人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

堅いから弱い

2022年04月05日 | 舞台
 敦賀朗読なぎの会第23回公演が終わった。
 日時を間違えた方が結構いて観客数はいつもより40人ほど減ったが、舞台は豊かな物語の輝きに満ちていた。

 明くる日の敦賀落語の会50周年記念公演も盛況で、亡き国宝:桂米朝の長男:桂米團治(よねだんじ)が見事な大熱演で湧かせた。(上手い!!)

 二つの舞台を通して沢山のことを学び、気付かせてもらった。

 「歯はいつか抜け落ちるが、舌は死ぬまで体の一部だ。」という台詞に感心したことがある。
 舞台も日常も、堅いだけでは時としてポッキリいってしまう。
 どちらにも、舌のような柔らかさと温かさが必要なのだ。

 柔らかさと温かさ・・・私には欠けていて常々気にしながら生きてきたが、まだまだ・・・ふとした弾みでポッキリ折れてしまう自分が恨めしい。

 安全保障の見直しなどに見られる政府の言い分を聞いていても明らかに「力こそ正義」と言う考えが見える。
 今のロシアがそうであるように、核を持っている大国ロシアは決して強くない、むしろ崩壊しかかっている。
 アメリカも同じだ、内側から崩れ弱っている。

 先進国中最低賃金の国ニッポンで、トヨタが春闘賃上げに満額即答した。
 1999年からニッポンの賃金伸び率はたったの4%。お隣り韓国は2015年に日本を上回り伸び率は何と90%!?

 手放しで喝采するわけではないが豊田氏のように、経済・社会・精神の格差という難関を乗り越えるには、長く権力の座に居すぎて堅く脆くなっている事にリーダー達が気付かねばならない。

 「柔よく剛を制す」-老子の考えから生まれた兵法の言葉だ。
 最後に勝利するのは柔らかさ。

 しかし戦争には敗者も勝者もない、みなが大事なものを失うだけだ。

 <一週間で満々開に♡年々元気を取り戻してゆく我家の姥桜>
 
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縁起のいい日

2022年03月29日 | 舞台
 今日も午前中はなぎの会公演のための通し稽古。
 出がけにラジオから敦賀FM局のメインキャスター・ミカコさんの美声が「4月2日土曜日の朗読なぎの会公演に是非」と伝えるのが聞えてきて
「こいつぁ~朝から縁起がいいわい♡」とチャリで出発。

 その通り、皆さん集中力も増して今日の出来は上々だったから大当たり、その上・・・帰宅して裏庭を見てびっくり仰天!?
 なんと我家の姥桜が開花し始めていた。
  <東側の桜と、日曜に行ったコンサートの後でお裾分けしてもらった超元気のいいお花達>
 朝は全く気付かなかった。
 庭に下りてよく見ると東側と西側とてっぺん辺りの蕾が開いている!!

 いやぁ、高校野球もいよいよ4強が決まり、春だなぁと頭では思うのだが湯たんぽの片付けられない日々だった。
 そんな中、裏庭から届いた桜のお便り。
 ワクワクしっぱなしの一日だった。

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物語の世界へ

2022年03月22日 | 舞台
 私はいつも夢見るようにドラマや小説、音楽の世界に物語を感じて生きている。
 デスクワークする時はだから音楽も聴けない、イメージが湧き出て目の前の仕事に集中できないのだ。

 歌詞などついていようものなら聞き入って難癖まで付けたくなるから困ったものだ。
 
 五感に入ってくるものには全て美醜を感じ、朝起きてからはTVも1時間半ほどは点けない。
 脳が起きるのに時間がかかり、いきなり言葉や音楽についてゆけず苦しくなるのだ。

 舞台以外のことにはだらしないし、お掃除は丸く掃く派。
 たまに隅に溜まった埃を指でこすり取って「埃で死にゃーしない」と宣う(笑)

 台詞にも美醜がある。
 「老いという弱さや痛さを前にしてひるんではならない。」
 「己を常に発見し続けてゆけ。」
 「罪悪感には保証期限が有り、ある限界を超えると反転して自分のせいじゃない相手のせいだという歪んだ憎悪に変わる。」

 どの台詞も心に響き、美しい物語を感じる。

 長年の精進で身についた毛細血管のようなアンテナで万物に美醜を感じる。
 集中力は落ちたが、血流が滞(とどこう)らぬよう常に新鮮な酸素を送り込んで、触れる世界を物語で満たしたい。

