石原慎太郎さんが亡くなって一年が過ぎた。享年89歳だった。
作家で故石原裕次郎さんのお兄さんであり、東京都知事を務めた方だから、その存在は誰もが知っていることと思う。
その彼の生前の発言はとかく世間の注目の的となり、なかには荒々しい部分もしばし見受けられた。でも彼の言い分にはなるほどという部分も数多く、私は何度もさまざまなそれらの言葉に同感したものであった。
石原さんの小説はまったく読んでいない。元々小説そのものにあまり興味がわかないこともあるが、その同時代にはむしろ石坂洋次郎さんの本のほうが友だち間では広く読まれていたような気がする。
それでも一つだけ石原さんのを読んで、今も本棚の一員として存在している著書がある。彼が36歳の時に書いた「人を感動させる名文句」だ。
このブログ書き込みを機に長い間お世話になったわが本棚から卒業させようと思い、その中の心に残っている一つを52ページ目からここに引用してみる。
「とにかく私は、みんなに所謂折紙つきの『好人物』『好青年』にはなってもらいたくないのだよ。若い人がそんなものを志すようじゃこの世は終わりさ。平凡を志すような人間に、何が出来るというのかね。人は勿論、人間の社会のためにもあるが、それよりもまず人間の社会は人間のために、それも個性的人間のためにあるのだ、と思うね。人間の社会の進歩の総てとは、そういうことだよ。」
ところで私は今「霊長類ヒト科動物図鑑」という本を読んでいる。312ページもあり、20センチサイズだが、かなり読みではある。
動物図鑑とはいっても動物の本ではなく、本人自身をとらえた随筆集である。具体的に申せば、今は亡き向田邦子さんの見事なエッセイが52篇。この本一冊で彼女が日頃どんなことをし、どんなことを考えていたのかよくわかる。タイトルがどうしてこんなふうになったのかの経緯は知るよしもないが、しみじみ深く考えてみたら、ややわかりかけてきたような気がしないまでもない。
向田さんの日々の物事に対するとらえ方はさすがだなと思う。
以下にその213ページの「ヒコーキ」というエッセイから引用してみたい。
このところ出たり入ったりが多く、一週間に一度は飛行機のお世話になっていながら、まだ気を許してはいない。散らかった部屋や抽斗のなかを片づけてから乗ろうかと思うのだが、いやいやあまり綺麗にすると、万一のことがあったとき、
「やっぱりムシが知らせたんだね」
などと言われそうで、ここは縁起をかついでそのままにしておこうと、わざと汚ないままで旅行に出たりしている。
合掌
「つれづれ(90)作家ふたり」