花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

大浜

2009年10月21日 | Weblog
これも随分昔の話になってしまうのだが、今は埋め立てられ整備されてしまった扇ヶ浜公園の波打ち際だが、昔はパラペットも無い長い砂浜だったように記憶している。
木造平屋の割と粗末な市営住宅があって、其処から松林と割と急な斜面の砂浜が続き、波打ち際に至った様に思うのだ。
その市営住宅も、高潮被害があってから、パラペットの陰で鉄筋コンクリート4階建ての施設になったのではなかっただろうか。
子供の時の記憶だから、距離感や勾配については随分違っているかも知れない。
しかし大まかなところそういう感じではなかったかと思う。
今は当時を思い出すべくも無い。
整備された海浜施設が続くだけだ。



時代が変われば、風景も変わる。
今はコンクリートで固められた海岸と、浸食されつつある砂浜、堆積してはいけないところに堆積する砂と漁港施設、人間の考え通りには動いてくれない自然の動きに右往左往する人間の姿が悲しくもある。



この松林を越えたところに、今は風化が激しくなって危険と判断され取り払われた鬼橋岩と呼ばれる、自然に出来た岩の架け橋があった。
其処を超えると、石切り場と呼ばれていた、貝の化石の出る場所があったのだ。
小学校の頃、其処に化石を探しに通ったものだった。
昔化石を探していた場所は今も少し崖となって残っているようではあるが、その殆どは造成されて家が立ち並んでしまっている。
ここに至るまでの海沿いには、昔の製塩跡や、古墳も発見されている。
当時はこの地でも色んな産業が発達していたと想像される。



今では想像も出来ない過去の話である。

しかし近い過去には材木の集積地としての発展や、貝を利用したボタン産業の発展で、繁栄を謳歌していた。
今は農業以外には取り立てて目ぼしい産業も無い田辺であるが、古くから熊野古道の中辺路、大辺路の拠点として栄えていたのである。



歴史を残酷な歯車と見るか、新しい夢をもたらす伝道者と見るかで、同じものを見ても感じ方はまるっきり違ってくると思う。
難しいとは思うが、新しい道を探る努力を地域全体で出来るよう努力すべきではないかと感じる。



未来を信じて前進したい。