人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

遠方より庭師来たる

2009年07月20日 | 友人たち
 彼女とは、去年東京で数十年ぶりの再会を果たして以来の本格的?
再会だった。

 大学時代の親友だった。自分の生き方の弱点を、彼女を通して知り、
大学4年間は公私共に一緒に過ごした。にもかかわらず、卒業してからは
ほとんど昨日まで、じっくり話す機会がなかったのは不思議。

 36年の間には、無論何回かは会っている。毎年のように帰省の途中
泊めて頂いた信州上田のご実家。彼女が東京に家を構えてお母様を引取り
看取ったお家にも遊びに行った。

 しかし、この三日間ほど、ゆっくり語り合ったことはなかったと思う。

 観光は松原と気比神宮だけ。後は昼食までの時間を語らい、食後は
互いにバラバラに過ごした。彼女は大好きな庭仕事(これは助かった。
前庭がスッキリ剪定され尽くしたのだ!)私はもっぱら、仕事の雑務を
こなす。

 そして、夕食の間また語り合う。そんな三日間が過ぎた。まるで学生
時代に戻ったような、至福の時間を過ごした。
 何十年経とうとも、親友は親友だった。
 
 理想の最後は?と語り合った時、二人の意見は「闘い疲れて野たれ死に。
そして鳥葬もしくは、山に灰を撒いてもらう」に一致。
どちらか後に残った方が実行する事になる。

 つつがない人生など二人には無縁。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人から

2009年06月25日 | 友人たち
 いつものように、不思議人Mr.時広から素敵な写メールが届いた。
何気に「ユニークだね」と返信したら、いきなり「あなた落ち込ん
でるでしょ」と電話が返ってきた。

 ここのところ、私の返信に異変を感じてた、と彼は言うが
「そんなあ」と、実感はあまりない・・・こともない。

 たった1ヶ月、舞台の仕事から隔離された?!だけで、水揚げの
悪い紫陽花みたいにしおれてしまったか?しかし舞台現場最前線
で仕事している友人には、ピンときたらしい。

 29日に迫る上京を前に、日々文芸教会の事務仕事に追われ、
それでも、充実した毎日を過ごしてはいる。
 優秀なボランティアや相棒の山ちゃんに支えられ、仕事の仕方
を少しずつ更新し、今日はついにHPも公開される。上京を前に
無理を言って見切り発車してもらうのだ。
 5月12日に事務局入りして、右も左もわからぬ状態からスタート。
本当に怒涛の一ヶ月半だった。

 が、この友人の一言に、一瞬時間が止まった。

 ・・・水が欲しい。
 
 そんな感じ。一ヵ月半前までは、舞台で明け暮れしてたっけ・・・。

 ここまできたら、いわゆる“乗りかかった舟”友人達の伴走に支えられ、
マイペースで走ろう。ゴールは決めてある。
 思い詰めることが出来ないドンブリな性格で好かったと思う。
 食事が美味い、酒が美味い、空がきれい。それだけで幸せだ。

 別の友人が差し入れてくれた、家庭菜園のにんにくに感謝。

 次回は東京から、世界の舞台の最前線情報を!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お世話になりっぱなし

2008年11月04日 | 友人たち
 仕事がらみで我慢出来ない怒りが爆発!大切に思っている方々に失礼な電話をしまくって、「あちゃ~」と落ち込んでいた過日、心許せる友人と三人でカラオケ・ボックスに籠もって“甘い物食べまくり弁論大会”を開催。二人の考え深さにタジタジとしつつ、一曲も歌わずスッキリと帰宅。持つべきは友!と元気を取り戻した。

 翌週東京から、先月数年ぶりに東京で会ったばかりの大ちゃんが来敦。二日間敦賀近辺を案内しながら、仕事の話で盛り上がった。
 SET(スーパー・エキセントリック・シアター)という有名劇団創立メンバーの大ちゃんとは、実に40年近い付き合い。彼は私を「お姉さん」と呼ぶ。

