朝食を食べていた時のことです。
実家から電話が入りました。
私が大変お世話になっている叔父の奥さん、つまり伯母が亡くなったという連絡が入った。
腰は少し曲がっては居たものの元気で畑仕事もしていたのに、何でまた・・・。
叔父が脳梗塞で入院して、今は介護を受けては居るが、伯母はまだまだ元気だったのにと思ったが、兎に角直ぐに帰ることにした。
ただ、今日の分の仕事があるので、直ぐに済ませて夕方には帰ることにした。
結局一時過ぎに家を出たのである。
和歌山で一寸した乗り継ぎミスをして、一便遅れて御坊に着いた。
御坊で待合いにいると男性のお年寄りが寒い寒いと言いながら入ってきた。
「わしは暑いのは幾ら暑くても大丈夫なんやけど、寒いのは得手が悪いんで。」
と言いながら私の横に腰掛けて、
「それにしても寒いなあ。」
と話しかけてきた。
それで電車が来るまで一緒に話をしたのであるが、その老人は大正6年生まれで、白浜まで温泉に入りに行くと言うことでした。
白浜は3回目で前の2回は車で行ったと言うことでした。
和泉市で70歳まで庭師をしていて、今は引退して日本中を軽四で回っていると言うことでした。
奥さんは亡くされて長いということで、今は一人暮らしをしていると言うことでした。
ところが、3年前には1ヶ月かけて北海道を一周してきたと言うことで、昨年は九州を一周して来たと言っていました。
それもたった一人で、船も使わず、予定も立てず行き当たりばったりでと言うことでした。
おまけに今まで一度も違反も事故もないと言うことでした。
ん?
考えてみたら今90歳。
80過ぎての車の一人旅、それも近場ではなくて遠方の長期間旅行。
世の中には色々な人が居るものだ。
健康でなければ勿論出来ないが、その思い切りと根性のよさには恐れ入った。
普通は車で、それも軽四で、年寄りの一人旅と言ったら一寸躊躇する。
周囲が止めてしまうだろう。
一人暮らしの気安さと言ってしまえばそれまでだが、それにしても素晴らしい。
今まで風邪一つ引いたことがない、と言っていた。
南支での行軍の際も、水は殆ど取らなかったらしい。
6合の水は必ず携行させられたと言うが、その殆どを仲間の兵隊に分け与えて居たというから、暑さには本当に強いのだろう。
白浜では気に入ったら何日でもいるつもりだと言っていた。
これからも元気で、出来たら100歳を過ぎてもあっちこっち遊びに行けるよう、いつまでも健康で暮らして下さいと祈らずには居られないお爺さんでありました。
実家から電話が入りました。
私が大変お世話になっている叔父の奥さん、つまり伯母が亡くなったという連絡が入った。
腰は少し曲がっては居たものの元気で畑仕事もしていたのに、何でまた・・・。
叔父が脳梗塞で入院して、今は介護を受けては居るが、伯母はまだまだ元気だったのにと思ったが、兎に角直ぐに帰ることにした。
ただ、今日の分の仕事があるので、直ぐに済ませて夕方には帰ることにした。
結局一時過ぎに家を出たのである。
和歌山で一寸した乗り継ぎミスをして、一便遅れて御坊に着いた。
御坊で待合いにいると男性のお年寄りが寒い寒いと言いながら入ってきた。
「わしは暑いのは幾ら暑くても大丈夫なんやけど、寒いのは得手が悪いんで。」
と言いながら私の横に腰掛けて、
「それにしても寒いなあ。」
と話しかけてきた。
それで電車が来るまで一緒に話をしたのであるが、その老人は大正6年生まれで、白浜まで温泉に入りに行くと言うことでした。
白浜は3回目で前の2回は車で行ったと言うことでした。
和泉市で70歳まで庭師をしていて、今は引退して日本中を軽四で回っていると言うことでした。
奥さんは亡くされて長いということで、今は一人暮らしをしていると言うことでした。
ところが、3年前には1ヶ月かけて北海道を一周してきたと言うことで、昨年は九州を一周して来たと言っていました。
それもたった一人で、船も使わず、予定も立てず行き当たりばったりでと言うことでした。
おまけに今まで一度も違反も事故もないと言うことでした。
ん?
考えてみたら今90歳。
80過ぎての車の一人旅、それも近場ではなくて遠方の長期間旅行。
世の中には色々な人が居るものだ。
健康でなければ勿論出来ないが、その思い切りと根性のよさには恐れ入った。
普通は車で、それも軽四で、年寄りの一人旅と言ったら一寸躊躇する。
周囲が止めてしまうだろう。
一人暮らしの気安さと言ってしまえばそれまでだが、それにしても素晴らしい。
今まで風邪一つ引いたことがない、と言っていた。
南支での行軍の際も、水は殆ど取らなかったらしい。
6合の水は必ず携行させられたと言うが、その殆どを仲間の兵隊に分け与えて居たというから、暑さには本当に強いのだろう。
白浜では気に入ったら何日でもいるつもりだと言っていた。
これからも元気で、出来たら100歳を過ぎてもあっちこっち遊びに行けるよう、いつまでも健康で暮らして下さいと祈らずには居られないお爺さんでありました。