昨年の11月に、先生宅でミニクラス会をした時、ドイツに住んでいるために参加できなかったA君の帰国に合わせて、再度、ミニクラス会をした。尾瀬の山歩きを楽しんだ仲間たちとA君を交えて会うのは20年ぶりの事だった。
桜開花が今年は早まった。まるで私たちの再会を祝福してくれているみたいだった。
もちろん恩師のK先生にも声をかけた。
A君の提案で先生や皆が住んでいた町を歩くことにした。
ふるさとは近くに荒川が流れ、東京の地ではあるけれどのどかな風景のある町だった。この町で私は大人になるまでずっとのびのびと暮らした。
春には土手でつくしとりや菜の花摘み、桜の季節にはお花見。夏はお祭り、神社境内の木に鳴くセミを捕まえたり、川岸から船に乗って隅田川の花火大会などにも行った。
母校の小学校も中学校も・・・・少子化の影響で統合されたり廃校になったりで何だか淋しい。
学校の正門に書かれた学校名を読んで、母校がなくなったことを改めて淋しく思ったのは私だけでないと思う。
2時間ほど町の中や荒川土手を散策をした後、A君がドイツから帰国した時にホテル代わりにしている部屋で、一服させてもらった。2年くらい前に古くなった実家を建て直し、2階に妹さんが住んでいるとか。ドイツのミュンヘンにも素敵な家を建てて住んでいるA君、すごいな。
男子を始め、私のグループは努力家が多かった。勉強しなくても優秀と言われる天才肌のA君だって頑張ったと思う。皆、一流企業の企業戦士として働き60歳を過ぎて其々が第二の人生を歩み始めた。尊敬するK先生の後に次いで豊かな人生に向けて・・・・。
女子とは卒業後も何かにつけて会うことがあったから、変化は感じられないけど、良い伴侶と生活し皆、幸せそうだ。男子達の風貌が学生時代とは違ってとても逞しく大人っぽく見えたけど女子は変わらない。男性は社会の荒波に耐えて来た結果なのだろうと思うが、頭髪が淋しくなったり、お腹が出てきたり、ちょっと背中がまるくなっていたり・・・・。でも、皆、いい顔してる。
先生は70歳を過ぎた頃から仕事も辞め、現在は囲碁を習ったり、教えたりとゆとりの生活をしていらっしゃるようで、ちょっと太めになったようだけど、顔も人格も昔と変わらない。
会食後、気分が乗ったところで皆でカラオケに行った。歌にも個性が出るように思った。クラシックが好きでカラオケ嫌いのA君は最初は乗り気でなかったようだけど『シクラメンのかおり』など歌っていた。『LOVE』という英語の歌を素晴らしく上手にY君は歌った。彼は仕事を退職後、ゴルフ三昧、海外はビジネスクラスしか使った事がないと言う。もちろん会社の経費だけど・・・・と笑う顔は余裕に溢れている。相当、お遊びにも投資している感じだったわ。
社長直々の紹介の女性と結婚したK君は、すでにお孫さんが二人。長い事単身赴任を続け、定年近くに筑波に新居を建て、そこを永住の地と決めたと言っていた。二人のお子さんたちは東京に出て来て暮らしているので、孫に会いに時々、奥さんと東京に出て来ると言う。彼が東京の地を去って地方暮らしを決めたのにと思うと人生って面白いと思う。
幼馴染の中には既に亡くなった人も数人いることを知った。人生って本当に予期しない事が起こる。私たちも今までは家庭や子供のために頑張って来たのだからこれからは人生を楽しむだけでもいい・・・誰かが言った。私もそう思う。
和気藹々の中でミニクラス会は終了した。A君が先生と私の電車を見送りにホームまで来てくれた。