 素敵な奥様と二人の子供たちの父でもある大ちゃんは、私とは正反対のノ~ンビリした性格。私の昨今の夢を聞いてもらい、彼の現在の仕事とどうリンクしていけるかを話し合った。私が考えていた以上に心身の投資が必要だなと分かる。仕事で組み合うには甘くはない世界だ。
 彼は大勢の劇団員を抱え、俳優業の傍ら、彼らを食わせる営業仕事にも情熱を注いでいる。でも私は実は、ノンビリした大ちゃんよりもせっかちだけど怠け者。
 まあ、時来たらば動く、の心境で構えるとしよう。

 来敦当日、日頃お世話になりっぱなしのT夫妻も招いて、イタリア料理を楽しんだ。
 私はなんと、この日のランチに豪華絢爛な会席料理を食べ過ぎて消化不能状態。やはり日頃お世話になりっぱなしのM嬢のお誕生祝いがあったのだ。(何故か私もご招待して頂いた。Iさんに感謝!)

 明くる日は、M嬢の好意で余呉湖へドライヴ。ここも前日、Iさんの機転でドライヴして初めて知った素晴らしい観光スポット。Iさん曰く、「日本のカナダやで」・・・本当にそうだった。
 紅葉が進んだ時期に、是非また行こう思っている。

 祝日の昨日は、やはりお世話になりっぱなしの“なぎの会”のメンバー数人と、武生へ「源氏物語幻想絵巻―王朝の宴」と題された催しを観に行った。来年のなぎの会第十回記念公演「耳で聞く源氏物語(仮題)」で衣装をお借りする“日本民族衣装源流会”主催の舞台だ。
 武生の民間人が力を合わせて、平安の装束を身にまとい歌い、演じ、舞う。なかなか面白い試みだった。

 なにやかやと日々が過ぎてゆく。
“秋深し 隣は何をする人ぞ”と詠んだ芭蕉の句は、死を予感した芭蕉の孤独を表して切ないが、私にとっては、友人に囲まれた至福の秋である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓流クラブ

2007年08月28日 | 友人たち
 密かにクラブを始めた。その名は「韓流クラブ」
 秘密クラブだから会員の名は明かせない。
 韓国俳優とその作品について語るのが、まあ主旨である。ハハ。

 A「大阪に行ってきました。ある俳優のファン・ミーティングです」

 B「ほう、誰ですか?」

 A「その当日初めて見た若手俳優で・・・あっ、これが彼の出世作です」

 B「ほう、それにしても見たこともない人のファンミーティングに何故?」

 A「分からないけど・・・行きたくて」

 B「“韓国”、に反応しましたか」

 A「ええ、どんな人が来るか、出会いが楽しみ。もっと知りたい韓国ドラマ・映画の世界

 B「わかります

 先日Aさんのご自宅で手料理付「第一回韓流クラブ会議」があった時の話。

 「冬のソナタ」で始まった日本の韓流ブームは今も健在で、どんどん新しいヒーローが生まれ、次々に日本でファン・ミーティングを開いているらしい。日本は金になるのである。Aさんは、五十路を越えて、育児も仕事もほぼ一区切りし、この韓流ブームにはまったようだ。
 
 「韓国ドラマ・映画」は、この20年で目覚しく進化し、今や世界の映画祭で大賞を何度も取る成長振り。Aさんは、手元に韓国俳優名欄を持ち、次々と新しいドラマや映画をネットで購入している。その恩恵に与(あずか)る私はと言えば、仕事柄演技や脚色、演出に興味があり、イ・ビョンホンから入って、このAさんのお陰で一挙に、観たかった作品群をDVDで観まくっているわけだ

 観るにつけ、民族性の違い、韓国との歴史上の関わり、北と南、政治の変遷など興味が尽きない。特にテレビドラマでも感じてきた事だが、台詞がいい。説得力のある理論的、哲学的な台詞が韓流の大きな魅力だと思う。ただし連続ドラマの場合、ストーリーの流れは、ひどい時は何年も連続するせいか冗漫さや繰り返し、蒸し返しが目立つ。また、箸にも棒にもかからない安普請の若者向けラブストーリーも多いようである。

