青空ーすべてはバランス

言葉と集団と争い

2023年1月24日(火)雨から雪となり、強風でもある。午後から急速に冷え込みマイナス4℃になるとの予報。水道が凍らないようにしなきゃ。
除雪車をあたためておいた!


人類に集団規模の争いが耐えなくなったきっかけの一つに「言葉」ができたことを唱える人がいる。
京都大学総長・人類学者の山極 壽一氏だ。
この方は、40年余り野生のゴリラの研究をしてきている。ゴリラから見ると人間の祖先の暮らしや人間のユニークな特徴を知ることができるからだそうです。 

実は言葉が生れてから人間の脳が大きくなったわけではないそうだ。
脳が大きくなり始めたのは200万年前、現代人並みの脳の大きさになったのは40万年前。そして、言葉が現れたのは約7万年前という。

人間以外の霊長類は、集団の平均サイズが大きいほど脳が大きいという報告がある。
どういうことか?
おそらく、言葉をしゃべる以前に、付き合う仲間の数が増えて、仲間の性格や自分との関係を記憶するために脳が容量を増やしたのではないか。と言っている。

縄文時代の遺跡から集団で傷ついた骨はまだ見つかっていない。朝鮮から多くの人が入ってきて、水稲耕作が始まった弥生時代頃から見つかりだしている。弥生時代後半には「すずり」らしきものが発見されている。文字が使われ交易も行われていたことが推測されている。
大陸から多く移動してきた古墳時代には、身分の違いがあらわれ、支配者が出現してきている。

私は縄文時代には、個別の殺人事件もあったかもしれないけど、集団の殺し合いはなかったように思う。狩猟・採取・漁などを中心におこなっていた時代は小集団の共同体で、共同で分配行動していたと思われている。当時日本列島で貴重なヒスイや黒曜石が手に入る場所は限られていたが、独占したり、争いが起きたりした形跡もない。共同で助け合って食料を確保し、共同で子供を育て、集団内はもちろん、結婚などで他の集団との交流も深めている。

行動を共にして、集まって歌ったり踊ったり、住居をみんなで作ったり、直したりしたのでしょうが、どの程度の言葉があったかは分かっていない。でも最小限の言葉はあったと私は思う。
人類学者の山極さんは共同体の限界は150人くらいだとしている。そしてその程度が、争いのない分配行動ができる共感力を高く保てるとしている。

たえず分配と共感を体験しながら一緒に暮らすことで集団の争いは防ぐことができるのか?
少なくとも、今のところ、縄文時代には集団同士の戦争はなかったと思われているから、縄文時代に興味がわく。
「変なやつら」とか「いやなやつら」「敵」などの他者を侮辱したり威嚇するような言葉はなかったのだろうか?知りたいな!


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