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あべっちの思いをこめた雑記帳

近しい人が逝くということ

 

 ここ一年ちょっとで母を含め、私の人生の中での近しい人三人を亡くしている。
 特に親しくしていた親戚の奥さんが亡くなった時はショックだった。人間の命はいつかは終わると頭の中ではわかっていても、こうも急に逝くとは、なんとはかないものだと思った。
 そして母が逝き、この春は、その先に逝かれた奥さんのご主人が亡くなった。

 彼には物事に対する考え方を教えてもらった。一本の視点からではなく、さまざまな方向から物を見て、考えるということ。そういう考え方が若い頃の私は、いいなあと思った。そ して、人への接し方も教えてもらった。
 といっても、「こうしなさい」とか、「この方がいいよ」などと口頭で言われたことはただの一度もない。彼の生き方を見て、私なりにその姿から自分自身で学んでいた。
 いや、正確にいうなら「学んでいた」よりもむしろ、今こうしてあらためて振り返ってみると、無意識のうちに私の心の中に刻まれ、染み込んでいたと言った方が正しいのかと思う。

 今日はそのご主人の四十九日。
 もう一度話ができるものならと、スマホに残されたご主人の電話番号を見つめている。


           「つれづれ(10)親しい人が逝くということ」 

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