花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

自然のこえ 命のかたち 国立民俗学博物館 特別展示館

2009年10月30日 | Weblog
副題は
「カナダ先住民の生み出す美」
でした。
展示物はカナダ文明博物館の巡回展「カナダの先住民族」と、国立民族学博物館が所蔵するカナダ先住民版画などから構成されていました。

私がカナダについて知っているのは、昔映画で観た、ブリティッシュコロンビアの自然の素晴らしさと、ここがフランス語圏で、英語圏もあると言うことくらいでした。

今回展示物を観ていて、カナダ北極圏が実は、東部、中部、西部で同じイヌイットの暮らす土地でありながら、文化の基本がまるで違うということを知りました。

ロッキー山脈で分けられる、西部森林地帯では木の文化が栄えていますが、東部極北ではツンドラなので、石と骨の文化になります。
石は滑石が多く使われていることなども、驚きでした。
蛇足ながら、滑石は和歌山県貴志川町でも産出する鉱物で、今でも土建屋さんはチョーク代わりに持っている人もいます。
硬度1の爪でも傷が付く柔らかい石です。
私にとっては非常に親しみが持てる石です。

アザラシやカリブーなどを犬ぞりで追う猟師と、鮭、鱒、鯨を捕る漁師、五大湖周辺の農耕部族など、文化の種類は多岐にわたります。
鯨を捕るための浮きはアザラシの皮で作っていました。
皮をはぐナイフは骨で作ったものや、ロシアから入ってきたという鉄器もありました。

住むところが違えば、使う道具も違い、生活の基本そのものが違ってきます。
カナダのような広いところでは、色んな部族の中で独特の文化が育まれてきたんですね。
言葉も日本の方言同様、部族間では殆ど判らなかったみたいです。
ちょうど、東北弁と、鹿児島弁くらいの違いがあったのでしょう。

途中から、阪大の先生が、展示物の説明をしてくれました。
特に興味深かったのは、イヌイットの考え方の部分でした。
簡単に言えば、全てはその振る舞いによって形を表すことが基本思想だという事でした。
その中から変身という思想が出て来るのです。
すなわち、トナカイのように振る舞えば、人もトナカイのようになり、トナカイも人のように振る舞えば人になる、と言うのです。
その思想が形になって現れたのが、トーテムポールで、あれは人の形をした動物、動物の形をした人の組み合わせなのです。

展示してあった版画は、実は戦後になって発展したもので、それ以前にはなかったそうです。
紙は高知県の和紙を使用し、版画は日本で学んだと言うことでした。
しかしそこに表現されている図柄はトーテムポールの思想そのものでした。

展示物を観ていると知らない間に17時が近づいていました。

実は今回の展示に深く興味を持ったというのには理由があったのです。
二年前に、立教大学の世界遺産に関する学外講座があったのですが、紀伊山地の霊場と参詣道の講義ともう一つ、スウェーデンのサーミ(サンタクロースとオーロラで有名です)に関する講義があって、その中で同化政策から脱却した民族の話があったのです。
そのときの話が印象に残っていたので、展示物を当時観たのと比較する面白さがあったのです。

ヨーロッパは2000年代に入ってからの民権運動ですが、カナダのは1940年代からの運動で、先進地だったと言うことから現状の差違が出てきます。
私が聴いた講義の中では、世界遺産に指定されたことから住民の意識が変わり、自治意識が芽生えて、サーミの自殺率はずいぶん改善されたと言うことでした。
ところが、最近の新聞で読んだところでは、アメリカのエスキモーは、今も生活保護と食料支給の生活にアルコール中毒患者が減らず、若者の自殺率が非常に高いという事でした。
イヌイットの若者の自殺率もまだまだ高いと言うことから、民族自立の難しさも見えてきます。

翻って今の日本をみると、恵まれすぎて自治意識が喪失しているようにも見えます。
今の日本の自殺者は3万人を超え、更に増えつつあると言われています。
文明国家だと思っていても、その内容は、自我に目覚められない烏合の集団であるかもしれないのです。