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信頼という課題

2022年03月15日 | 舞台
 私が演出する敦賀朗読なぎの会第23回公演の舞台スタッフとの打合せが終わった。
 地元TVCMも流れ始め、地元FM局での生放送宣伝も無事に済んだ。

 今回は昨年の直木賞受賞作品『少年と犬』である。
 <ポスター原案>
 この作品を知れば知るほど、信じる大切さと信じられる人間であり続ける事の難しさに気付かされる。
 そして、私はどうか?という問いに戸惑い、やがて緩(ゆる)い変化が訪れている。

 温(ぬる)くなったと感じている人もいるようだが、人の評価も気にならなくなった。
 私の感じ方を他の人に強要することの愚に目が覚めた。

 心は、淋しいながら澄んでいる。
 そんな作品に出会えた事は人生の奇跡ともいえよう。

 友人曰く、ロシアの人々の間では、個人は全体の中にあってこそ自由だという考えが根強くあるそうだ。
 これに対して西欧において「個人」とは、集団から出て自立した自由人になった時の人間の事だという。

 地盤沈下しまくりながら、何も気づかず「おっさんの掟」が法も政策も人権をも踏み潰してきた日本には、このどちらの理念も無い。

 だが『少年と犬』を通して私が得たものは、他者(自然)があって初めて自我も成立するという理念だった。
 そして自我を無くして信頼し合う難しさが、残された人生の課題となった。

 開幕まで約二週間。
 最後まで今できることに専心したいと思っている。


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動く

2022年01月25日 | 舞台
 年齢を重ねる事でしか得られない感性は感じているが、ほぼ五年ごとにガックリ落ちてゆく体力を考えれば、
自分のために生きる時間も集中力も残りわずか、のんびりしてはいられない。
 そんな思いを反映して初夢は、プロの演劇界で忘れられ孤立したような悪夢だった。

 以来、今後の生き方を考え続けている。
 コロナ禍を怖れず県外のプロ仕事へ出て行かねば、誰にもバトンを渡す事など出来ない。

 衆議院議員の大石氏は維新キラーなどと呼ばれるが、実は維新など眼中に無く、彼女が目指す国政はもっと根本に関わるもののようだ。
 彼女のように目標がハッキリしている人のパワフルな前進力を、あと一度でもいいから自分自身の為に使いたい。

 <うっすら雪化粧した玄関>

 昨日は天の川の中にオリオン座など冬の星座がキラ星と輝いて美しかった。
 
 今朝、半分閉めていた各部屋の雨戸を全開にした。

 私はひたすら、我が春に備える。
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伸びる時

2021年12月14日 | 舞台
 イギリスのチャーチル首相は大戦で苦しい状況の時、日本の真珠湾攻撃を知り、
 「アメリカ参戦なら勝てる。日本はこれでお終いだ。」と言った。(回顧録より)
 それほど目先の事態打開しか頭になかった日本の暴挙だった。

 太平洋戦争の総括もないまま戦後の<民主主義社会>をスタートさせた日本は、その後も重要事項の総括や検証をしないまま、一党独裁で政策を押し進めている。
 これでいいはずはない。

 イチロー氏の「アスリートとしての時間は限られている。無理は出来る間にしか出来ない。」という言葉がある。 
 大谷翔平選手はこれを、
 「ケガするまで頑張るという意味ではなく、選手としていいパフォーマンスを保てるタイムリミットの中で、
自分の能力を伸ばせる時間を大事にしながらやりなさい。」と捉えたそうだ。
 柔軟で美しい考え方だと思う。

 <モノクロみたいな冬景色>

 日曜に、名田庄図書館が主催して下さった<人村朱美朗読会>が終わった。
 満足仕切れた朗読では決してないが、時の流れに身を任せて語ることができた豊かなた時間だった。

 切なる自分を信じられる喜びがあった。
 
 スポーツにも文芸にも、人間にはそれぞれ「伸びる時」があるのだろう。
 ただ右往左往して迷うばかりの、伸びる時期も意欲も失した政治家達の引退の日は、いつ来る。
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昔は・・・

2021年11月08日 | 舞台
 海外では、軍を派兵しない中立国として尊敬を集め、それが日本という国の一番の特徴だったそうだ。
 今は他国と全く同じ、イヤそれ以下の<哲学も思想もない国>になり下がってしまった、と海外で活動するNPOやMSF(国境なき師団)の方達は嘆く。

 紛争や問題解決の仲介人として、日本人が機能していた時代があったのだ・・・東洋の果ての<気骨ある小国>という好意的な誤解が機能していた時代が。
 しかし現実には自公民が過半数を確保し、根腐れしたこの国は沈没間近だ。

