日本の軍備状態や憲法9条について話をしていると時々出てくる論議の中に”自分の娘が強姦されそうになった時黙って見ているのか?”との比喩で軍備を強化するべき、9条を変更すべきとの言い方がある。比喩を行うと、比喩と実際とは同じではないことが覆い隠されることがあるので注意が必要だが、先の比喩をする人に”娘が強姦されないように兵隊を雇ったら、その兵隊が娘を強姦しようとした。このときはどうするの? 兵隊なので武装しているよ。”との質問を投げかけると、”そこまでは考えてなかった。”との返事が多い。
日本の軍備状態や憲法9条への論議の場合、軍備強化や憲法9条改正を支持する人は、単純に”軍隊はその国の人を守るもの”と理解している人が多い。しかし、古今東西の事例を見ていると、軍隊はその国の人を守るかどうかは怪しいものだと考えた方が良い。
例えば、イギリスやフランスやベトナムの軍隊はその国の人を守るととりあえず言えるとしよう。それなりの実績はある。だが人民解放軍はチベットや新疆で自国民を抑圧している。アメリカの軍隊は戦後行ったその戦争を見てみれば自国の人を守った実績ありと言えるのだろうか?むしろ海外でおこなった戦争で自国民を死なしているだけではないのか? ラテンアメリカやアフリカの軍隊ははっきり言って自国の人を守るためでなく、自国民を抑圧するためのものであったと言っても良いと思われる。戦後のドイツや日本の軍隊は、戦争があったときに自国の人を守った実績はまだない。(第2次世界大戦後、戦争を挑まれたことはないので。) 実績のないことを簡単に信用するわけにはいかない。これまでの世界の歴史を押しなべて見てみれば、軍隊というものは自国民の抑圧に使用された実績のほうが、自国民を守るために使用されたことより多い。
無防備中立が良いと言っているわけではない。勿論きちんと文民統制された適正な規模の軍隊を持つのが理想と思うが、それは簡単なことではない。それは非常に困難なことなのではないだろうか?その困難さを考えて憲法9条の改定を考えるべきでは?