2月8日になるたびに針供養というイメージが頭をよぎる。
実家やわが家は針にはとんと縁がないし、友人知人にも昔から縫い針で生計を営んでいる人は誰ひとりとしていないにもかかわらず。どうしてなのかと考えてみる。
9世紀の平安時代に針の供養というものが中国から伝わり、京都のお寺に針供養の堂が建立されている。9世紀末にはごく一部の地域に針供養の風習は確実にあったようだ。そして風習として日本全国に広まったのは江戸時代中期で、今の和歌山市が起源らしい。
一般的には2月8日が針供養だが、関西の一部地域や九州地方では12月8日に行われる所もあるようだ。
学生時代に初めて知った言葉の針供養。
曲がったり折れたりした縫い針を、今までご苦労さまという意をこめて供養し、近くの神社に納める行事だと知った。
狭い知識のなかから明治大正や昭和の戦前戦後までの歴史の中に縫い針というものがどれほどの役目をしたかを考えてみた。そこにかかわる女たちの労働の姿。悲しみの涙や、縫い終えた時のよろこび。
別の意味をもつ千人針もしかり。高齢をめされたご婦人には忘れられない思いをおありの方もたくさんいることと思う。
そういうものを重ね、イメージを描いてみたとき、この風習は当時の時代に合った大きな役割をしてくれたのだと思う。
何でも電化で済む今の時代の上に重ねてみても当時の女たちの思いはわかるまい。
針供養が時代錯誤などとは思っていない。
仮に思ってみたとしたら、日本人の心が消えていくような気がしてならないし、当時の裁縫の女たちの思いまでも歴史の中から消えてしまうような気がする。
風習や行事には、たとえ昔のままの姿では残せないとしても、忘れてはならないものがたくさんある。
「つれづれ(56)針供養の風習は遠い昔のことか」