 三宅裕司率いる劇団SETの公演、「昔は・・・」を突破しようとする人間達を時代劇の大部屋俳優の生き様に託した熱血芝居『太秦ラプソディー』を観た。
 創立メンバーは70代に差し掛かろうという老舗劇団が、三世代の団員を駆使して肉体的限界に挑む爽快感に圧倒された。

 東京での二日間が充実したのも、この芝居を見せて貰ったお陰が大きいかも知れない。
 親友二人に逢ってじっくり語り合い、好い芝居を観、翌日は2時間余りの演劇ワークショップで高校生達と新鮮な交感をして、講師の私も大いに刺激を受けた。

 この仕事を作ってくれたSETの友人に感謝だ。
 超美味しいスパゲティ(忘れられない味!)もご馳走になってしまった、ふっふ。

 充実し過ぎるほど幸せだったけど、如何せん東京は歩かないとダメな街・・・いやぁ疲れた!
 長くのんびりしてきたせいか、突然の忙しさに頭が痺れたように疲労しているのが分かる、膝もガタガタだ。
 
  <信州の秋。中綱湖と青木湖>

 それにしても、美浜のなびフェスで生徒さん達が魅せてくれた奇跡のように澄みわたったあの20分間の朗読をもう一度聴きたい、と想っている自分がいる・・・。
 


 

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舞台へ!

2021年11月02日 | 舞台
 明日は隣町美浜朗読の会【さくらの会】が、町の文化祭(通称:なびフェス)の冒頭で20分間の発表をする。
 今日の舞台リハーサルは快調だった。

 12編の詩の「ことば」が生まれる瞬間を、12人が生き生きと音声に託して語る、そんな時間になれば嬉しい。

 人生のある瞬間に舞台に立つ幸運を、彼らは自ら手を伸ばして掴んだ。
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独り朗読会『中国残留孤児2021』終了

2021年08月10日 | 舞台
 とうとう終わってしまった・・・。

 この二週間は、どう伝えるか、私には荷が重すぎるか、と悩みながら本番5分前まで、構成台本の練り直しと朗読稽古に没頭してきた。

 今朝出がけに読んだ新聞に「重重無尽」という言葉(仏教用語?)の解説記事を見つけた。
 あらゆる事柄が関係し合い、重なり合って、その影響が無尽に続くようにして世界は存在しており、網の目のように様々な縁が互いに関係し合って成り立っているのだ、という意味だそうだ。

 この朗読会は私がやるべき事なんだと、ストンと胎に落ちた。
 単純な私は気が澄みやかになり、信州からわざわざ応援に来てくれた友と会場へ。

 朗読なぎの会の生徒さんたちが、送迎も準備も実に手際よく細やかに進めてくれて本当に助かった。
 会場の係員の方たちも皆平易に親切で、すべては昨日までの私の延長線上に生まれた縁なのだと感じられた。

 中国残留孤児問題という事象に巡り会うべくして巡り会い、それが人生の大きな転換点になった。
 世界が複雑な網の目であろうと、シンプルに真っ直ぐ進むことで私は何所までも遠くへ行けると感じる。

 観客数は予想(30名)の3倍近くの86名。
 ホール隣のギター教室や織物教室の方たちも授業を切り上げて聴きに来て下さり、忙しい中、隣町の生徒さんたちなども皆さん来て下さった。

 感謝しか浮かばない一日が終わり、明日はまた新しい一日を迎える。

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心を伝えたい

2021年06月22日 | 舞台
 パソコンは順調、心静かにブログも再開できて有り難い。
 苦手だが便利なものではある。

 クラシック歌手の方々に月に一回だけ演技のワークショップを始めた。
 初回が終わって、つくづく言葉でこちらの意図を伝える事の難しさを痛感。
 
 しかし少なくとも、演技って何?という素朴な質問には何とか応えたい。
 諦めずに、自分のためにも毎月エチュード(短い即興劇)練習を続けてみようと思う。

 ようやく『歌うように伝えたい』を本屋で取り寄せて読み始めた。
 脳内出血で半身不随になるも、渾身の努力で現場に復帰した友人俳優:塩見三省の著書である。

 軽やかに立ち上がる心象風景描写の見事さ・・・。
 その独自の表現で浮かび上がる苦悩の日々が胸を圧する。
 こんな風に自分の世界観を言葉に託せたらと、感動しながら少しずつ大事に読み進めている。
 
