最近 残忍な悲しい殺人事件が報道されて胸が傷みます
テレビもなく報道も今のように氾濫した状況ではなかった その昔に
成長期の私にとってはとても衝撃的な事件が発生しました
ある若い母親が生まれて間もない自分の子供を殺してしまうという極めて
悲しい事件でした
その事件の裁判で裁判官からこのような意味の発言があったのを覚えています
(まだ母親になる自覚が出来ていなかった
これから罪を償い子供を慈しむこころを育てて欲しい)
このような内容だったと記憶しています
私にとっては何時の時代でもどの家庭でも母親とその子供は絶対の信頼関係
強い愛情で繋がっている存在であることを確信しているにもかかわらず
母親が子供を殺してしまうことは随分悲しい出来事であったので
そのことは折に触れ思い出していました
やがて私も成人し体験を通して考えてみるに
始めて自分の傍に生まれたてのやわらかな小さな新生児をつれてこられた時には
私は嬉しいと思うよりも先に
このちいさな命にどう接しどうやって育てて行けばよいのか
大きな責任感におしつぶされそうになりました
母親は何をするもの? と世の母親に必死で尋ねたくなるようで
本当は自信がなくて頼りない気持ちでいっぱいだったのです
それから毎日毎日少しずつ少しずつ私は生まれたての児から根気よく教えて貰った
と思っています(勿論母親も義母もいてくれましたがそれは母となった自分と児との関係
とは別の存在であって)
お乳を飲ませることもおむつを替えることも
児が表す嬉しい表情も 泣いているそのわけも
目も見えない小さな児が自分の好きな抱き方を求めるものであることなど
みんなみんな導いてくれるのです
心配なことがたくさんありましたけれど
楽しいことも沢山児から教えられました
ただこんな私にとっても間違えなく自信をもって言えることがひとつだけあったのです
それは最初からこの小さな生命はどのようにしてでも私が絶対に護っていくという必死な想いでした
このことは改めて誰からも教えて貰う必要はなかったのです
そのたったひとつのことが私にとっては母親となる根源だったのでしょうか
あれから何十年も過ぎ去ってから思うのです
初めから完全な母親本当はいないのでは
当時あの事件を起こしてしまった若い母親にそんな大切な気持ち
小さな小さな生命をしっかりと自分が護るというこころが備わっていれば
悲しい事件に繋がらなかったのではないかと
秋明菊が優しく咲いています