短い間だったけれど,25歳で最年長の円山さんを筆頭に,僕と同い年のイレイナ,1つ下のイーゴ,イーゴのガールフレンドでスイスフレンチのサンドリン,アジャと6人でつるむ様になって僕の留学生活はある意味充実することになったのだから,僕はイーゴとのいさかいに大いに感謝しなければならなかった。パターゴルフにも出掛けたしタミーバーガーやトッポリーノでもよく食事をした。夕方にはほぼ毎日ブランズウィックで落ち合って映画を見に行ったり海で景色を眺めたりして家族の様に何時間も過ごすことさえあった。
唯一の問題はイーゴとイレイナの口論で,国の話になると決まって収まりがつかなくなる。そのうち英語が余り流暢ではないイーゴが母国語で話し始めてイレイナも興奮して応戦するなんてことが時折あって,円山さんと僕が止めようとしても難しく,最後はアジャが涙声で説得するパターンが出来上がった。そんな時イーゴは不機嫌なままアジャを連れて帰ってしまうから,帰り際のアジャの申し訳なさそうな目がとてもいたたまれなかった。
イーゴ達の国では民族間の争いが徐々に表面化しつつあり国土の分断の機運が高まっていた。イーゴが通っていた大学内でも小さな小競り合いが絶えず毎日の様に怪我人が出るほどだったという。3月には自治軍同士の間に衝突が起こって死者が出る程まで悪化していて,イーゴはいずれ支持する自治軍に加わって自分たちの国家独立の一翼を担いたいと考えていたがイレイナは分断には反対していた。イーゴとアジャが帰ってしまうと,イレイナは宗教や文化の違いで自分たちが分断される様に仕向けられていることへの恐怖と憤りを丁寧な英語で訴えた。彼らが英語の勉強という名目でイギリスへ避難させられているということもやるせないと洩らしていた。
2週間もするとイーゴがアジャと僕の関係を細かく確認してくる様になった。しつこいくらいに「手は握ったか」とか「キスはしたか」とか,兄と言うよりはもはや親みたいな探り様に,「お前の大事な妹だろう。僕も宝物の様に思っているよ」とだけ答えると,イーゴは嬉しそうに僕の額にキスをするなんてことが何度かあった。円山さん達が手を繋げばアジャの方から僕の腕をギュッと掴んで歩くほどだったから僕たちも互いに惹かれ合っていたといっても過言ではないかもしれない。恋人の様にしていても僕にとってアジャは妹の様な存在で一緒にいることがこの上なく愛しいことだけは間違いなく,イーゴの気持ちが手に取るように分かった。
ある日,円山さんがバンクホリデーのある3連休をパリで過ごさないかという提案をしてきた。円山さんが勤める工業デザイン会社は地元ブライトンにあったが,その保養地というのがパリ郊外にあって無料で使えるのだという。円山さんの愛車で行けば実質食事代だけで済むという話に僕たちはは色めき立った。イーゴとサンドリンは既にブリストルへの1泊旅行を決めていて即座に参加しないことになったが,円山さんの車は5人乗りだったから,今思えばイーゴたちが僕たちに気を遣ったのかもしれない。
フランス旅行に出発する朝,学校の前で待ち合わせをして車に荷物を載せていると,サンドリンと一緒に見送りにきたイーゴが「ソーヤン,アジャを頼んだよ」と言いながらふざけて僕の額にキスをした。アジャは両頬を僅かに赤らめながら「ホントはイーゴがソーヤンと一緒にいたいのよ」というとイーゴが僕の首に腕を掛けたまま「実はな!」と大笑いした。
2泊3日のフランス旅行は最高に楽しかった。宿泊していた施設からは車で30分も行けばパリの中心に行けて,そこから電車を使ってベルサイユ宮殿へも足を伸ばしたりした。円山さんがおごってくれたフルコースのフランス料理も,エッフェル塔から見下ろす夕方のパリの黄昏も最高の思い出だけど,円山さんとイレイナの仲睦まじい様子や,僕の真横にいつもいてくれるアジャの存在が何よりも旅を幸福なものにしてくれた。
復路でホワイトクリフが見えてきた頃,フェリーの船尾に纏わり付く海鳥たちを見上げているアジャの頬の産毛を太陽が金色に輝かせていた。彼女のリンゴのパフュームの優しい香りを海風が運んできて,旅の終わりを惜しむような淡い気持ちが湧き起こってきた。
しかし,そんな余韻に浸る間もなく僕たちは突然奈落のどん底へと落とされることになった。
イーゴ達の国では民族間の争いが徐々に表面化しつつあり国土の分断の機運が高まっていた。イーゴが通っていた大学内でも小さな小競り合いが絶えず毎日の様に怪我人が出るほどだったという。3月には自治軍同士の間に衝突が起こって死者が出る程まで悪化していて,イーゴはいずれ支持する自治軍に加わって自分たちの国家独立の一翼を担いたいと考えていたがイレイナは分断には反対していた。イーゴとアジャが帰ってしまうと,イレイナは宗教や文化の違いで自分たちが分断される様に仕向けられていることへの恐怖と憤りを丁寧な英語で訴えた。彼らが英語の勉強という名目でイギリスへ避難させられているということもやるせないと洩らしていた。
2週間もするとイーゴがアジャと僕の関係を細かく確認してくる様になった。しつこいくらいに「手は握ったか」とか「キスはしたか」とか,兄と言うよりはもはや親みたいな探り様に,「お前の大事な妹だろう。僕も宝物の様に思っているよ」とだけ答えると,イーゴは嬉しそうに僕の額にキスをするなんてことが何度かあった。円山さん達が手を繋げばアジャの方から僕の腕をギュッと掴んで歩くほどだったから僕たちも互いに惹かれ合っていたといっても過言ではないかもしれない。恋人の様にしていても僕にとってアジャは妹の様な存在で一緒にいることがこの上なく愛しいことだけは間違いなく,イーゴの気持ちが手に取るように分かった。
ある日,円山さんがバンクホリデーのある3連休をパリで過ごさないかという提案をしてきた。円山さんが勤める工業デザイン会社は地元ブライトンにあったが,その保養地というのがパリ郊外にあって無料で使えるのだという。円山さんの愛車で行けば実質食事代だけで済むという話に僕たちはは色めき立った。イーゴとサンドリンは既にブリストルへの1泊旅行を決めていて即座に参加しないことになったが,円山さんの車は5人乗りだったから,今思えばイーゴたちが僕たちに気を遣ったのかもしれない。
フランス旅行に出発する朝,学校の前で待ち合わせをして車に荷物を載せていると,サンドリンと一緒に見送りにきたイーゴが「ソーヤン,アジャを頼んだよ」と言いながらふざけて僕の額にキスをした。アジャは両頬を僅かに赤らめながら「ホントはイーゴがソーヤンと一緒にいたいのよ」というとイーゴが僕の首に腕を掛けたまま「実はな!」と大笑いした。
2泊3日のフランス旅行は最高に楽しかった。宿泊していた施設からは車で30分も行けばパリの中心に行けて,そこから電車を使ってベルサイユ宮殿へも足を伸ばしたりした。円山さんがおごってくれたフルコースのフランス料理も,エッフェル塔から見下ろす夕方のパリの黄昏も最高の思い出だけど,円山さんとイレイナの仲睦まじい様子や,僕の真横にいつもいてくれるアジャの存在が何よりも旅を幸福なものにしてくれた。
復路でホワイトクリフが見えてきた頃,フェリーの船尾に纏わり付く海鳥たちを見上げているアジャの頬の産毛を太陽が金色に輝かせていた。彼女のリンゴのパフュームの優しい香りを海風が運んできて,旅の終わりを惜しむような淡い気持ちが湧き起こってきた。
しかし,そんな余韻に浸る間もなく僕たちは突然奈落のどん底へと落とされることになった。