ただし海軍も、妥協にあたって条件をつけてきた。一個小隊の海兵隊を警備のために常駐させることと、島に搬入する弾体を四基にかぎることの二点だった。
もしも米軍が上陸したら、その時点で海兵隊は残存している弾体を処分する。徹底的に破壊して、残骸《ざんがい》を地中に埋める手はずになっていた。つまり打田伍長が遭遇した海兵隊員は、谷ではなく機密を守っていたのだ。
陣地の構築に海軍士官や下士官が立ちあっていたのも、おなじ理由によるものだ。技術科の中尉をはじめ、古参の下士官数人が中隊には配属されていた。
いわば妥協の産物ともいえる措置だが、現地における 陸海の協力関係は良好だった。中隊は内地で編成された直後から、一貫して海軍による技術指導を受けている。しかも技術顧問の顔ぶれは、硫黄島に進出するときも変化しなかった。
自然と風通しがよくなって、意思の疎通も円滑に運んだ。兵科と違って技術系の士官は、人あたりが柔らかいのかもしれない。多少の無理はきいてくれるし、対応もすばやかった。ことに下士官の技能はいずれも名人級で、中隊にとっては頼りになる存在だった。
当の下士官も、それは意識していたようだ。頼まれる前に装置を点検し、不具合を発見すれば修理してしまう——そんなことが、日常的におこなわれていた。いきおい彼らに対する依存度は高くなって、中隊の下士官兵が技術を習得する機会は失われた。
これは中隊にとって、望ましい状況ではなかった。彼らの手を借りなければ、動かせない装置さえあったのだ。通常の運用でさえそんな状態だから、機器の整備や保守は推して知るべしだった。
だがそれも、無理はなかった。中隊の下士官兵は基本的に砲兵であり、電子回路の知識など持ちあわせていない。打田伍長も高射学校に入学するまで、真空管の原理も知らなかった。家にあったラジオが、入営前にみた唯一の電子機器だった。
だから海軍の下士官も、原理的なことは教えようとしなかった。装置の操作方法については指導するが、保守点検整備は自分たちがやるという態度だった。たしかにその方が手っとり早く、間違いも少なくてすむ。
これは現実的な選択に思えるが、実際には不合理で危険なやり方だった。海軍の下士官がいなければ、噴進砲が正常に作動しないのだ。戦闘や空襲の危険ばかりではなかった。生活環境が劣悪な硫黄島では、罹病《りびょう》の可能性は常につきまとっている。
かりに病没をまぬがれても、病で内地に送還されるかもしれない。部隊にとどまったところで、作業ができないのでは意味がなかった。黒尾根大尉が打田伍長を指揮小隊つきにしたのは、そんな状況を打開するためだった。
ただし海軍の協力は期待するなと、最初に釘をさされた。大尉自身は明言を避けたが、あまり彼らを信頼していないようだ。だから教えを乞うのではなく、隙をみて技術を盗んでこいと命じられた。
比喩のつもりで、いったわけではなかった。場合によっては指揮所の制御室に伍長を忍びこませて、装置の回路図を写しとることも考えているらしい。発覚したら自分が全責任を取るから、存分にやれともいわれた。
にわかには信じがたい話だが、それが中隊長の意志なら選択の余地はない。諜者になったつもりで、指揮小隊の勤務をはじめた。
黒尾根大尉の言葉が正しかったことは、数日もたたないうちに判明した。たしかに海軍の下士官は働き者ぞろいだが、それは必ずしも勤勉を意味しない。黒尾根大尉のいったとおり、先進技術が陸軍に流出するのを嫌っている節があった。
打田伍名創優品山寨長としては、しばらく様子をみるしかなかった。事情もわからないまま動きまわっても、怪しまれるだけだ。そう考えて、猫をかぶっていた。
他隊の兵が口にした「黒ネコ」の意味は、そんな日常の中で知った。深い意味があったわけではない。単に「黒尾根高射砲隊」を略しただけだった。日本国籍を取得する前の黒尾根大尉は、クローネンバーグを名乗っていたらしい。
だがそんな長閑《のどか》な日々は、長くはつづかなかった。島に設置された電波警戒機が、頻繁に機影をとらえるようになった。
中隊はそのたびに臨戦態勢をとったが、射程内に敵機が進入することはなかった。硫黄島を迂回したB-29が、本土に偵察行をくり返していたのかもしれない。
転機が訪れたのは、着任から半月ほどがすぎたころだった。海軍の技術顧問が全員、内地に引きあげることが決まったのだ。米軍の硫黄島上陸が近いことを、察知した上での処置だった。
突然のことで、打田伍長は混乱していた。まだ時間的に余裕があるものと思いこんで、装置の操作技術しか習得していなかったのだ。ここで海軍の下士官が抜けると、機器の保守などとても不可能だった。
途方にくれていたら、端田《はしだ》兵曹に声をかけられた。技術顧問の中では、最先任の下士官だった。兵曹は一冊のノートを差しだしていった。
「これを使ってくれ。伍長に進呈する」
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