私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

オワカレ

2018年08月21日 | 日記
夫の姉が亡くなりました。
夫と同じ膵がんです。
少し前から話は聞いていましたがとても悲しい。
私の身内、次々逝ってしまいます。

夫とは年の離れた兄妹でしたがとてもやさしく夫の事を可愛がってくれていました。
夫が亡くなってからも私に対してたまにお小遣いを送ってきてくれたりして
私にも優しく接してくれた姉でした。
空の上の方で夫と再会できていると考えると少しホッとすることができます。

お義姉さん、ありがとうございました。


夫は62歳で亡くなりましたが姉は80歳でした。
家族性膵がんについては年齢的に遺伝であることは考えにくいと思います。
ですが夫も姉もなぜ膵臓だったのでしょう?
しばらく胃の具合が悪いと思っていたけれど
長く続く不調にCT検査をしてもらって分かったそうで
分かった時から半年にもなりません。
がん専門病院などは無い田舎におり、設備的にも知識も不十分だったと私は感じています。
地域に寄る医療格差は歴然です

医師の知識不足が関係するのか?よくわかりませんが
義姉は亡くなる数日前まで外来受診で抗がん剤治療を受けていたそうです。
がんのステージについての説明も詳しいことは聞いていなかったそうです。
普通の外来に週に一度行き、抗がん剤治療を受け帰ってくる。
朝早くから行っても何時間も待たされ、座っていられないくらい疲れてしまったそうです。
治療が終わって家に帰ると倒れ込むように横になったそうです。

私は夫が膵がんで余命短いことを知りすぐに介護保険を利用できることを知らされました。
夫も通院がとても負担になっていましたので訪問診療や鍼灸治療、薬局も薬を配達してくれるというのがとてもありがたかったです。

でも、義姉の医者はステージについても介護保険に関しても説明はなく
最後まで通院で一切の介護保険による手助けを借りることもなく他界しました。

夫の時の様子と重ね合わせて考えてもとても負担を強いられていたと思えて仕方がありません。
田舎の事なのであまり大ごとにしたくない、という考え方もあるのですが
国民のひとりひとりが平等であるべきだと思います。

義姉の周囲には家族が多く見守り、みんなが手を貸し合いながらの闘病でした。
残された義兄が心配ですが近い場所に娘ら家族がいるのでみんなで支えていってもらえると思います。
お義姉さんの娘、二人がとても気丈に葬儀を取り仕切っていた事は
心残りであったはずのお義姉さんの心を安心させたに違いありませんね。





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