『日本数学史要』 (藤原松三郎/著 勉誠出版 2007.6)(ページ:14-17,22-27),
参考資料:『明治前日本数学史 第1巻』 (日本学士院日本科学史刊行会/編 岩波書店 1954 )(ページ:154-157),
参考資料:『日本数学史 上:数学選書』 (加藤平左エ門著 槙書店 1967)(ページ:10-41,50-52),
参考資料:『日本数学教育史 奈良・平安,江戸』 (和田義信/著 東洋館出版社 2007.6)(ページ:22-55),
参考資料:(大阪府立図書館 Web複写サービス利用案内)(2011.11.16現在),
(ホームページ:http://www.library.pref.osaka.jp/cpy_usage.html)
件名(キーワード) 数学 和算 歴史 平安時代
◆フナハシ学習塾数学29 フランスの九九 (九九の由来)
http://funahashi.kids.coocan.jp/suugaku/suu29.html
2007/11/02
代数 / フランスの九九
中国や日本の九九は、一の段から九の段までありますが、
フランスでは五の段までしかありません。
たとえば、 「 7 × 8 」 なら、
左手の指を2本、 右手の指を3本おります。(理由 2=7-5、 3=8-5)
答えは、
十の位は、 両手の折った指の数の和 「 2 + 3 」 = 5 で表し、
一の位は、 左右の立てている指の数の掛け算 「 3 × 2 」 = 6 で表します。
両方をあわせると、 確かに 「 56 」 になっています。
ほかの数でもためしましょう。
もし、 「 6 × 7 」 なら、
左の指を1本、 右の指を2本おります。
十の位は、 「 1 + 2 」 → 30
一の位は、 「 4 × 3 」 → 12 この合計は 42 。 合ってますね。
ではなぜ、 これで九九になっているのでしょうか?
解答を見る前に考えてネ
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