花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

パイ 9

2009年01月31日 | Weblog
実はこれから後のコメントで書く予定でしたが、受験勉強の理科系、文化系という分類の仕方って実は非常に不自然だと私は思っているのです。
人が科学する心は何に対しても皆同じ筈です。
たまたまその対象が、目や耳や肌に直に見え感じる自然現象が基本であるか、人が作った表現の方法、制度や仕組み等の社会現象が基本であるかの違いに過ぎません。
ですから受験という一つの関門があるにせよ、その手法は両方学んでおくべきだと私は思っているのです。

     

さて、話は又大きく変わるかも知れませんが、再び粒子の組み合わせに戻りたいと思います。
同じ個数の粒子でもその並び方によって全く違った性質を持つことが確認されています。
例えば炭素ですが、ダイヤモンドやグラファイト、カーボンナノチューブと呼ばれる多様な性質を持つ構造、身近な所ではお茶炭や花炭、備長炭や竹炭などがあります。
これらの炭素原子構成物は極端な言い方をすれば、同じ炭素の数の組み合わせでありながら、その性格がまるで違うということになります。
空間と炭素の数を限り時間を無限大に取れば、同じ炭素で色々な性格の炭素原子構成物が出来ると言うことになります。

一つの炭素原子を中心にその移動に依る構成物の変化を見た時と、一塊の炭素原子を中心にその組み合わせの具合に依る変化を見た時では考え方は一寸違ってきますね。

化合物としてみてみると、同じ炭素でも有機原因のものと無機原因のものでは自ずと変化が出てきます。

要は無限の時間の中では空間が無限であれば無数の状況設定が出来ることを判って頂きたいのですが、これはある単一位相の時に限られると言うこともご理解頂きたいのです。
無限空間の90度の位相変換を考えると、又面白い考えが浮かんでくるのです。

     

人や動物の性格については大きく何種類かに分けられます。
地球の歴史を見ても、気象や生息する生物、地表を構成する物質で時代に名前が付きます。
恒星の歴史、宇宙の歴史についてもそれぞれの特徴に代表される時代があります。

結局個々を捉えてみると分類が可能なのです。
それなのに同じ物を数多く集めたり、大きさを変えたりすることで全く別の性格を出すことが出来るのです。
人間も一人一人は分別があっても、団体になれば「赤信号、みんなで渡れば恐くない。」式の厚かましさが出てきます。
会議などでは一言も言えない人が、陰に回ると言いたい放題を言うことが出来ます。

石炭も採石程度の大きさでは燃料となりますが、粉塵になると爆発を起こします。
金属も我々が普通に見る板や固まりの状態と、細かい粉にした状態とではその性格が全く違ってきます。
鉄板や金槌を見ているとあの鉄がまさか懐炉になろうとは思いもつきませんが、実は懐炉として市販されています。
粘土にしても、子供の頃にこねて遊んだ経験はありますが、食料に混ぜられるとは考えもしないのではないでしょうか。
でも我々はちゃんとその混ぜられた粘土を食べています。

状態が違えば、同じ物質でも色んな性格が出てきます。
簡単に言えば、我々の目で見てその種類や名前を判断できる形と、判断できない形ではその本来持つ性格が変わってくるのです。