花が好きな私は、優しい人ですねと言われることがある。そのたびにそうかなあと思ったり、いちがいにそう決めるのは変だよと心の中で思ったりする。
たしかに花は好きだから、優しさの一面はないとは言いにくいだろうとは自分自身でも思う。けれど、花を好きな人に悪い人はいないなどといわれると、そういう言葉には多少は疑問のかけらが生じてくる。
これは犬や猫などのペット類を飼っている人にも同じようなことがいえる。愛らしい猫を大切に育てているから自分は愛情深い、あるいは優しい人間だと思いこんでいる人はいないだろうか。
そういう花やペットに優しく接することが結果として人間社会からの逃避や遮断であってはいけないからだ。花やペットは裏切らないからという考えは、少しばかり稚拙すぎる気がしてならない。言葉を返さない相手は自分にとって好都合だし、思うようになってくれることが多い。万一自分の思い通りにならなければ一方的にさまざまな方法で修正もできる。相手が人間ではそうはいかないけれど。
それと、優しさは弱さや優柔不断と同一化されることがある。真の優しさとは、力強さが必ず備わっている。力強くてまっすぐで芯のある心。そういうところから出る優しさが本物の「やさしさ」であると思う。
だから自分に優しいということも素敵だ。でも、自分に甘いのと優しいのを混同したくはない。自分に優しいということは、自分の生き方を持っているということ。そして強い心で他人を愛し、自分を愛することだと思う。
自分らしさを大切にして生きていく。夢中になれるものをもっている人は、はたからみても美しい。
そういう人は、心満たされて生きているので他人にも優しくできるのだろうと思う。
「つれづれ(104)ほんとうの優しい人というのは」