 幸いNHKも含めてたった4局しか受信していない私は、ほとんどテレビドラマは観ていない。このところ「オアシス」「ラヴレター」「おばあちゃんの家」「酔画仙」「マラソン」「クライング・フィスト」など韓国映画の話題作ばかり観せて頂いているので、だんだん目が肥えてきた。やはり劇場用映画は面白い。しかしチンタラしたテレビの連続ドラマにも捨てがたい魅力がある。無い物ねだりなのだろうが、アップテンポな展開ばかりが目立つ日本のドラマより、悠長に泣いたり笑ったり、拗(す)ねたり憎んだりして進んでいく韓流に、懐かしさ、いとしさを感じるからだ。感情表現の激しさ、静かなシーンに見せる豊かな表情。昔日常的に目にした人間くささが画面に溢れて思わず時を忘れる。これこそが、中年女が韓流にハマる要因ではなかろうか。少なくとも私はそうだ。
 
 「韓流クラブ」は、実はAさん本人も知らない私だけの秘密だ 会員もAさんと私だけ。韓流に対するAさんの驚くほどの行動力、エネルギーは、仕事と家庭に捧げつくした青春を今取り戻そうとしているかのようだ。少女のようにキラキラ話す彼女と居ると、私までが青春してしまう
 「韓流クラブ」は、私にとって若返りの時間を提供してくれる、稀少な秘密結社なのであるウフ!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のやさしい風

2007年08月13日 | 友人たち
 祇園ライヴのお客様で、上方舞と書のプロである立花さんはラジオのパーソナリティも務めていらっしゃる。過日、そのラジオ番組“京都のやさしい風”にゲストとして呼んで頂き、録音に行ってきた。場所は若者の町京都三条にあるラジオカフェ。それこそ3畳程の超狭い空間に専門器材がギッチリ詰め込まれ、そこを更に二つに区切って、1畳程の、音を遮断するトーク場が作られてある。
閉所が苦手な私には辛い環境だった
 
 深夜番組なので生ではないとはいえ、録り直しや編集はまずしないとの事で、やや緊張。なんといっても夏目漱石の短編を7分ほど朗読するのだ。実際マイク感度が良過ぎて、息やマウスノイズ(口内雑音)が気になり、読み始めは集中を欠いたが、暗記するほど練習した甲斐あってノーミスで終了。
トークも、彼女の品良い誘導で何とか旨く収まった

 “京都のやさしい風”は、昔大ファンだった東京FMの “ジェットストリーム”のような雰囲気の番組で、バックにジャズが仄(ほの)かに流れ、彼女の和(やわら)かな語り口も快く、20分はアッという間に過ぎた。

 ラジオ局のTさんも大満足だったらしく、京都を文化で変えたい女性をもう一人を紹介して下さった。万華鏡ミュージアムの責任者Iさんである。万華鏡と言えば、私がお世話になっている福井市のカルチャーサロン主催者も万華鏡大好き人間。確かご自分でもサロンで万華鏡の作り方を教えていらっしゃる。しかも、偶然ながら苗字が全く同じIである。そんな話をしたら、是非来てもらって欲しいと、パンフレットをたくさん預かった。

 ちょうどそのあくる日、サロンで私の朗読講座の練習があったので、彼にパンフを渡すと、「何度も行った事あります。嬉しいなあ、今度人村さんの名前出してお話して来よう」と張り切った。ついでに立花さんの名刺も見せたら「アッ、信じられない 僕この方の“風の書”のファンなんです。一度うちのサロンで特別講師して頂けないかなあ」ときた。私のほうがビックリである。

 立花さんのお手紙は巻紙で来る。素晴らしい筆文字が平安の世にタイムスリップしたかのように連なり、しかも私にもちゃんと読める。凄いなあ、と思ってはいたのだが、以前頂いた名刺に“書芸術院代表”とも書いてあることに、実はこの時まで気がついていなかったのだ。不明を恥じると同時に、これまでのお付き合いの中で、そうとは声高におっしゃらなかった彼女の奥ゆかしさに恐れ入った次第。京女やなあ・・・。
 
 意外な縁がまた繋がって、私の宝船はますます前途洋洋らしい。欲張って沈まぬよう舵取りは大胆、かつ繊細に。っていうのは私には少々荷が重いか。しかし今後の展開が楽しみではある。

 彼女らと別れた後は、美術家・福井泰三氏に祇園でご馳走になり、いい気分で快速電車に乗りそこね、チンタラ米原まで辿り着いて、さすがに特急に乗り換えて深夜に帰宅。
ノラ猫たちと、ついにやって来た寝苦しい熱帯夜が私を待っていた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする