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縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●和算

2021年05月21日 17時22分39秒 | 日本人
●和算
◆和算 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/和算
和算(わさん)は、中国の伝統数学の系譜を引き、日本で独自の発展を示した数学である。 「和算」という語は、明治期に、当時流入した洋算(西洋数学)と対比するために作られ、主に江戸時代の数学を指すが、西洋数学導入以前の数学全体を指すこともある。 特に関孝和以降、高度に発展した。
 
◆算額(さんがく)https://ja.wikipedia.org/wiki/算額
江戸時代の日本で、額や絵馬に和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものである。
平面幾何に関する算額(特に円の中に多数の円や別図形の中に多数の球を入れるなど接点を持つもの)が多い。和算家のみならず、一般の愛好家も数多く奉納している。
 
◆絵馬(えま)  https://ja.wikipedia.org/wiki/絵馬
神社や寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木製の板である。
 
◆算法少女    https://ja.wikipedia.org/wiki/算法少女
『算法少女』(さんぽうしょうじょ)は、安永4年(1775年)に出版された和算書。当時の和算書で唯一、著者が女性名義になっている珍しい本であり、現在では国立国会図書館などでわずかに見ることの出来る稀覯本である。国会図書館に所蔵されている資料は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。また、1935年(昭和10年)に謄写版が古典数学書院から復刻された。
本書を題材に、児童文学作家の遠藤寛子が小説『算法少女』を著していて、同作は後にアニメ映画化された。
2009年(平成21年)に本書の現代語訳と問題の解答を解説し、資料として天理大学附属天理図書館蔵『算法少女』の影印を収録した『和算書「算法少女」を読む』がちくま学芸文庫から出版された。
 
◆鶴亀算(つるかめざん)  https://ja.wikipedia.org/wiki/鶴亀算
算数の文章題の典型問題または解き方の一種。小学生対象の問題として問われることが多いこともあり、通常は連立方程式を使わない解法を指す。
 
◆問題に挑戦 - 和算ナビ
http://wasan.info/challenge/
鶴亀算 鶴亀算(つるかめざん)とは、算数・数学の文章題の典型問題です。 文章題の解き方の中でも最も有名なもののひとつです。 › 鶴亀算の問題はこちらから.
 
◆和算の館   http://www.wasan.jp/和算の館
ようこそ算額のホームページへ
    算額とは,神社や仏閣に奉納した数学の絵馬である.江戸時代中期,寛文年間の頃から始まった風習といわれ,現在全国に約820面の算額が現存しています. 算額は,数学の問題が解けたことを神仏に感謝し,益々勉学に励むことを祈願して奉納されたと思われます. 人の集まる神社仏閣を発表の場とし,難問や問題だけを書いて解答を付けないで奉納するものも現われ,その問題を見て解答を算額にしてまた奉納する といったことが行われました.算額奉納の習慣は世界に例を見ず,日本独自の文化であり,明治になり洋算 の導入を容易にしたのも算額を奉納する風習が貢献しました.
    ここに,算額の風化や散逸を憂えて,現存算額のHOME PAGEを開設することにしました.
    先人が残してくれた貴重な文化財として,また学問に対する真摯な心得を示唆してくれるこの算額を, いつまでも伝えるため世界に向かって発信します.
 
◆算道 (Wikipedia)   https://ja.wikipedia.org/wiki/算道
算道(さんどう)とは、日本律令制の大学寮において、算術を研究する学科。
 
◆算師 (Wikipedia)   https://ja.wikipedia.org/wiki/算師
算師(さんし)とは、律令制において計数を掌る官職。主計寮・主税寮・大宰府に設置され、後に修理職や木工寮などにも設置された。
 
◆和算研究所   http://i-wasan.sakura.ne.jp/inst/index.htm
設立意思   http://i-wasan.sakura.ne.jp/inst/component/guide_01.htm
 江戸時代に発達した和算は,日本独特の伝統文化の一つです。明治以降は西洋数学中心の教育システムに切り替えられましたが,その一方では和算を守ろうという声が高まってきて研究者が増え,今日までに多くの研究書がまとめられてまいりました。最近ではテレビのクイズ番組に和算の問題が出題されたり,大学の入試問題に採用されたりするなど,一般的な関心も次第に向上してきております。海外でも注目する動きが出てきています。
 そこで私たちは,「和算研究所」の設立を思い立ち,実現に向けて活動を各方面で開始いたしました。すでに各地に分散している和算書を集めたり,そのコピーを集約したりすることが,当面の課題になります。日本の貴重な伝統文化を後世に伝えるために,みなさまのご理解とご協力を賜りたく存じます。
 
◆算木について
http://wasan.info/wasan/
算木
算木(さんぎ)は和算で用いられた計算用具です。
縦または横に木の棒を置くことで数を表し、計算を行いました。
また算木に基づく算木数字も使われました。
 
◆実は世界最高水準だった! 江戸時代の「和算」とは 2015年8月3日号
https://president.jp/articles/-/16450?page=1 PRESIDENT
「和算」をご存じだろうか。聞いたことはあっても、よく知らないという人が大半ではないかと思う。それもそのはず。学校の教科書でもほとんど触れられず、高校の日本史で和算家の代表格、関孝和の名前が出てくる程度だからだ。
和算とは、江戸時代から明治にかけて日本人が独自に研究、発展させた数学だ。そのレベルは極めて高度で当時、世界最高水準にあった。たとえば、関孝和の弟子である建部賢弘は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功。これは天才レオンハルト・オイラーが微積分学を用いて同じ公式を発見する15年も前のことだ。
 
