花守

四季の花はそれぞれやさしく咲きこころなごみます
折々に咲く花を守りこころかすめる思い出など綴ってみたいです

虫の音

2019年08月17日 09時58分32秒 | 日記


台風10号は大型と予報されていたので恐怖心がありました
ことに昨年は水害に見舞われたこの地域です
心配しましたが
思った程でなく静かに経過しました
お盆も過ぎてこころなしか芙蓉やむくげの咲く花数を少なく感じます
毎年あつい夏中精一杯咲くのだから
ときにはゆっくり休むも良し
なんども花盛りを教えてくれる合歓の花も
咲く姿が優しく見えるのもいい






そういえばもう秋の虫の音 聞える頃かも
今年の夏はエアコンを新しく交換したので二階で就眠しているこのころです
今夜はそっと一階で眠てみましょう
耳を澄ませば静かな秋の虫の音 聞けるかも

学ぶことは

2019年08月16日 10時00分35秒 | 趣味

台風10号は大型と予報されていました
この地方は昨年のような災害もあり恐怖でしたが
思いの外静かに通過して何よりです
却って程よい雨量でしたかしら
どの地方にも被害がありませんように




今朝はハナトラノオが咲いていました
毎年嵐が過ぎた後には花の色を際立って美しく感じるのです
これから咲く桔梗や秋明菊などの花も
きっと色よく咲いて慰めてくれることでしょう
お盆を過ぎたことですしこれから朝夕は涼しく凌ぎやすくなることでしょう


お盆の間 詩吟の稽古のこと少しづつ思い起こして独りいい気分になったりしていました
何だか言葉を”つめる”吟じ方を新しく学んだような気がしているのです
そして師は私に「可愛い吟から成長するよに」とも仰いました
だから学ぶことは楽しいと思えるのでしょう
次の稽古までに修得出来ていたらいいと密かにおもうのです


わたしにとって

2019年08月15日 09時27分23秒 | 日記


高砂百合が咲き始めました
台風10号で時折強い風が吹いています




今日は終戦の日です 全国戦没者追悼式が行われる日です
もう何年も以前のことになります
息子が私達夫婦を東京に案内してくれたことがあります
何が嬉しかったかというと私共は何も旅の計画に要望はしていませんでしたのに
東京について先ず一番最初に靖国神社に一家で参拝出来たことです
社務所から入って丁寧にお祈りを奉げて
これで東京にきた大きな意義があると感謝でした

昭和20年終戦の日のことを時々思い出すのです
私と母が縁側にいるところに近所のテツさんという人が
やってきて(疎開先の小さな村では皆がそう呼んでいました)
テツさんは終戦を知らせるラジオ玉音放送のことを話して行かれました
よくは解らない年代ではあったものの無条件降伏という言葉は
只ならぬことであろうと異様に
受け止めたものです
でもそんな重大事とは関係なくひっそりと嬉しかったことがあるのです
これまで疎開で離れて暮らしていた私とお母さんが
これでようやく一緒に暮らせると判断出来たのです
でもこんなことは当時としては非国民だと周囲から思われるに違いないと
自分を責めておっぴらに表面だって喜んではいけないものと
今思えばこれが私の小さな終戦なのです




あのひのこと

2019年08月14日 09時04分00秒 | 日記


みかんが少し大きくなっています
でも今年は花数も少なくて蜂さんもやって来ませんでしたので収穫は期待出来そうもなくて




八つ手花笠むくげが暑さの夏中次々と咲きます
色も落ち着いていてこの時季仏壇にもお供えします
大型台風10号襲来が予報されています
生暖かな風が吹いているのです
被害がありませんように




こんな焦げ付くような暑さのなかで
74年前あの日ひろしまで被爆した母のことをよく思い出すのです
母はあの混乱の中で罹災証明書を受け取り
父の実家には遠くて到底行けないと判断したのでしょう
父の妹の嫁ぎ先に挨拶に行き三日後の8月9日に
私達の疎開先である母の実家に帰ってきたのです
それにしても一面焼け野原の広島での罹災証明書の発行なんて
お役所のお仕事も命がけだったと思います
そんな役所の方も被爆による健康障害に遭われたことでしょう

その前に母は神様のような人に遭遇して愛を恵まれたのです
原爆で一瞬にして押しつぶされた家から這い出した母は
あちこちで燃えさかる火の海となった街を逃げ惑い
その上途中で黒い雨が降ったらしく
全身にコールタールのようなものを被り
当にこの世の人とは思えない形相である一軒の見知らぬ家を訪ねたのです
そんな母を家の中に招き入れて風呂を沸かし着替えを提供して食事をもてなして
その上言われたそうです
「いかほどあれば目的の場所に行けますか多くても失礼にあたります」
この世に神様がおられるとしたらこんな人の事をいうでしょう
大変なことが起こったとその方は判断されたでしょうが
それが原爆だとは未だ知る由もない時間帯の筈です

あのひのことを想うとき
母が受けた大きな愛 そしてご親切に対して
私はご恩返しができる生涯を送らなければならないと
自分に言い聞かせるのです


懐かしく

2019年08月12日 10時10分18秒 | 日記




先日のことです
あるブログで随分以前の臨時増刊文芸で石川啄木の特集誌が載せられていました
その方は愛読書として旅の道ずれにされているようです
私はそれを見た途端に懐かしさが蘇りました
私も以前にきっと求めている筈と本箱を探したところ
こともあろうに表紙のない状態で出てきたのです
それでもいい
私は昭和30年代に購入していたものです
かれこれ60年も経過していることになります
そしてこの石川啄木読本を求めたときの記憶も鮮明なのです
夕方の散歩で本屋さんに立ち寄って飛びついたのでした
その時の静かなしあわせな気分を音楽で聴くとしたら
カバレルアルスチカーナの間奏曲がお似合い
啄木の詩はずっと好きでした
改めて本箱をさがすととれてしまった表紙も出てきました
また思い出の糸を探ることにしましょう