前の日記で書いた「覚悟しないといけないこと」ですが、
それは実家の愛犬の寿命のことでした。
18歳というと、人間では100歳に近い年なので、
覚悟はしていましたが…
やはりいざ迎えてみると悲しくて辛いものですね。
愛猫の時は本当に2~3日中に体調が激変し
突然な別れでしたが、
愛犬の場合は日に日に弱っていき、年齢のこともあり
「もう長くないな」とわかっていた上でのことでした。
そして、
愛犬は家族に見守られながら”その時”を迎えました。
今はもうお骨になって、いつも寝ていた場所に安置されています。
火葬する日の朝、家族の車にわんこの体を乗せて
いつもの散歩道をゆっくり通りました。
弱ってきてからは長いお散歩ができなくて、
つまんなかったろうなぁ。
今はきっと虹の橋の向こうで自由に飛び回っているだろうな。
草花の清清しい香りを感じた春、
道路の熱さを気にしながら歩いた夏、
帰宅後に毛についたひっつき虫(雑草の実)を必死に取った秋、
霜柱をジャクジャク踏みながら歩いた冬。
田舎の四季の移り変わりを感じていたとき、
その傍らには必ずわんこが居ました。
これからも四季は移り変わるけれど、
フサフサのしっぽを揺らしながら散歩道を歩く姿は
もう見られないんだなぁ。
本当に寂しくて悲しいです。
四十九日まではこの世にいるということだから、
愛猫の時のようになにか「鳴き声」とか「音」とか、
こっちにわかるようなサインをくれるといいなと
願っているそんな年の瀬です。
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それは実家の愛犬の寿命のことでした。
18歳というと、人間では100歳に近い年なので、
覚悟はしていましたが…
やはりいざ迎えてみると悲しくて辛いものですね。
愛猫の時は本当に2~3日中に体調が激変し
突然な別れでしたが、
愛犬の場合は日に日に弱っていき、年齢のこともあり
「もう長くないな」とわかっていた上でのことでした。
そして、
愛犬は家族に見守られながら”その時”を迎えました。
今はもうお骨になって、いつも寝ていた場所に安置されています。
火葬する日の朝、家族の車にわんこの体を乗せて
いつもの散歩道をゆっくり通りました。
弱ってきてからは長いお散歩ができなくて、
つまんなかったろうなぁ。
今はきっと虹の橋の向こうで自由に飛び回っているだろうな。
草花の清清しい香りを感じた春、
道路の熱さを気にしながら歩いた夏、
帰宅後に毛についたひっつき虫(雑草の実)を必死に取った秋、
霜柱をジャクジャク踏みながら歩いた冬。
田舎の四季の移り変わりを感じていたとき、
その傍らには必ずわんこが居ました。
これからも四季は移り変わるけれど、
フサフサのしっぽを揺らしながら散歩道を歩く姿は
もう見られないんだなぁ。
本当に寂しくて悲しいです。
四十九日まではこの世にいるということだから、
愛猫の時のようになにか「鳴き声」とか「音」とか、
こっちにわかるようなサインをくれるといいなと
願っているそんな年の瀬です。
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