縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

◆【陰謀か?】英雄の名は‥『樋口季一郎』「占守島(しむしゅとう)」

2020年05月05日 18時58分44秒 | 歴史
◆【陰謀か?】戦後、意図的に隠された!英雄の名は‥『樋口季一郎』「占守島の戦い」で日本最大の危機を救った男は「オトポール事件」でユダヤ難民も救っていた!《永久保存版》
113,376 回視聴  2020/01/12  https://youtu.be/zzlUJvg3GMw
ゆきのん日和【NEWS】
※【関連動画】
・【感動】日本人の事が…大嫌いだった!『あのね‥』客室係の話に膝から崩れ落ち、泣いた!「アーレイ・バーグ」の時空を超えた…日本への恩返し《永久保存版》
https://youtu.be/3sq9ycGulHs
・【涙が止まらない】シベリア抑留‥だけは絶対に許せない!『絶対に日本に帰るぞ!』あの国の理不尽に耐え抜き‥あきらめなかった「先人たちの思い」《永久保存版》
https://youtu.be/cfxcPnkTxJA
・【感動】ポーランドが…日本を愛する理由「救出せよ!ポーランドのシベリア孤児…日本が最後の希望だった」《永久保存版》
https://youtu.be/dlVf52wND6I
 
◆樋口季一郎 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞
http://www.ifsa.jp/index.php?higuchikiichiro
樋口季一郎.
2万人のユダヤ難民を救済 ユダヤ協会の樋口救出運動 「偉大なる人道主義者」
樋口季一郎は、人を力で威圧しようとする権威主義的体質を全く感じさせない希有な軍人だった。これは、ワルシャワでの駐在武官時代に開花した性格と言われている。各国の要人との幅広い交際が、弾力性のある国際感覚に磨きをかけ、ユダヤ人に対する深い同情を持つに至ったのである。
陸軍きってのロシア通.
ヒトラーのユダヤ人弾圧が猛威をふるっていた頃、約2万人のユダヤ難民を救済した日本人がいた。特務機関長としてハルピンに勤務していた陸軍少将樋口季一郎である。
樋口の名は、外交官としてユダヤ難民を救済した杉原 ...
 
◆占守島の戦い - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/占守島の戦い
占守島の戦い(しむしゅとうのたたかい)は、大東亜戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ソ連は8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦。ポツダム宣言受諾により大東亜戦争が停戦した後の8月18日未明、ソ連軍は占守島も奇襲攻撃し、ポツダム宣言受諾に伴い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。
 
◆1945年、占守島…日本を分断から救った男たち - iRONNA
https://ironna.jp/article/2414
2015/12/31   早坂隆(ノンフィクション作家)
 終戦後の「忘れられた戦い」
 日本は昭和20年(1945)の何月何日に戦争を終えたのか――。この問いに「8月15日」と答えない日本人はまずいないと思います。一方、大東亜戦争(太平洋戦争)における「地上戦が行なわれた日本の領土」といえば、多くの方が「沖縄」を連想することでしょう。
 しかし、「終戦の日」の2日後、昭和20年8月17日の深夜、紛れもない日本の領土で始まった戦いが存在したことについては、知る人が少ないように思えます。日本領千島列島の北東端・占守島(しゅむしゅとう)に不法侵攻してきたソ連軍に対し、日本軍が祖国を守るべく戦った「占守島の戦い」です。現在の北方領土問題へとつながる出来事でもありました。
 
◆占守島の戦いとは?降伏後の日本に攻め込んだソ連軍の凶行を迎え撃つ
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/08/21/103392
2019/12/04
昭和二十年(1945年)8月21日は、占守島の戦い(しゅむしゅとう)が終結した日です。
何となく聞き慣れない地名ですが、それもそのはず。
この島は現在日本の領地ではありません。ロシアの実効支配下にある島です。
まずは”どんな感じの地理的特徴を持ったところなのか”というところからお話していきましょう。
目次
・明治時代の樺太・千島交換条約で日本の領地となっていた
・ソ連の作戦が開始されたのは日本降伏後の8月17日
・少しは警戒していたが、基本的には攻め込まれまい
・マッカーサーへ頼むも、あのスターリンが……
・ソ連軍の方が圧倒的に被害大
 