   <札幌から届いた家庭菜園の野菜と花たち>
 この生き生きした菜園を作っている義姉も、長い闘病生活をめげることなく逞しく生きている。
 
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朗読なぎの会第22回公演終了

2021年04月06日 | 舞台
 4日(日)昼2時、ついに半年間ジタバタ、ハラハラ稽古した発表会『みんなで思い切り楽しく』が始まった。

 公演が近づくと演出の私はドッシリしていられず、何度か切れかかった。
 自分も寸劇コントで市民劇団の仲間とこの発表会に出演するのが苛立ちの元だった。
 表と裏の仕事をキッチリやるには体力が付いていかないという不安が大きかった。

 生徒さん達だけでなく私も齢を重ねてきたのだ。
 案の定、劇場(コヤ)で大転びしたりパパッと動けない自分に舌打ちしたり・・・舞台稽古(本番直前の通し稽古)で安心するまで舞台袖で心身共に辛かったのは事実だ。

 乗り切れたのは、市民劇団の仲間二人が支えてくれたこと、そして毎日のように夕飯や野の花々を自宅に届けて下さったTさんの尽力のお陰である。
 無論生徒さん達も色々心配して配慮してくれた。
 <Kさんからの山桜>

 本番の出来は本当に良かった、短く感じたのが私にとっての良い証拠。
 無論不出来な部分もあったが、一月前を思えば格段の差があり、心の中で良しとした。
 <生徒さん達手作りの鶴!終演後に撮るために並べたので倒れているが本番は綺麗だった~>

 一番心配だったのは休憩明けの作品『芝居噺』。
 元明治座舞台監督の先輩が綴った舞台裏表の面白噺は、講談調の言い回しで専門用語の解説が1時間も続く。
 チンプンカンプンで観客が寝てしまうかも、と心配したのだ。

 が、専門的だったからこそ興をそそったようで、結構ウケた!
 楽しんで下さっているのが脇にいても伝わってきて嬉しかった。(私達三人の黒子寸劇?はスベっていたかも知れないが・・・泣)

 明くる日の友人達のメールでは、初めて見た方が「あれが朗読なんですね!また是非行きたい」
 常連のお客様からは「声が耳に心地良いのと暖かいのとで、のっけから寝てしまったゴメンなさい」「ここ数年の上達著しい!」など様々。
 いずれにしても『芝居噺』の新鮮さは好評だったのでホッとした。

 22年も観てくるとお客様も飽きるんだなぁ、が正直な反省。
 次回からは「耳に心地良く、かつ刺激的な構成作品」をやるしかない、と楽しみになった。

 ビックリ、ワクワクする舞台でを通じて、本の世界の深い味わいをお伝えしたい思っている。
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生の魅力

2021年03月23日 | 舞台
 我が家の桜もピンクに膨らみ、毎日ドキドキしながらカーテンを開けていたが、ついに先週の木曜朝に開花開始!小枝毎に満開になりつつある。

 今年は三カ所の朗読講座が発表会を迎える予定だ。
 中でも地元敦賀の朗読なぎの会公演は4月4日(日)で、グンと迫ってきた。
 しんみりしたり微笑んだり大笑いしたり・・・どの作品も健康に良い3本立てだ。
 知的刺激もあったりして自信作のパワーポイントも見逃さないで頂きたい。
 <こちらは桜の下のささやかな草花>

 日曜日、あの6代目:神田伯山の講談独演会を観に行った。
 奇跡に近いこの企画は、文化企画委員会が提案し三年がかりで実現したものだ。

 落語と講談の芸風はまさに紙一重、演目も重なるものが多い。
 この日の前半二題も、つい最近落語で楽しんだ有名な噺だった。
 落語派の私は若干眉唾気分で会場最奥の席についた。

 相撲噺『雷電』、出世噺『徂徠(荻生徂徠)豆腐』、そして題は忘れたが「講談師列伝」の三席を、伯山は一気呵成に演じた。
 小気味よく畳みかけて聴かせるので、時々テンポが崩れてストレスを感じることもある落語よりスッキリと聴きやすい!

