終息の兆しさえ見いだせない戦争
日本人の多くは、「時の政府や軍部が突っ走って戦争を開始したのだ」と教えられている経緯があり「戦争を起こさない」と言う事は、「政府の暴走を止めればいいのだ」と考えてしまう。
そこには「侵略を企む悪意の隣国」が幾つも存在することなど、これまで考えずに済んできた。
また、原爆投下、主要都市での大空襲(大量死)があっても、アメリカが日本を占領したことにより、自由を謳歌し経済発展を遂げられたので「降伏しても大したことない」と考えてしまう。のではないか?
しかし、世界史の大部分では、そんなことが重なる可能性は「奇跡」と呼ぶに等しいのだ。
ウクライナへ降伏を勧める人が知らない現実
ウクライナの歴史家の推計によれば、1930年代のスターリンの抑圧によってウクライナ人数十万人が収監されたり、処刑されたりしたという。
ウクライナは他人事ではない。日本人は「シベリア抑留」を経験している。シベリア抑留とは、終戦後、旧日本軍の兵士はシベリアなどに抑留され、過酷な労働を強いられたことを指す。シベリアをはじめとするソ連領内の各地へ連行された日本の軍人・軍属はマイナス30度を下回る厳しい環境で強制労働を強いられた。衛生環境や食料事情も悪く、飢えや病気によっておよそ6万人が命を落としたのだ。
これは日本とロシアが戦争をしていた頃の話ではない。ソ連による旧敵国側の軍人と民間人の抑留は、戦争により大きな損害を被ったソ連における、戦後復興を担う労働力不足を補うための措置として行われたのだ。同じ敗戦国のドイツ人も同様に抑留を受けた。
ロシアの支配下に入るとどうなるか。歴史を少しでも振り返れば「怖さ」がともなうものである。ウクライナ人は、これまでの歴史を振り返って、やはり、降伏し生きながらえても、ロシアの支配下で何をされるのか怖くて仕方がないのではないか。
ロシア軍がウクライナの全土を掌握しても、ゲリラ戦に移行するかもしれないと考える識者も多いのはそのせいだろう。
ウクライナが歴史的に受けてきたロシアからの圧政についてその歴史を紐解いていこう。
ウクライナは、「ヨーロッパのパン籠」と呼ばれるような大穀倉地帯を有している。耕地面積は莫大で、日本の全面積に匹敵し、農業国フランスの耕地面積の倍ある。そのことを表すようにウクライナの国旗の黄色は「麦」を表している(水色は青空)。
18世紀末に、ウクライナはロシア帝国に支配され、1917年にロシア革命が起きると、ソ連の支配下になった。ソ連下で「農業の集団化」をウクライナに進めたものの、大失敗。農業生産が極端に落ち込んだところで飢饉が起こった。しかし、それでもお構いなしに、ロシアはウクライナの食糧をロシア本土へ強制的に送り、100万人が死んだ。
さらに、1932年、スターリンの時代になると、過酷な支配体制は強まって、ウクライナの国力はボロボロになってしまったところで、今度は、「ホロドモール」(大飢饉)が起きた。ホロドモールによってウクライナで350万人が餓死した(出生率の低下なども含めた人口の減少を含めると500万人との話も)。
「ウクライナ南部オデッサで、旧ソ連の独裁者スターリンによる「大粛清」の犠牲者のものとみられる5,000~8,000体分の遺骨が発見された。地元当局が25日、明らかにした」(キエフAFP時事・2021月8月26日)と報じられたが、ウクライナの歴史家の推計によれば、1930年代のスターリンの抑圧によってウクライナ人数十万人が収監されたり、処刑されたりしたという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます