東京に行く前から準備作業がすんでいた近所の田圃で、日曜日田植えが行われました。
私が小学生の頃はここは通学路で一面田圃だったのですが、近くで区画整理事業が行われて大型スーパーが来てからは、田を探すのが難しいくらい少なくなってしまいました。
昔の面影がかすかに残ってはいるものの、辺りの様子は見事に一変してしまいました。
核家族化で宅地造成が進み、山は削られ、農地は宅地に転用されてしまいました。
ところが、市全体の人口が増えているのかと言えばそうではないのです。
寧ろ減っているくらいなのです。
これって一体どういうことなんでしょうね。
街中はドーナツ化が進み、昔は多かった小学生の数も随分減ったと聞きます。
実際街中を歩いてみると、古い3軒長屋の大多数は空き家となっています。
住んでいるのは高齢者の人ばかり。
しかも独居の方が多いのです。
高度成長を支え、子育てを終えた人々は孤独の中にその人生を終えようとしています。
繁栄を享受した若い世代は、次の世代に一体何を申し送ろうとしているのでしょうか。
最近陰湿な事件が後を絶ちません。
何かが間違っていると思うのですが、ここが間違いの元だとは考えられないでしょうか。
私が小学生の頃はここは通学路で一面田圃だったのですが、近くで区画整理事業が行われて大型スーパーが来てからは、田を探すのが難しいくらい少なくなってしまいました。
昔の面影がかすかに残ってはいるものの、辺りの様子は見事に一変してしまいました。
核家族化で宅地造成が進み、山は削られ、農地は宅地に転用されてしまいました。
ところが、市全体の人口が増えているのかと言えばそうではないのです。
寧ろ減っているくらいなのです。
これって一体どういうことなんでしょうね。
街中はドーナツ化が進み、昔は多かった小学生の数も随分減ったと聞きます。
実際街中を歩いてみると、古い3軒長屋の大多数は空き家となっています。
住んでいるのは高齢者の人ばかり。
しかも独居の方が多いのです。
高度成長を支え、子育てを終えた人々は孤独の中にその人生を終えようとしています。
繁栄を享受した若い世代は、次の世代に一体何を申し送ろうとしているのでしょうか。
最近陰湿な事件が後を絶ちません。
何かが間違っていると思うのですが、ここが間違いの元だとは考えられないでしょうか。