◆北千島占守島の戦い - So-net
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yamako/
北千島占守島の戦い(日本軍最後の戦い).
父祖の体験です! 忘れないで下さい! 子孫に伝えて下さい!
不可侵条約を結んでいる国でも、平気で攻めてきました!
戦争に負けたことを受け入れていても、武力攻撃してきました!
日本固有の領土を守っていた兵士でも、他国に連行されて強制労働させられました!
戦いの概要及び意義
 日本国は1945年(昭和20年)8月15日の天皇の詔勅により、すべての戦争は終わったと思われていますが、事実はそうではなかったのです。日本の固有領土の一番北の端であった、北千島の占守島(シュムシュ島)で戦争が行われていたのです。(図・写真 千島列島 参照)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yamako/index.files/rettouc.gif
 
◆日本軍は強かった!占守島の戦いで日本を守った士魂精神を受け継ぐ陸上自衛隊士魂戦車大隊!本当の終戦記念日は8月15日ではなかった
94,512 回視聴  2016/08/04  https://youtu.be/3JtND0PUT2s
自衛隊チャンネルJSDF
もうまもなく終戦記念日である8月15日を迎えようとしています。日本はポツダム宣言を受諾し、1945年8月15日に第二次世界大戦の無条件降伏をしました。しかし、実は8月15日に争いは終了していなかったのです。1945年8月17日に日本本土で行われた占守島の戦いです。精鋭の戦車第11連隊をはじめとする、日本軍が命を懸けて防波堤となってくれなければ、今頃北海道もあの国の手に落ちていました。あれから約71年が経ちましたが、いまだ北方領土問題は解決していません。この問題を解決するためにも、是非日本国民の皆さんに占守島の戦いについて知っていただきたいです!
日本軍は強かった!占守島の戦いで日本を守った士魂精神を受け継ぐ陸上自衛隊士魂戦車大隊!本当の終戦記念日は8月15日ではなかった
https://youtu.be/3JtND0PUT2s
航空自衛隊はアジア最強だった!中国が日本の尖閣諸島へ本気で攻めてこない本当の理由。
https://youtu.be/pF0JIxykSD4
陸上自衛隊が凄すぎる!アメリカとの訓練で魅せる日本伝統の命中精度!
https://youtu.be/CGqzzIkui8c
 
◆戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎
574,533 回視聴  2015/10/02  https://youtu.be/4caq5e_toz8
HiramekiTV
チャンネル登録者数 3.75万人
氷点下20度の極寒の地、ナチスの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人難民は満州とソビエトの国境オトポールで立ち往生していました。
満州国外交部はドイツの目を気にして入国を拒否するなか、当時、ハルビン特務機関長であった、樋口季一郎少将は、二万人ともいわれる凍死寸前のユダヤ人難民の命を救ったのです。
「日本はナチス・ドイツの属国ではありません。ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめすることが、正しいことですか」
当時、関東軍の東条英機参謀長に、樋口季一郎少将は正論をぶつけました。リトアニア領事館で杉原千畝が「命のビザ」を発給する2年前のことでした。
樋口季一郎は、また、米艦隊に包囲され、玉砕必至のキスカ島守備隊5200人の無血脱出を成功させ、さらに終戦後に北方に侵攻するソ連軍への「断乎反撃」を命じ、ソ連の北海道占領の野望を砕いて、占守(しゅむしゅ)島での日本軍最後の勝利をもたらしています。
これら三つの「奇跡」をもたらしたのは、常に人道に立脚した樋口の決断でした。
現在の日本がおかれている安全保障における危機的状況を打開するためにも、人として正しい道を貫いた樋口季一郎の「志」を学ぶことはとても大切なことだと思います。
樋口季一郎元陸軍中将のお孫さんで、明治学院大学の樋口隆一名誉教授に24歳まで同居していた祖父から学んだことや秘話、思い出を語っていただきながら、決断の人、樋口季一郎元陸軍中将の歴史的偉業に迫っていきます。
英語版「The Miracle of General Kiichiro Higuchi」
https://youtu.be/VYSvrgFWTAQ
「ユダヤ人の記憶に生きる日本人 杉原千畝 」
https://youtu.be/m5_q1i5ntTY
「 杉原千畝 四男 伸生 父の思い出を語る」
https://youtu.be/70C6W_tjes8
「戦後70周年に向けて 正しい歴史に学ぶ すばらしい国 日本」ダイジェスト版
https://youtu.be/-usWnzcFUhw
もご覧ください。
 
