日々雑感

日韓関係-韓国の冊封体制的メンタリティ?

これまでは、韓国裁判所の対馬仏像盗難事件への判決や、文在寅大統領の”一度合意した、謝罪したということで済む問題ではない”との発言(2019/8/29)について理解できないでいた。

韓国観艦式での旭日旗問題もしかりであった。(韓国側が各国に「中央マストに韓国と各国の国旗を掲揚してほしい」「艦首と艦尾には旗は掲揚しないでほしい」と要請したが、海上自衛隊は「国際法に裏付けられた海軍の常識から見て、降ろす選択肢はない」として、護衛艦派遣を見合わせた。他方、韓国側は自国の国旗と韓国の国旗だけを掲揚するのが原則と通知しておきながら、観艦式では文在寅大統領が演説した艦艇のマストに李舜臣将軍が使ったものと同じデザインの旗を掲揚した件。韓国観艦式参加というのは必要とは思えないので不参加で良かったと思う。別には"こんな場合は海上自衛隊も海軍の事例を出すのだ"との感慨はある。)

対馬仏像盗難事件では、もし対馬の仏像は倭寇により略奪されたものでありそれを2012年になって取り戻したのが韓国で合法であればその実行者は韓国の英雄とせねばならないが、実際には韓国国内で窃盗により刑事処分されている。にも拘わらず、韓国司法は一審で盗難仏像の日本への引き渡しは違法との判決を出している。(引き渡しが違法なら、窃盗犯を刑事処分するのはおかしいのでは?)

これらの論理矛盾の理由がわからなかった。また、一国の大統領が国家間の合意事項について”一度合意したからそれで済む問題ではない”と発言する感性がわからなかった。
もちろんアメリカのように良し悪しは別として国家間の合意を後から破棄する、反故にするということはあることだ。ただ、そのときは破棄すると宣言している。破棄・反故を宣言することで論理矛盾はない。
2015年の日韓の従軍慰安婦合意については、韓国政府として現時点で気に入らなければ破棄すると宣言したうえで再度の補償・謝罪を求めるのであれば良し悪しは別として少なくとも論理矛盾はない。


2019/9/18産経新聞上の櫻田 淳氏のコメントを読み、韓国という国がこの論理矛盾を抱えたまま気にせず日本へ対峙する理由が腑に落ちた。つまり、韓国は近代国家同士の関係を日本へ適用していないのである。小中国としての中国冊封体制の考え方を日本へ適用しているのだ。
韓国ではすべての法律の上に国民情緒法があると言われているが、その情緒の源は「中国冊封体制では日本は韓国より劣った野蛮な国であるから、韓国が現在道徳的に正しいと感じられることに対しては論理・これまでの約束・条約・国家間合意等は一切関係なくすべて直感的に日本が間違っていると感じる」ことであるようだ。
この冊封体制の感覚にて動いてしまっていることは、おそらく韓国自体は無自覚であろう。だけれども、非常に大きな力でこの感覚にとらわれていると思われる。これが、一連の対日姿勢の根幹にあるものと思う。

私自身は歴史修正主義ではないつもりだ。政治的立場はリベラルである。日本による韓国の植民地支配を正当化はできない。日本の輸出規制強化はいろいろ理屈を並べても、実態は報復であろう。ただ、上記構造がある限り日本と韓国は分かり合うことは不可能と思う。
友好的な関係とか未来志向の関係とかは無理とあきらめよう。経済的にペイする部分はそれはそれで付き合ってゆけばよい。
韓国は日本にとって”鬱陶しい国”であるが”危険な国"ではない。韓国は日本との比較で人口・国土面積・鉱物資源で大きく有利なわけでもなく、産業技術競争では勝ったり負けたりでやっていけるだろう。日本にとって”危険な国”は他にたくさんある。
ただ、韓国とは今のようなぎくしゃくした形で永遠に対峙していくことを覚悟すべきと思う。
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