◆第1章 江戸時代初期 | 江戸の数学 - 国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/math/s1/1.html
和算の歴史はすなわち江戸時代の歴史と完全に一致した期間にまたがっていたのです。 最初に江戸時代初頭、すなわち1600年代から1660年代ぐらいまでの和算の状況を説明します。
 
◆和算      https://youtu.be/QSoet6pQ3Nc
明治11年に田母神村(現 福島県郡山市)の馬頭観世音塔(ばとうかんぜおんとう; 馬の役割に感謝して作られた石塔)に掲げられた算額だそうです。
 
◆科学の遺産と未来 (4)江戸の科学教育【前編】和算の発展
https://youtu.be/spFx6zvxMyU
 
◆科学の遺産と未来 (4)江戸の科学教育【後編】和算の発展
https://youtu.be/-USVOI3r5KU
 
◆【海外の反応】日本の和算は世界レベルだった、江戸の天才数学者「関孝和」   https://youtu.be/MfJQtQHy_2c
 
◆【わくわく算数「和算」】広島文教女子大学 初等教育学科
https://youtu.be/yOF69BzNloY
 
◆日本の数学【和算(わさん)】にチャレンジ(6年算数)
https://www.e-tsuyama.com/report/2012/02/6.html   2012/02/02
日本の数学【和算】
 江戸時代に日本独自の数学が発達し、「和算」とよばれています。
 中国からそろばんが入ってきて、そろばんを使ったわり算のしかたの本が出版されたり、生活の中での問題が作られたり、いろいろな長さや面積を求める問題が作られたりしました。
 そして、人々がくふうをこらした問題を作り、「算額(さんがく)」として神社にかかげることも行われました。
 円周率を12けたまで求めた関孝和(せきたかかず)も、和算の発達に力をつくした人です。また、吉田光由(よしだみつよし)という人が書いた「塵劫記(じんこうき)」という和算の本は、多くの人に読まれました。
 和算のススメ!(和算とは、和算の教科書、算額というもの、世界的な大数学者 関孝和、和算の衰退、再び光が、子どもたちに和算を教える意義:和田陽子)
 
◆武士や農民が数学で腕比べ 和算文化は江戸の華|2013/09/11
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK29030_Z20C13A7000000/
江戸時代、日本では数学が飛躍的に進歩し、西洋と肩を並べるほどの発展を遂げた。この日本独自の数学を「和算(わさん)」という。名和算家・関孝和の登場は、鎖国中だった日本の数学を世界最高水準に押し上げたといわれる。江戸時代初期に『塵劫記(じんこうき)』が刊行されると、空前の和算ブームが到来。日本中の元祖・理系が、熱に浮かされたように数学の問題を解いた。当時の日本人はなぜ、それほどまでに和算に熱中したのか。和算の歴史をたどり、その秘密に迫ってみよう。
 
◆歴史資料が伝える日本独自の数学:和算 - 上越市ホームページ2021/03/22
https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/tenji30.html  
上越に遺る和算に関連する歴史資料等を紹介します。
 
◆3.和算の誕生と発展
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/tenjikai/2003/zuroku/pdf/3.pdf
「塵劫記」によって多くの人が数学に興味を持つようになりました。特に、そろばんや数学を得意とする人たちが、「塵劫記」をモデルに数学書を著すようになりました。吉田光由は寛永18年(1641)に「新篇塵劫記」を出版し、その中に解答を載せない問題を提出して、問題に挑戦するように促しました。解答を載せない問題を和算では遺題と呼びますが、遺題を解いて新たに遺題を提出する遺題継承の風習が始まりました。遺題継承によって、数学に興味を持つ人たちの数学のレベルは着実に上がってきました。そろばんによる計算だけでなく、宋・元時代に中国で発達した方程式論、天元術を理解する数学者が出てきました。そして延宝2年(1674)に、沢口一之の「古今算法記」の遺題15問を解いた関孝和の「発微算法」が発表され、中国数学を越えた和算が誕生しました。関孝和は傍書法という和算における文字式を発案しただけでなく、その後の和算発展の基礎となる多くの仕事をしました。世界初の行列式の導入もその一つです。寛永4年(1627)に「塵劫記」が刊行されてからわずか50年足らずで、江戸時代の数学は大きな高みへのぼりました。関孝和以降の和算の進展は関孝和の仕事を精密にし、拡張していったと言っても過言ではありません。
 
◆関流和算(せきりゅうわさん)と小俣勇造(おまたゆうぞう)
更新日:2017年6月28日
https://www.city.inagi.tokyo.jp/kanko/rekishi/inagishibunkazai/column/sekiryuuwasann.html
江戸時代の関流和算
江戸時代に発達した日本独自の数学を和算といいます。日本ではすでに飛鳥時代の頃に中国から数学が導入されましたが、盛んにはなりませんでした。その後、戦国時代から江戸時代初期にかけて、築城・土木普請・検地・経済の発展などにより計算の必要が増し、中国の算書の影響をもとにして和算が発達します。この江戸時代に発達した和算の創始者ともいうべき数学者が関孝和です。関孝和が考案した和算は、江戸時代前期に盛んとなり、関流和算とよばれました。

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