◆米国の‥ちっちゃな正義の為に「冤罪を着せられた日本」…だが、最後に勝ったのは「人種平等を夢見た日本」だった!【vol.1・前編・序章】《永久保存版》
19,275 回視聴  2020/05/04  https://youtu.be/YsCAfssONfg
ゆきのん日和【NEWS】
※【この動画の‥続編です】
・だが‥最後に勝ったのは「人種平等を夢見た日本」だった!米国の‥ちっちゃな正義の為に「冤罪を着せられた日本」【vol.2・後編・完結編】《永久保存版》
※ 公開予定 5月5日(火)20時 
※【関連動画】
・なぜ?日本人は世界で最も「高潔」と言われるのか‥あの戦いで見せた「武士道精神」に世界からの賛美と拍手が止まらない!《永久保存版》
https://youtu.be/pVclvzBgsUQ
・世界の‥「度肝」を抜く!桁違いの民度の日本人『全国巡幸をした昭和天皇』あの時代の‥天皇陛下と日本人の関係が日本を復興させた‥《永久保存版》
https://youtu.be/O6_UM0hsHfI
 
◆「アジアの解放」と日本――「戦後70年談話」有識者懇が振り返らなかった視点
http://senkensoi.net/column/2015/08/111188
2015/08/11   榊原智 産経新聞 論説副委員長
安倍晋三首相が戦後70年談話(安倍談話)の作成に向けて設置した私的諮問機関「21世紀構想懇談会」(有識者懇)が6日、報告書を首相に提出した。
有識者懇の正式名称は「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」で、座長は西室泰三日本郵政社長、座長代理は政治学者の北岡伸一国際大学長だ。
報告書が、日本の安全保障分野での日本の役割の拡大や、平和や法の支配、自由民主主義、自由貿易体制などからなる国際秩序の維持の重要性を強調していることは評価できる。一方で、歴史問題に関して、満州事変以降の日本の戦争を「侵略」と明記しつつ、おわびの必要性は指摘しなかった。これらの問題は、いろいろ論議されるだろう。
 
