今日も強風となるようだが・・・
10時前 散歩にでも行こうと思い外に出ると 何気に風は穏やかな気配がする
では 少しでも走るか・・・
暫し走って 「富士山」は比較的クッキリと見える
昨日引き返した場所に来ると 矢張り風が急激に強くなって来たようだ
でも 今日は頑張る!!
目的地に到着!!
北側に回り込もうとしても進まない
冷たい強烈な北風が湖面を吹き付けて波立ち まるで荒れ狂っているようだ
そんな中 「セイタカシギ」が一羽居た 「ダイサギ」は捕獲中
着いたばかりだが・・・ 帰ります!!
復路は 風の恩恵を受け スイ・スイ・スイ
あっと言う間に「びん沼自然公園」に来る
キッチンカーが4台も・・ 何か食べようとしたが パス
鳥さんは・・・「モズ♂」が居た
帰還すると 走行距離は 45.62㎞ だった
案山子/さだまさし(1977.11.25 作詞・作曲:さだまさし)
手紙が無理なら電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ
それは悲しく苦い思い出ですね、更に恋敵とは‥
そんな彼女のようなファンに、ある意味さださんは支えられているのでしょうね。
また、その後さださんを嫌いにならず、時には歌に救われたのは、さださん自身の魅力や、楽曲の素晴らしさがあるからでしょうね。
1977年の11月に、この「案山子」が出ました。
そのとき私は25歳、つきあっていた女性から、クリスマスイブの前日に別れの手紙をもらった。
11月の頃、「クリスマスに手編みのセーターをプレゼントするね」と彼女は言っていたのです。
私をふった女性は、長崎県の佐世保生まれでした。
さだまさしが大好きで、長崎にいるときはさだのファンクラブに入っていた。
いつも私といるときは、さだの曲の話をしていた。
私のアパートでギターを弾いて、さだの歌を一緒に歌ったこともありました。
さだまさしと私は同じ歳です。彼が4月生まれ、私が5月生まれです。
女性とつきあっていたとき私は、さだまさしを〝恋敵〟のように思っていました。
しかし、彼女が私から去ってからは、さだの曲で救われていました。
それは、尚更にうるうるしますね🥹
今でも聴くと涙が出ます
本当にそうですね、良い曲です。
大好きな「案山子」を有難うございます🌸
いつ聴いても
何度聴いても
目頭が熱くなる曲ですね!