縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●「日本が素晴らしい国だと知った」 :  間寛平さん

2020年11月28日 08時25分34秒 | 文化
●「日本が素晴らしい国だと知った」 :  間寛平さん
・間寛平「日本が素晴らしい国だと知った。」 | エコダの素直な生き方
https://ameblo.jp/ecoda/entry-10775997675.html
2011/01/23
【間寛平「日本が素晴らしい国だと知った。」】
「芸人は目立ってナンボだから。。。」
偉大なる芸人魂を持つ、本物のプロフェッショナル。
「日本が素晴らしい国だと知った。。。」 
未知の世界を踏みしめ、達成したものにしかわからない、重みのある言葉。
今、この時代を生きている僕らは本当に幸せなんだよって教えてくれてる。
ありがとう、寛平さん。本当にお疲れ様でした。
寛平さん「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答
https://plaza.rakuten.co.jp/hokutem/diary/20110122/
0124 アースマラソン、ついに完走(間寛平)
http://rakugoetc.blog.jp/archives/6623452.html
寛平 苦難乗り越えて4万1040キロ走破   <スポニチ>
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/22/kiji/K20110122000096770.html
間寛平さん世界一周舞台裏語る 兵庫
 お笑いタレントの間寛平さん(65)=写真=が「アースマラソン」の舞台裏などを紹介する講演会が3月8日午後1時から宝塚市梅野町の宝塚ホテルで開かれる。参加者を募集している。2月20日必着。
 講演会は同市の市制60年などを記念して開催。宝塚市民の間さんが、昭和61年から始めたマラソンの魅力や平成20~23年に766日をかけて世界一周約4万1千キロを走破したアースマラソンの舞台裏などを語る。
 入場無料。往復はがきに郵便番号、住所、氏名、電話番号を明記し、〒665-8665「宝塚市教委スポーツ振興課 寛平ちゃん講演会係」に郵送する。1人1席で1枚のみ有効。
 問い合わせは宝塚市教委スポーツ振興課(電)0797・77・9117。
 
「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答
2011.1.21 23:33 (1/2ページ)
クリックして拡大する
ゴールして喜びを爆発させる間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)
 --改めてゴールした感想を
 寛平 「まさか2年余りでゴールできるとは思わなかった。仲間が迎えてくれて幸せでした」
 --ゴールした瞬間は何を思ったか
 寛平 「もうこれで明日から走らなくていいと思った」
 --一番辛かったことは
 寛平 「やはり病気のこと。自分が前立腺がんと知った時は辛かった」
 --走るのをやめようと思わなかったか
 寛平 「やめようとは思わなかった。スタッフら周りから何度も励ましの言葉をもらい、支えとなった。やはりみなさんの応援が一番力になったと思う」
 --2年ぶりに日本に帰ってきたが
 寛平 「日本が素晴らしい国だと知った。こんな幸せの国に住んでいて、ぜいたくをしていたのかなと思った」
 --日本に戻り、一番おいしかった食べ物は
 寛平 「何もかもがおいしかった。特に卵かけご飯。めちゃくちゃうまかった」
 --奥さんの手料理で食べたいものは
 寛平 「朝食はいつもアジの開きと決まっているが、女房はうまいアジの開きを見つけるのが本当にうまい」
 --一番の思い出は
 寛平 「いっぱいある。つらいこともあるが。みんな優しかった。米国ではインディアンの人が家まで招待してくれて、おばあさんの手料理を食べさせてくれた。米国ではいろいろと差し入れをしてもらって走っていた」
 --振り返ってみて2年間は長かったか
 寛平 「走っている時は長いと感じた。絶対ゴールできると確信できたのは中国・西安を過ぎたあたり。けがには注意していた。疲労骨折したらあかんし、アキレス腱を切ったら半年は走れなくなるので負担をかけないようにしていた」
 --体調の方は
 寛平 「絶好調です。調子悪いとはいえないでしょう(笑)」
 --長期休暇はとれそうか
 寛平 「がんばって恩返しをしないといけないが、吉本興業は休みくれないかな。明日も夜から5時間ライブする。とりあえずやらなかん」
 --ゴールした時、奥さんからはどんな言葉をかけられたか
 寛平 「ようがんばったな、と。迷惑をかけたが、もっとおもしろいことをして恩返しをしてともいわれた」
 --この次は何かに挑戦するか
 寛平 「今回は地球を横回りしたが、縦回りしてくれないかといわれたら堪忍してほしい。そんなことをしたら地球が怒る。それでも3月5日にサイパンマラソンの10キロを走るつもり」
 --歌を作って応援してくれた忌野清志郎さん(平成21年死去)には何と
 寛平 「清志郎さん、『無事帰ってきました』とすぐ報告したい。見守ってくれていたと思う
 -ファンの人にメッセージを
 寛平 「応援してくれたアースマラソンのファンのみなさん、無事ゴールすることができました。ありがとうございました」
 