◆「人種差別と戦った日本」外交評論家・加瀬英明氏に訊く | ザ・ファクト
http://thefact.jp/2013/194/
2013/12/22
外交評論家の加瀬英明氏に、大東亜戦争について聞きました。
以下にそのインタビュー内容をお伝えします。
 「日本に戦争をさせたい」という欧米列強の思惑
イギリス
 「日本が発展すると大英帝国が危なくなる」
イギリスのチャーチル首相は、日本の発展が大英帝国の危機につながると見ていました。 有色人種が白人からの不当な支配を受けなくなり、白人の世界が脅かされることを懸念したのです。 チャーチルも人種差別主義者だったのです。
アメリカ
 「ドイツに苦戦するイギリスを助けたい」
日米開戦前、ドイツのヒトラー首相がヨーロッパ全土を征服するなか、イギリスはたった一国で戦いを続けていました。アメリカのルーズベルト大統領は、なんとかしてイギリスのチャーチルを助けたいと思ったのです。しかし、アメリカ国内のムードはヨーロッパで起きている戦争に加わってはならない、というものでした。そこでルーズベルト大統領が考えたことは、日本から大きな一発目を打たせて戦争開始の口実にすることです。
ロシア
 「自国は直接戦わず漁夫の利を得たい」
ソ連のスターリンは日本との戦争を大変懸念していました。そして自国の代わりにアメリカが日本と戦争をすれば、ソ連は漁夫の利を得られると考え、日米開戦にむけて働きかけたのです。アメリカのルーズベルト政権の中にスパイを送り込み、日本を挑発しようと言ったわけです。ハリー・デクスター・ホワイトなどのエージェントや共産主義勢力が入りこんでいました。
日本
  誠心誠意戦争を避けようとしていた
ハル・ノートの原文を書いているハリー・ホワイトは、ソ連・クレムリンのスパイだと判明しています。ルーズベルト自身は、ハリー・ホワイトがソ連のスパイだったとは当時全く知りませんでした。ホワイトハウスの記録によると、ルーズベルト大統領はハル・ノートを出すことを承認した夜に、ホワイトハウスでお祝いをやっているんですよね。そういうふざけた話ですよ。それに対し、日本は誠心誠意戦争を避けようとしていたんです。
  白人による人種差別が生んださまざまな悲劇
 原爆投下は日本が「けだもの」扱いされた結果
トルーマン米国大統領も人種差別の考えを持っていたため、 広島・長崎への原爆投下を許可します。原爆投下後の記録には、彼がホワイトハウスの閣僚に向かって、「けだものを扱うときは、けだものとしてやらなければいかんよ」と笑って言ったと残っています。 当時、白人優位というのは白人の間では常識だったのです。トールマンはミシシッピ州にある自宅にはユダヤ人や黒人をいれたことがないことを生涯の誇りとしていました。
  連合諸国はアジアの国に攻め入り侵略戦争を行った
オランダが植民地にしていたインドネシアは独立しましたが、そのときオランダは再度、植民地化をはかってインドネシアに攻め入ります。これにはイギリスも加勢していました。それに対して、日本が訓練したインドネシアの軍隊を作り、抵抗して、独立戦争で戦ったのです。また、ベトナムも、立ち上がる前はフランスが植民地にしていました。戦勝国は侵略戦争を戦っていたのにもかかわらず、東京裁判で日本を侵略の罪でさばき、首相や関係者を処刑したのです。
 
◆【ゆっくり歴史解説】キスカ撤退作戦【知られざる激戦㉗】
119,803 回視聴  2019/09/16  https://youtu.be/yrDgJO7U30c
ノルトラント
チャンネル登録者数 2.05万人
 
◆キスカ島撤退作戦 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/キスカ島撤退作戦
キスカ島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。正式名称はケ号作戦。北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官が総指揮をとる。 5月下旬から実施された潜水艦による第一期撤収作戦は成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた。第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した第二期撤収作戦において、同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。
 
◆アッツ島の戦い - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アッツ島の戦い
アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい、Battle of Attu)は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。
 
◆アッツ島玉砕の悲劇が導いた、キスカ島撤退の奇跡 | WEB歴史街道
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4103
2017/07/14
「断乎反撃せよ!」知られざる戦記
「最後まで善戦敢闘し、武士道に殉じる」
「パーフェクト・ゲーム」。
アメリカ軍がそう言って驚嘆した日本陸海軍の作戦をご存じでしょうか。
昭和18年(1943)7月のアリューシャン列島キスカ島守備隊5,200人の全員脱出劇です。
しかしこの奇跡的な成功は、その約2ヵ月前の同じアリューシャン列島アッツ島に
おける、2,600人の守備隊玉砕の悲劇があったからこそといえるものでした。
昭和17年(1942)6月8日、日本軍はアメリカ領のアリューシャン列島アッツ島、
キスカ島に上陸、占領します。
目的はミッドウェー作戦の陽動と日本本土空襲の阻止、
さらにアメリカとソ連の遮断の意味があったといわれます。
 
◆戦力
●日本
約2,650 約11,000
損害
潜水艦1喪失
戦死 2,638
生存 28
●アメリカ
戦死 600
戦傷 1200
・アリューシャン方面の戦い
 ダッチハーバー空襲 日本軍によるアッツ島の占領 キスカ島占領
 アッツ島沖海戦 アッツ島の戦い キスカ島撤退作戦 コテージ作戦





コメントを投稿