「灯台下暗し」という言葉がある。
身近なことや、自分の身のまわりのことは意外とわかりにくく、気付かないことだというたとえ。
元々の意味を調べてみると、昔室内を明るく照らすために少し高い台の上に油の皿を起き、火を灯した台の真下というのは、よく見えない状態だということからきているらしい。
なるほど、それならこの久喜提燈祭りは私にとってはまさに灯台もと暗しである。わずかわが家から電車で 15分の距離の所にありながら、今まで名のみの存在であったのだから。
昼は人形を乗せる屋台形山車が町を曳きまわす。
そして夜になると灯された500個以上の提灯が飾り付けられた重量4トンの提灯山車となり、駅前広場に8台が集結する。その提灯山車同士をぶつけあったり、回転させたり、祭りは見事な演技ぶりである。
浅間山の噴火の10日遅れが7月18日だったというのが、山車曳き日の由来だったようで、12日とこの18日のみ曳きまわすようである。
露天商の数の多いのと、その範囲の広さにも驚かされる。
東南アジア系の方の露天もいくつか気づくが、祭りを見る人も老若男女、子供もかなり多い。まさに不特定多数の、みんなが楽しめるお祭りだと思う。
昨夜はその久喜提灯祭りを見に行った。灯台下暗しはまことにもったいないなと思った久喜の一夜である。
昨年も一昨年もコロナで中止だったから、今回は3年ぶりの開催。規模も縮小されていて、露店は出ず、山車は全6台だったが、一同に会することはなかった。それでも提灯山車とその迫力には力強いものを感じた。
そして仲間との、これからを予期する楽しいひと時でもあった。
「つれづれ(73) 久喜提燈祭り」