・間寛平 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/間寛平
間 寛平(はざま かんぺい、1949年7月20日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優、歌手。レゲエシンガー活動名義および本名は、間 重美(はざま しげみ)。 愛称は寛平ちゃん。身長164cm。血液型はAB型。
高知県宿毛市出身。吉本興業吉本興業所属。趣味はマラソン、ゴルフ、パチンコ、競馬、酒、木のぼり。

・間寛平 プロフィール|吉本興業株式会社
https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=703
間寛平
はざまかんぺい
芸人
性別:男性
生年月日:1949年07月20日
身長/体重:164cm /60kg
血液型:AB型
出身地:高知県 宿毛市
趣味:マラソン/ゴルフ/競馬/野球(ソフトバンクホークスの大ファン)/木のぼり
出身/入社/入門:1970年


間寛平「二枚目」池乃めだか「兄さん」船場さん悼む
[2020年11月27日21時8分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270001158.html
船場太郎さん(2019年5月21日)
吉本新喜劇で活躍し、大阪市会議員を6期務めた船場太郎(本名・松原昌平)さんが27日、亡くなった。81際。新喜劇時代の仲間でタレントの間寛平(71)池乃めだか(77)島田一の介(70)らが追悼のコメントを発表した。
☆  ☆  ☆  
間寛平 昨年の5月21日、木村進さんのお通夜で一緒になった時に「からだ気いつけてな!」と、声をかけてくださり、お元気なお顔を見られて安心していたのに、驚いてます。吉本新喜劇では二枚目の役者で、自分が新喜劇に入った時は本当にかわいがってくれはりました。もうお会いできないと思うとすごく残念です。
池乃めだか 新喜劇の出番で一緒だったころ、よく船場兄さんが楽屋で「一緒に囲碁やろう」と声を掛けてくれました。当時、囲碁を好んでする人が他に居なかったのでうれしかったこと、懐かしい思い出としてよく覚えています。こんな知らせを聞くのは寂しいです。ご冥福をお祈りしています。
島田一の介 船場太郎さんには何度も飲みに連れて行ってもらいましたし、新喜劇としての芝居のアドバイスをいただき、今の自分の肥やしになっている。本当に感謝しています。もっと長生きして欲しかったな。ご冥福をお祈りします。
・本名 間 重美(はざま しげみ)
ニックネーム 寛平ちゃん
生年月日 1949年7月20日(71歳)
出身地 日本の旗 日本・高知県宿毛市
血液型 AB型
身長 164cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 柏原高等学校
(現・東大阪大学柏原高等学校)卒業
師匠 花紀京
芸風 一発ギャグ
事務所 吉本興業東京
活動時期 1968年 -
同期  月亭八方
    桂きん枝
    林家小染 (4代目)
    桂文珍 など
現在の代表番組 痛快!明石家電視台、探偵!ナイトスクープ
過去の代表番組 あっちこっち丁稚、マジカル頭脳パワー!!
他の活動    歌手(1975年 - )
配偶者 既婚
親族 妻:間光代(旧姓上原、元吉本新喜劇座員)
長男:間慎太郎(ミュージシャン)
弟子 塩野一平(廃業)
    シベリア文太
    本田みずほ など

コメントを投稿