 終演後の私はスッカリ講談派に変身していた(笑)。

 私の嫌いだった猫背も本人は自認していて、それをネタに大いに会場を湧かせ、硬軟・緩急自在・・・お見事!!
 改めて舞台仕事の生の力に惚れ直した一日になった。
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支え

2021年01月05日 | 舞台
 近所に熊が出た夢を見た。
 痩せて小さくて・・・人間の悪行を象徴した哀れな姿。
 人知を越えたところで動いている自然からの、悲しい形での警告のように思えた。
 よろよろの小熊に逃げ惑う人々が、人間の無力さも語っていて寒々した目覚めになった。

 心が熱くなって人の有りようの原点が迫る名作『チョコレート ドーナツ』は舞台から映画にもなった作品で、実際に起こった悲劇が土台にある。
 舞台でも映画でもダウン症児の役は実在のダウン症児が演じている。

 世界中で上演され続けているこの舞台の日本版を年末に観た母娘から「感動した!」とメールが届いた。
 娘さんは集中しにくい病を抱えているが、感動するものに出逢うと自然に集中出来るという。

 その彼女が私の朗読の声は集中して聴けると言ってくれる。
 その一言が私を支えてきた。

 東京は今一番危ない都市だけど、その分生き残りをかけて様々な闘いが激しさを増している。
 そして舞台の仲間達はみな、辛い中から集中出来る事、感動できることを生み出そうと踏ん張っている。

 生きとし生けるもの達が闘いながら生死をかけて未来を掴もうともがき、支え合い励まし合って命が萌える。
 それもまた私を支え「立ち止まるな!」と背中を押すのだ。
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人生の剪定

2020年11月03日 | 舞台
 庭木の剪定(というよりただの伐採に近いが)で想うのは、至近で見ているのと俯瞰して見るのとでは誤差があるという事だ。
 目の前の下草や樹木の枝に集中して「これで良し!」と道具を片付けて縁に上がり、「さて~」っと見てみたら「失敗したバリカン頭みたい」・・・みたいな。

 庭の剪定は演出の仕事に通じるものがある。
 個々が精いっぱいの努力で演じ、演出は俯瞰して全体像の為の指針を示す。
 好きな仕事だがいつも責任の重さを痛感する。
 個に負けて全体を殺してしまう危険も、その逆の危険も付きまとうからだ。

 個をを潰しては全体も崩れる。
 今一番恐れるのはその場合だ。

  <細部の筆裁きと省略が見事に「鰻」に昇華している、と感嘆。千葉春湖(しゅんこ):作>
   <部分の造作のリアリティがそのまま省略無しに積み重なって、生きているかのような老女。(作者知らず)>

 12月6日に美浜図書館主催で山本周五郎の短編(50分)を朗読する。
 準備期間が一ヶ月半と短いから、遠出する時は持ち歩いて難しい文体と格闘しているが、加えて向田邦子の2作品も読む事になったのでテンテコである。

 「鳥は楽譜なんて読めないけど、決して歌うことを止めない」
 誰の言葉だったか忘れたが、鳥のように体から湧き出るもので自然に読めたら素敵だと思う。
 が、その心境に持ってゆくのはなかなかだ。

 どの枝を払い、どの下草を活かすか。
 果敢な挑戦も随所でしてみたい。

 とにかく、一瞬の永遠に生きるような1時間半になったなら本望だ。

 

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ミニミニ無料朗読会終了

2020年08月11日 | 舞台
 カテゴリーを [舞台] にするのは半年ぶり!
 会場の図書館三階には、二回に分けて計25人ほど(正確には数えていない)の方が来て下さった。

 作品はどれも10分前後と短いが、皆さんの心に届いたようだ。
 大らかな小学6年生が見た終戦時の敦賀、カナダの子供達から大人達へ向けた直球の環境問題スピーチ、向田邦子のノンフィクション掌作品。 
 朗読は好みもあろうが、作品選びで今年もやって好かったと思えた。

 上演時間30分はあまりに短かったが、終わった後の観客同士の歓談は有意義だったようで嬉しい。

 来年は少し長めの作品も入れよう。
 甲子園野球を見ていると、守るより攻める事の大切さを痛感するのだ。
 球児達の表情は球を追う喜びに満ちている。
 私も人生のノルマなどと思わず、反戦の語り部を継ぐ者の一人として、肩の力は抜いて楽しもうと思う。

 晴天の先週火曜夜、空に浮かんだ満月は完璧だった。
 その日あたりからグングン気温は上がり、昨夜はついに扇風機を寝室に入れる寝苦しい夜になった。
 暫くは30度前後の熱帯夜が続くのだろう。
  
 膝には良くない徒歩生活から脱し早くチャリに乗りたいのだが、まだハンドルブレーキをシッカリ握れないので我慢の日々。

 そして今年も、地球上のあらゆる命の連鎖について考えざるを得ないコロナ禍の・・お盆が始まった。
 
 <墓経>
 
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