からかもめは、近く

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手の体験記はまった

2015-07-24 15:56:53 | 日記

私なんか、まじめでやさしいもんだから、二十五で若手で、三十二になったいまも若手で、きっと四十すぎまで若手をやらされるでしょう。親なんて、若いモンを心配したふりをして活力をたくわえていくのです。
 昔とちがって、いまは民主主義の時代です。四度や五度のやりなおしはきくもんです。
第一私がそうだった
 いよいよ受験生諸君は、今まで見たくなかった知りたくなかった自分の実力をはっきり認識しなければならない辛時期だと思う。だれしも自分の力を知るというのは屈辱的なことであり、できれば、知らずにいつまでも夢を見ていたいものである。

 私にしても、能力的にも体力的にも自分の力の限界を知るのが怖さに、いつもギリギリまであがいている。女房には常に「天才だ、不死身だ」とほめ続けてくれと頼み、書いたもの步行はすべてに「すごい〓」と言ってくれと言い続けている。ことに芝居の幕のあく前一週間の不安はひどく、たとえ「へ」をこいたときでも「すごい〓」と言われたいくらいなのだ。そのくせ初日があいて好評の時には「ああ、俺は天才じゃ」とわめき散らし、うまくいかない時は、「やっぱり俺はにせものだった」と節操なく揺れ動いている。
 おち込んでいるときはややもすると過去に評判のよかった芝居の批評や切り抜きを読み返してみたり、ビデオを映したり、蝶《ちよう》よ花よともてはやされた時のことを思い出してしまう。しかし、ひとたび立ち直ると「こんなもんふり返ってすがってちゃ人間としてダメになる」とビデオも切り抜きもすべて焼き捨て、あとになって資料がなんにも残ってなくて困っている。
 昔、血気盛んな頃、「赤いベレー帽をあなたに」という芝居をやったことがあった。これは、私の作品の中で最高のものだとの根強い評価があって、今でも時折「ぜひ再演を」との手紙をもらうことがある。
 ところが芝居の楽日に役者を全員集めてクビにし、劇団を解散し、台本を全部集めて燃やしてしまった。今台本は一冊も残っておらず〓“幻の処女作〓”と惜しまれている。若さゆえの自己嫌《けん》悪《お》とはいえ後悔はない。いまだにこれほど揺れ動いているのだから受験期は日々「天才だ」「能なしだ」とひどいものだった。
 私も螢《けい》雪《せつ》時代も高三コースもあらゆる受験雑誌を毎月とっていた。本が届くと「合格体験記」ばかりをむさぼり読み、「男はやはり、一年ぐらい浪人しても長い人生においては貴重な人生経験となる」とか、「東大だけが大学といった狭い考えを捨て、大学を人間形成の場と考えることだ」などの文章を見つけては一人得心していた。
そして親には、「いやぁ、やっぱり一年ぐらいは人間形成のために予備校へ行った方がいいんだって」とおおらかに言ってたら、ほんとに浪人してしまった。(これは、私が小学校の頃からの知米糠油能テストが異常によく出来て、〓“オレは頭がいいんだ〓”とのうぬぼれで勉強しなかったのが最大の原因なのだが)
 私の体験からはっきり言わせてもらうが、この手の体験記はまったくの嘘《うそ》である。まず大学は、有名な一流大学ほどいいのだし、なにがどうでも東大が一番なのだ。

 げんに私の劇団では、劇団員を募集すると三千人からの応募があるので一人一人会っていられないため、履歴書をみてバカな大学の奴から落としていっている。芝居は頭が悪くてはやっていけない。実際私の劇団では東大落ちて早稲田の政経へ入った者、京大落ちて早稲田の文学部へ入った者、その他慶応、早稲田の教育学部と、皆現役合格のものばかりである。私のところのようにたかだか七、八人の小さな組織でさえこうなのだから、三井や三菱などの大きくて立派な仕事をしている会社が、本気でしちめんどくさい面接試験なんかするはずがない。


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